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163 :基本。[]:2011/12/19(月) 00:06:52.02 ID:MfN9xHkD - おやさまは、最初、その人の分かる程度の知らせしか出しません。
複雑なブロックサインのようなものは、よほど貸し物借り物の理と、旬の判断がついてからしか知らせてきません。 また、もし分からなかったら、「おやさま、もっと分かるようにお知らせください」と、注文つけることです。 痛みでも、深いと浅いがあります。 左右痛いと言う事は、普通、良き知らせと、悪しき知らせと、二件あると言う事です。 例えば、行くと良い事と悪い事の二つが待っているというようにです。 その場合、自分が、たった今現在何を思案していたか、正味と誠の思案か、カスと疑いの思案かによって、知らせの意味はまるで違います。 人たすけの場面での知らせは、誠に対する知らせ。おたすけのためのお知らせ。 疑い心の時には、疑っている精神そのものへの知らせ。 右の鼻が痛いとします。鼻の右側です。さて、鼻とは神の理では何の神様でしょうか。 これ知らない人には、神様は鼻を用いての知らせは、出せないわけです。 鼻は、何の神様でしょう。
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164 :基本。[]:2011/12/19(月) 00:23:05.43 ID:MfN9xHkD - それにしても、心におやさまを受け入れる素直なお心と、まるで疑わない無邪気さは、必要です。
さっき、鼻の右脇にニキビができて激痛と言う方が問われて来ました。 この場合は、知らせではなく、手入れです。激痛ですから。 鼻は、面足命様、つまり母親の理ですから、母親に対して、の心が、吹き出物という心と言う事で、それに対する手入れですと、お話しました。 右に出ていると言うのは「悪」で、二つ出たというのは、二件。 皮膚を破っていますから、こんなお母さんもういらん。とか、切る心。 そんな風に、無邪気に判断するのが基本です。
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166 :基本。[]:2011/12/19(月) 01:12:27.21 ID:MfN9xHkD - こんばんは。
>>165 >そんなことをあれこれ思案して悩むより、勇んで元気に生きていれば、ええことがじわじわと訪れるものだ そうですね。道具として生きるのでなければ、そんな事思案するのは、無用の悩みを背負い込む行為です。 「天理教って多神教ですか」。 「八方の神が手を打って」とか「ここにはみんなおられる」とか、おやさまは、単一の神を神と呼ばれていませんし、 「神として拝をさせる」と言われて、各道具の神には「神名を」つけていますから、天理教とは、おやさまの教えですから、 おやさんの教えと言う意味では「おやさま一神教」ですが、理を分けるという思案は、天理教の教えられた思案の一つです。 一つ一つの神名を、唱えるのは、神名そのものに意味があり、存在の理由があるから、神なのだと受け止めて思案しています。 目で見て鼻で考えると、教えられています。 面足(をもたり) 思うた理。 陽気暮らしを見たいと思うた理で、日に日に重くなる理で思うた理。 思い 重い 重力の神様。そういう理が、ある神様。です。 「月日よりつけた名前」としたら、一神教だからと、道具の神様の神名を使わない方向に導いた山名系教義は、ミスリードしていたと思います。
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168 :基本。[]:2011/12/19(月) 01:24:47.50 ID:MfN9xHkD - 右の足の太ももの付け根に出物と痛みと言う相談が、今ありました。
理は、いざなぎさまか、面足さまの場所です。 その少し前までは、「鼻」に痛みがあって、それは、快方に向かって、右足の小指にも痺れがあってと、いうのです。 これが、何に対するどのような知らせか、場所は、すべて親子の場所。おおくは母親の場所ですから、先ずお母さんに連絡を取ることから、子としての道の問題になるわけです。 こういうことは、一々思案させたいおやさまではなくて、道具ならすっとわかって当然なのであり、すっと分からなければ、おやは、使おうとしません。 だから、道具になりたいなどと、思わないことが、それ以前に大切です。 知らないほうが、よい事は多いのです。
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171 :基本。[]:2011/12/19(月) 05:32:56.93 ID:MfN9xHkD - >>169
