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神も仏も名無しさん
キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます12
「キリスト教は独善的」と小沢氏、仏教は称賛

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キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます12
2 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 19:29:51.02 ID:9W18mX71
また低脳の劣等民族イエローモンキー糞ジャップは、性懲りもなくこんなアフォスレを立てたのかよ。w
ほんとクズ民族だよな。ww
「キリスト教は独善的」と小沢氏、仏教は称賛
284 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 19:34:10.39 ID:9W18mX71
まあ諸行無常なんてのはヨーロッパではヘラクレイトスが、我が儘世間知らず王子よりも百年以上も前に既に唱えていたが、相手されず淘汰された妄説なんだよな。w
こんな説を有り難がっている仏教は劣等宗教!!
キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます12
3 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 19:38:50.90 ID:9W18mX71
アフリカで生成された人類であったが、やがて地続きの中近東地域を通ってユーラシア大陸全体に拡散していき、一部はアリューシャンを通ってアメリカ大陸にまで到達した。
その過程で比較的能力の高い優秀なグループは中近東から欧州にかけての地域に留まることができ、
その地でメソポタミア文明、エジプト文明、エーゲ文明などの高度な文明を早くから花開かせた。
反面で能力の劣る弱小なグループは、優れたグループにどんどん東方に追いやられ、
特に劣った民族は極東の離島などに逃げ込むことで何とか生存を保つことはできたが、高度な古代文明など築くことができず、かなり時代が下るまで不毛の地であったのである。
しかもその離島は山がちな土地である上に地震や津波も頻繁に襲ってくる暮らすには苦労の多い土地であったため、そのような魅力に乏しい貧相な土地を欲しがる他の民族は殆どいなかった。
ましてや大きなリスクを冒し、多額のコストを払ってまで、軍事的に侵略して征服しようとする民族は一部の例外を除いて稀有であった。
そのおかげで弱小民族でも生存し続けることができたのであった。
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4 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 19:39:46.50 ID:9W18mX71
具体的な歴史資料を紐解いてみても、日本列島には各地から移民が殺到している。
渤海地方から日本海を通って北陸に土着した人々、朝鮮半島から九州に入った人々、東南アジアから沖縄を経由してきた人々などが見て取れる。
ただ、これらは侵略という形は取らなかったようである。日本に渡ってきた人々は、何らかの事情で母国を追われた難民が多く、列島を征服しうる軍事力を持たないのが普通だったからである。
http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/japan2.htm
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5 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 19:40:48.28 ID:9W18mX71
>アフリカ東部から十数万年の歳月をかけて南ルート、ならびにヒマラヤの北のルートを辿って来た人々がいたと先ほど書いたが、およそ2万年前に中国北部に住んでいたアジア人が、南方のモンゴロイドに押されてシベリアに侵入した。

>またマイナス数十度と言う厳寒環境に対して、身体も環境適応していった。厚い皮下脂肪、一重瞼、眉や髭の薄さ、小さい耳、低い鼻は、厳寒に対応するために適応していったものである。
>彼等が、5000年前の気候の寒冷化に対応するように(食料=獲物の減少か?)、シベリアから北東アジアへ拡大を始めた。その寒冷地仕様の人々の子孫が、金属や水田稲作を携えて日本にやって来たと考えられる。
>だから、縄文人と弥生人は、身体的特徴が違う。大きなくくりで言えば、顔の彫りの深い"縄文人"は暖かい東南アジアや太平洋民族と同じ先祖を持ち、のっぺりとした顔付きの"弥生人"は寒冷地に特化・適応した人々を先祖に持つ、と言える。

>弥生人が持ち込んだ"結核"や"はしか"や"天然痘"等の未知の伝染病が、孤立した島国で生きてきたために免疫を持たない縄文人に感染し、縄文人達を病死へと追いやってしまった。結果的に、"弥生人7割、縄文人3割"的な弥生人の社会となる。

>日本の隅へ隅へと縄文人は追いやられてしまい、つまり北と南に追いやられてしまい、琉球と北海道と言う孤立した地域で縄文人の子孫達が生きていく事となったと考えられる。
>琉球人とアイヌ人の"文化"は同じではないが(※アイヌは北方文化を引き継いでいる)、身体的特徴は双方とも縄文人の直系の子孫で、最も縄文人の特徴を現代に残している人々だと言われる。