天理教は、裏守護の神も含めて、各々の神を神として拝するようにと、おやさまから、言われています。 多神教とか一神教と言う分類は、宗教学者さんたちの分類です。 一神教(いっしんきょう)とは、一柱の神のみを信仰する宗教。次のように大別される。 唯一神教(monotheism):世界に神は一つであると考え、その神を礼拝する。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など。 拝一神教(monolatry):複数の神を認めるが、一つの神のみを礼拝する。古代イスラエル民族の宗教など。一神崇拝ともいう。 単一神教(henotheism):複数の神を崇拝する。特定の一神を主神として崇拝する。古代インドのヴェーダの宗教など。 交替神教(Kathenotheism):他の神々の存在を認める。崇拝する神が交替する。バラモン教など。 神道は多神教と分類されています。基本的には「これも月日が教え来る」ものです。 >>170 自分で生き死にを選ぶことができるのは、その人の心しだいですが、死にたくないのに死ぬしかない場合には、無念。残念。殺されたようなものです。 その心の種が、生きたいであるなら、生きることが大切です。
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172 :基本。[]:2011/12/19(月) 05:45:15.74 ID:MfN9xHkD - ぼちぼちさんには、一柱づつを神名で呼ぶ事に抵抗感があるのでしょうか。
文盲だった郡山初代さんは、手の指に一柱づつ、その指の神名を書いて、それで、一柱づつ神名と守護の理を学ばれたそうです。 おふでさきにも神名は出てきます。 このどふくくにさづちいと月よみと これみのうちゑしこみたるなら 37 くもよみとかしこねへとをふとのべ たいしよく天とよせた事なら 38 それからハたしかせかいを初よと 神のそふだんしまりついたり 39 皆で相談したわけです。 これからわ神のしゆごとゆうものハ なみたいていな事でないそや 40 神名があって、神を身の内に仕込んだ。その各々は、意思ある存在でもあって、機能や理・守護の理ではない、神そのものです。 にんけんをはぢめよふとてたん/\と よせてつこふたこれに神なを 51 いざなぎといざなみいとが一の神 これてしよこの大じんくゝなり 52 お伊勢様は、いざなぎさまといざなぎ様が祭られてある大神宮と、示されているように、神道の神様も、神としておやさまはお認めになっています。
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173 :基本。[]:2011/12/19(月) 05:59:52.06 ID:MfN9xHkD - >>167
> 面足って面が足りる 面が足りている。顔が満足している状態とは、二ににっこりの状態です。 二と言うのは二柱目の神様は面足命さまで、にっこりとは、「陽気遊山がみたい」と「思うた理」は、「にっこり」です。 お日様が、面足命様の天にての御あらわれで、にっこりの笑顔が母親のおや心です。 神名の一つ一つの意味は、こふきはなしに様々説き分けられていますが、右人差し指は国さつちさまと、神名で理解しますほうが、分かりやすい場合が多いと思います。 国狭土命様は、女一の道具の神様。くにはくに・にく。狭いは、形状、土はその色を意味していると言うようなとき分けも在ります。 なんでおやさまが、そんなお話をされたのかは、神名を神名として唱えてみて、理解できることと思います。
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181 :基本。[]:2011/12/19(月) 11:59:49.16 ID:MfN9xHkD - 議論伯仲ですが、180さんの言われていることが、当然と思う基本です。
「真実の神」は「月日」。 でも、例えとしてですが、その月日だけでは「人間を始める」事は出来なくて、道具やうをとみを、相談の上で、神名をつけてお使いになった。 それは、市長さんだけでは行政として機能しないから、「市長印」をそれぞれに持たせて、部署の責任者さんが機能権限を有していると、そのようなものでしょう。 子数の年限を経たら、「神として拝をさせる」というお約束からしても、「神名で呼んであげる」のが、一番にうれしいことでは無いでしょうか。 おやさまがいて、小寒様がいた。 小寒様は、言うならば道具です。 でも、若き神小寒と呼ばれていた時代には、例えば松尾市兵衛さんのところに出かけた時には、小寒様に神がかりがあって、おやさまは小寒さまを通してのお言葉に従われています。 また、大工の伊蔵様は小寒様から教えを仕込まれていたとも思慮されます。 神名が「くにさつち命」さまの魂のお方、そう言うように、役割として働かれている場面では、創造主以上に身近なのが、道具の神だと思います。 神は理であり、理は神であるのですから、ご守護の理を神として拝するとき、それは、全て親神さまなのですが、親しく神名でお呼びするのが基本です。
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184 :基本。[]:2011/12/19(月) 12:13:32.99 ID:MfN9xHkD - >>174