↑やはり君たちの祖先は戦争で敗れ、生活困難な痩せた土地に逃げるしかなく、そのような土地ばかりを移り住んで日本に辿り着いたようだね。
しかも日本の原住民であった縄文人に病気を感染させて弱体化させることで駆逐し北端と南端に追いやったとんでもない侵略者でもあったんだ。とっとと出てけば?
ま、大航海時代の欧州人による世界進出を批判することは、この点からも無理なんだな。
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6 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 19:44:51.91 ID:9W18mX71
日本語の「良心」は、英語・フランス語のconscience、ドイツ語のGewissenなどの訳語であり、
それらはギリシア語のσυνε δησι やラテン語のconscientiaに由来する。
これらの西欧語はいずれも、語源上は「共に知ること」を意味する。そして、「共に」には、「他者と共に」「神と共に」「自己と共に」の3つの意味が込められている。
もともと、古代ギリシアでは、「他者と共に知ること」としての良心が主流であったが、のちに、キリスト教の影響を受けて、「神と共に知ること」としての良心が優勢になった。
また、それに伴い、良心は内的なものと捉えられるようになった」(866)

↑ま、これでは日本人が良心の呵責を感じなくても仕方ないか。ww
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7 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 19:51:10.08 ID:9W18mX71
主な先進国中、法で定められている有給休暇の日数が最も多いのはフランスとフィンランドの30日である。日本は10日でかなり少ない。
また国によっては、有給休日という制度がある。
日本では民間の労働者については法で制定されていない[37]が、事業場で特定した休日、例えば、国民の祝日、会社の創立記念日、メーデー、年末年始等があるが、
これらの特定休日に休業した労働者に対しても通常支払われる賃金の全額または一定額(率)が支払われる場合を有給休日と呼んでいる。
有給休日が最も多い国はオーストリア・ポルトガル・イタリアの13日である。
フィンランドは有給休日が9日のため実に39日も有給休暇・休日がある。 イタリア共和国憲法第36条では、労働者は毎週の休息及び年次有給休暇に対する権利を有し、この権利は放棄することができないと定めている。

最低賃金の高額さと有給休暇・休日の多さから欧州は総じて労働先進国が多い。
欧州での労働者の権利は、フランス革命、ロシア革命から続く労働者と資本家の戦いの結果、労働者が勝ち取った権利であり、歴史に裏打ちされた権利には、決して「過大に認められている」と言う云われは無いものである。
そもそも過大だという受け止め方自体未だ発展途上の日本から見た発想であり、当該諸国の国民の間ではそうした権利を享受することがむしろ当然であるという価値観が根付いている。

2010年8月6日、ロイターが調査会社のイプソスと協力し、24か国において有給休暇を使い切る労働者の割合を調査しまとめた結果を公表した。日本は33%で、22位のオーストラリアと南アフリカ共和国の47%に大きく差を開けられたうえでの最下位であった[38]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E6%AC%A1%E6%9C%89%E7%B5%A6%E4%BC%91%E6%9A%87#.E5.90.84.E5.9B.BD.E3.81.AE.E6.9C.89.E7.B5.A6.E4.BC.91.E6.9A.87

こんな労働者をこき使う野蛮国だから運転手が居眠りによる悲惨なバス事故が起こったりするんだろうなあ。ww
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8 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 19:52:36.02 ID:9W18mX71
奴隷民族ジャップ 有給の取得率世界最低 日数もたったの5日で世界最低 休暇中も仕事のことを考える

45.0%――日本のビジネスパーソンの有給休暇取得率《気になる数字》

オンライン旅行会社のエクスペディアが世界20カ国のビジネスパーソンに有給休暇についての
比較調査を行ったところ、日本は有給休暇の取得日数、取得率とも20カ国で最低であることがわかった。
この調査は2011年9月下旬から10月上旬、16歳以上の男女7803人(各国300人以上)を対象として実施された。

有給休暇の年間取得日数では、日本は5日と最下位で、続いて韓国7日、米国12日となっている。
30日を取得するフランスやスペイン、ブラジル、28日のドイツと大きく差がついた。
また、有休の取得日数を支給日数で割った取得率でも、日本は45%と最下位。欧州諸国やブラジルと大差がついた。

日本で有給休暇を取得しない理由としては、「上司が有給休暇を取るのに協力的ではない」が最も多く44%。
次点の「金銭的余裕がない」19%とは差がついた。しかし、上司の理解不足は20カ国共通の問題で、
イタリア、韓国、ドイツ、ブラジルは日本を上回っている。

一方、「有給休暇中でも仕事のことが頭を離れない」割合は20%で、日本がトップ。
有給休暇中に仕事に関することを確認する割合も、「頻繁に確認する」「たまに確認する」を合わせて77%と、
フランスと並んでトップ。

ワーク・ライフ・バランスの充実には、有休を取得しやすい環境の整備と同時に、本人の意識改革が必要なようだ。

http://www.toyokeizai.net/business/management_business/detail/AC/c384e8d5008ecdd3e09ab5d9be206f15/
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9 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 19:53:50.52 ID:9W18mX71
>科学は、理神論に端を発し、キリスト教文化の中で育ってきた。神、すなわち創造主がこの世界を作ったのならば、そこには一定の法則が見出せるはずだ。
>ならば、神に基づく自然の法則や宇宙の秩序を定型化しよう、という試みが西洋科学の発端であり、彼らは数学という記述をもって、物理学・化学という様式を作り上げた。
>ガリレオ、ケプラー、ニュートンなどの中世の科学者はみな敬虔な宗教家でもあるように、科学は神学の枠の中の一部を構成してきた。
http://1st.geocities.jp/volclex/1/deismandscience.html
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10 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 19:56:05.36 ID:9W18mX71
グレゴール・ヨハン・メンデル(独: Gregor Johann Mendel、1822年7月20日[1] - 1884年1月6日)は、オーストリア・ブリュン(現在のチェコ・ブルノ)の司祭。
植物学の研究を行い、メンデルの法則と呼ばれる遺伝に関する法則を発見したことで有名。遺伝学の祖。

オーストリア帝国のハインツェンドルフ(現在のチェコ・モラヴィア、ヒンチツェ、母語はドイツ語圏)に小自作農の子として生まれ、ヨハンと名付けられる。
オロモウツの学校で2年間学んだ後、1843年に聖アウグスチノ修道会に入会し、モラヴィア地方ブリュンの修道院に所属、修道名グレゴール(グレゴリオ)を与えられる。

メンデルの所属した修道院は哲学者、数学者、鉱物学者、植物学者などを有し、学術的な研究や教育が行われていた。1847年に司祭に叙階された。


サー・アイザック・ニュートン(英: Sir Isaac Newton, ユリウス暦:1642年12月25日 - 1727年3月20日、グレゴリオ暦:1643年1月4日 - 1727年3月31日[注 1])はイングランドの自然哲学者[注 2]、数学者。神学者。
ニュートンは生涯を通じてキリスト教研究に打ち込んでいた。その結果は、1690年頃に執筆された『ダニエル書と聖ヨハネの黙示録の預言についての研究』と、死後の1728年に刊行された『改訂古代王国年代学』に纏められた。
この中でニュートンは、聖書や伝説にある出来事の年代確定に天文学手法を導入しながらキリスト教的歴史観である普遍史をプロテスタント的史観で再構築し、また「ダニエル書」や「ヨハネの黙示録」を解釈した独自の終末論を展開している。[5]

絶対的時間や絶対的空間などを確立したニュートンではあるが、彼自身はそれらがキリスト教の教義と矛盾するとは考えておらず、『プリンキピア』一般注にて宇宙の体系を生み出した至知至能の「唯一者」に触れ、それは万物の主だと述べている。[5]
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11 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 19:57:05.06 ID:9W18mX71
ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623年6月19日 - 1662年8月19日)は、フランスの哲学者、思想家、数学者、物理学者、宗教家である。早熟の天才で、その才能は多分野に及んだ。
1656年〜1657年、『プロヴァンシアル』の発表。神の「恩寵」について弁護する論を展開しつつ、イエズス会の(たるんでしまっていた)道徳観を非難したため、広く議論が巻き起こった。
また、キリスト教を擁護する書物(護教書)の執筆に着手。そのために、書物の内容についてのノートや、様々な思索のメモ書きを多数記した。だが、そのころには、体調を崩しており、その書物を自力で完成させることができなかった。
ノート、メモ類は、パスカルの死後整理され、『パンセ』として出版されることになり、そこに残された深い思索の痕跡が、後々まで人々の思想に大きな影響を与え続けることになった。

ブレーズ・パスカルは、神との主体的な出会いを重んじた。
デカルト流の哲学については、理性に関係する特定の分野でのそれなりの成果は認めつつも、神の愛の大きな秩序の元では、デカルト流の理性の秩序が空しいものであることを指摘した。
キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます12
12 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 20:02:20.37 ID:9W18mX71
日本の奴隷制 [編集]

一説には、すでに縄文時代において奴隷制が存在していたとされるが、歴史文書に初めて登場するのは弥生時代であり、『後漢書』の東夷伝に、「倭国王・帥升が、生口(奴隷)160人を安帝へ献上した」(西暦107年)という趣旨の記録がある。
また、いわゆる『魏志倭人伝』にも、邪馬台国の女王・卑弥呼が婢を1000人侍らせ、西暦239年以降、魏王へと生口を幾度か献上した旨の記述がある。

古墳時代に入ると、ヤマト王権によって部民制(べみんせい)が敷かれ、子代部(こしろのべ)、名代部(なしろのべ)、部曲(かきべ)などの私有民もしくは官有民が設けられた。
部民制は、飛鳥時代の大化の改新によって、中国の唐帝国を模した律令制が導入されるまで続いた。日本の律令制度では、人口のおよそ5%弱が五色の賤とされ、いずれも官有または私有の財産とされた。
そのうち、公奴婢(くぬひ)と私奴婢(しぬひ)は売買の対象とされた。
五色の賎は、良民との結婚などに制限があった。

平安時代後期に、日本が中世へと移行すると、社会秩序の崩壊にしたがって人身売買が増加し、「勾引」(こういん)や「子取り」と称する略取も横行した。
また、貨幣経済の発展に伴って、人身を担保とする融資も行われた。こうして、様々な事情で自由を失った人々が下人となり、主人に所有され、売買の対象になった。
有名な『安寿と厨子王(山椒大夫)』の物語は、この時代を舞台としている。このように、中世には人身売買が産業として定着し、略取した人間を売る行為は「人売り」、仲買人は「人商人」(ひとあきびと)や「売買仲人」と呼ばれた。
また、奴隷が主人から逃亡することは財産権の侵害と見なされ、これも「人勾引」と称された。
キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます12
13 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 20:05:28.15 ID:9W18mX71
自力救済の時代である中世日本では、人身売買は民衆にとって餓死を免れるセーフティーネットとしての面も持つ行為であった[29]。
身売りすることで近い将来に餓死する事だけは避けえたからである。鎌倉時代に寛喜の飢饉と呼ばれる飢饉が発生した際に多くの人々が自身や妻子を身売りして社会問題となった。
そのため、鎌倉幕府は1239年になって人身売買の禁止を命じるとともに、例外として飢饉の際の人身売買とそれに伴う奴隷の発生は黙認する態度を示した(『吾妻鏡』延応元年4月13日・5月1日条)。
その後、元帝国と高麗の連合軍が壱岐・対馬と九州北部に侵攻し(元寇)、文永の役では、捕らえられた日本人の婦女子およそ200人が、高麗王に奴隷として献上された。
14世紀以降、勾引は盗犯に準ずる扱いとされ、奴隷の所有は黙認された。南北朝時代として知られる内戦期になると、中央の統制が弱まって軍閥化した前期倭寇が、朝鮮や中国で奴隷狩りを行った。
これは、先の元寇による侵略の復讐の側面もあるとの主張もある。惣村社会では境界紛争の解決にしばしば下手人として奴隷を利用した。

いわゆる戦国時代には、戦闘に伴って「人取り」(乱妨取り)と呼ばれる略取が盛んに行われていた。

江戸時代には年貢を上納するための娘の身売りが認められた。「人買」(ひとかい)は、こうした遊女の売買を行う女衒を指す語として、この時代に一般化したものである。
また、前借金による児童や青少年の奴隷労働(年季奉公)も広く行われた。これらの奴隷的拘束は、明治維新による近代化の後も形を変えて根強く残った。

明治時代、島原・天草を中心とする地域から、日本女性の日本国外への「輸出」が大規模に発生した(からゆきさん)。これは、太平洋戦争の勃発によって、日本人の日本国外への渡航が制限されるまで続いた。

終戦後、連合国軍総司令部は、日本における奴隷階級の解放を宣言した。
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14 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 20:06:38.26 ID:9W18mX71
私の知っていたのは、中国人にケシを栽培させ、それを中国国内やその他の場所への密輸で日本の役人たちががっぽり稼いでいたこと、それらにかかわった人たちが、知らん顔してどうどうと日本の総理大臣になったり最高裁判事をしていたりすること、くらいの話だった。
もちろんこれだけでも深刻な問題で、中国の人の中には「イギリスは阿片を持ち込んで国を破壊したが、日本人はその阿片を中国人に栽培させた。イギリス人が悪人なら、日本人は悪魔である」というようなことを言う人がいるのも当然である。
しかし、今回のNHKスペシャルでは、これがどれほど大規模であったかが語られた。 ◆ あまりに大規模な阿片栽培、販売

日本が栽培させたケシ畑に従事する中国人は、100万人にも上ったといい、広大な農地で栽培がなされ、
販売方法も密輸のみならず、日本軍が関与して阿片窟(阿片吸飲所。阿片バーみたいなところ)が経営され、ひどいところでは一つの都市に4000ヶ所もの阿片窟があり、その収益は関東軍に納められていたという。
阿片窟が運営されていた大義名分は"一気に禁止すると、すでに中毒になっている患者が混乱するため"であったという。
要するに今でいうと禁煙のためのニコチンガムのようなことを言っていたことになる。実際には、誰でも阿片窟に入店して阿片を吸飲することができ、その大義名分が全くうそであったことがわかる。
蒋介石は中国に広がっていた阿片を禁止、追放しようとしたが、日本軍が占領した地域では人々がやっとやめた阿片がまた広がり始め、人口の8分の1ほどが中毒患者になるほど中国人が阿片漬けになったという。
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15 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 20:10:58.07 ID:9W18mX71
「日本人は「押しが弱い」。
討論では外国人にコテンパンにやられ、英語で道を訊かれればこちらが謝ってしまう。
そもそも身体のつくりからして、背は低いし、消化能力やお酒の弱さは世界的にも群を抜いている。
なぜ日本人はこうも弱いのだろうか?
それは、我々日本人が元々、アフリカでの人類発生以来、幾多(いくた)の争いに負けつづけ、大陸から押し出されて現在の地にたどりついた民族だからではないか。」
http://www.amazon.co.jp/dp/4396112777/
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16 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 20:11:41.00 ID:9W18mX71
汁物の飲み方 - 音を立ててすすらない。
和食の場合、器を左手で持ち口をつけて汁を飲み、具は箸を使いレンゲやスプーンは使わない。
「キリスト教は独善的」と小沢氏、仏教は称賛
286 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 20:26:45.94 ID:9W18mX71
一番弟子のアーナンダに裏切られるようなマヌケ王子が唱えた説が、宣教師を言い負かせる程に力を持っているとはとても思えないけどね。
「キリスト教は独善的」と小沢氏、仏教は称賛
288 :神も仏も名無しさん[sage]:2012/07/11(水) 22:14:31.38 ID:9W18mX71
また「仏陀の弟子アーナンダの裏切り」を例に挙げ、葬式仏教は仏陀の死から始まった。
仏陀の「遺体を焼いて、そのあとで骨を拾ったり供養の対象にしたりする必要はない」という遺言に対して、供養の気持ちを押しとどめることができなかったアーナンダは背いてしまった。

現在、仏教を批判して、葬式仏教と嘲笑をあびせる人々の声は絶えない。
しかし現実は日本の仏教がかくも長く生きながらえてきたのは、アーナンダ以来その死の儀礼を執行しつづけてきたからではないか。


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