私事ですが、私は、ただのおっさんです。でも基本です。 >>175 閑居して不善をなすのが、ただのおっさんのらしいところです。 忙しゅうにしていても、不善をなすから、あまり宜しくないただのおっさんです。 >>174 再びですが、人としての幸せは要求を放棄しています。というより、あまりに贅沢で幸せすぎましたから、もういいのです。 この世を普請したいというおやさまがいて、私は一緒に普請がしたい。 大工。 壊し大工が、役割で、叩くことの専門家で、それで人並みの幸福はそりゃ、あっちゃならないのに、人以上の幸福はいつも頂いて来ました。 いまさら、壊し大工やめたいなんて、それはありえません。大切な思い出も過去への執着も、みんな掃除の時には、廃棄物になってしまう事がある。 でも、愛町と言うガラパゴスで、遅れてきた初代の信奉者として朽ち果てるようでは、粗大ゴミ人生は貴兄のほうですよ。
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2 :基本。[]:2011/12/19(月) 12:31:26.90 ID:MfN9xHkD - 有難うね。いつも基本に配慮してくださり、希望さん感謝いたします。
天理教は一神教か多神教かと言う議論が、あります。 その前に、神そのものについても、神と呼ぶべきものは何かと言う問題もあります。 天理教では「神が出て」と、或いは「神が表に現れて」と、天理の神を、神自らが定義しています。 いわゆる、神ならば、そのご神体・ご身体はという事がとても重大です。 先ずそこから、ちゃんと理解したいと思います。 天理教の親神は「中山みき様」で、神名は「天理王命」、ご神体は「ぢば」「甘露台」です。 天理教の神は「十柱の神」で、分掌の神として、神名は、 「くにとこたち」「をもたり」「くにさつち」「つきよみ」「くもよみ」「かしこね」「たいしょくてん」「おおとのべ」「いざなぎ」「いざなみ」。 掌(たなごころ)には十本の指があって、その指一つずつが、それぞれに神名一つづつの守護の理に対応しています。
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3 :基本。[]:2011/12/19(月) 12:47:31.44 ID:MfN9xHkD - 神を拝しますとき、その十本の指は、腹と腹をあわせて柱のように立てて祈念します。
親指は、月日・真実の神の理で、左親指はくにとこたち命さまの守護の理の指。 右親指は、をもたり命様の守護の理の指です。 左は父親、右は母親、親指の力添えが無いと、小指は中指は薬指は人差し指は、指としての機能が制限されます。 手錠をかけずとも、両手の親指を括れば、同等の効果になります。 元の親を離れた思案行動は、不自由なものであり、月日を親神として拝する事は、天理の基本です。
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193 :基本。[]:2011/12/19(月) 15:02:32.47 ID:MfN9xHkD - >>189
私の前生は、私の父の祖父、「号は居平」と称していた、いわゆる庄屋で、平田神道の門下生として信州の田舎で勤皇の志士たちを支援していて、 中央に出ることを、拒み、地方在住のまま若くして出直しています。
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4 :基本。[]:2011/12/19(月) 15:23:36.39 ID:MfN9xHkD - 天理教の神は、神が表に現れたものであり、それに対して表に現れていなかったけれど裏には親神が守護していた神があります。
仏教、キリスト教、神道、八百万の神々、これらは、皆立教以前の、裏守護時代の神であり、それも月日が教え来たる、神です。 天理教の神の教え、つまり表に現れた神と、表に現れていなかった時の神と、神の教えそのものには、何の相違もありません。 同列というように考えても良いのです。 ただ一点、「をや」を説いているだけが、天理教の教えの特徴です。 「おやさま・天理王命様」の指の理は、「右小指」です。いざなみのみこと。 同じ十本の指に、同列に存在していて、一番かわいらしい指が、人間の親神の分掌の理の指です。 「小指は子や指」という諭しもありました。左小指にはくにとこたち様が右子指にはをもたり様が、お添いになって守護くださいます。 人間子供を誘導する、誘うという意味が「いざな」にはあります。 「いざな」「き・岐」は、左の小指ですが、「き」は、月様の、どこどこまでも突き通すというご守護の理が添います。 世人の道に導く進化の「岐路」を、守護してくださるのは、いざなぎ様で、「種の理」です。 「種」に存在する誘導の守護が、一貫した成人の道を、絶えず選択してくださっている。 そういう、「をや」の事は、天理教のみの教えです。
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195 :基本。[]:2011/12/19(月) 17:41:03.12 ID:MfN9xHkD - おやさまからの知らせ以外には、知るすべは持っていません。
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200 :基本。[]:2011/12/19(月) 21:59:35.84 ID:MfN9xHkD - ぼちぼちさんの言われるとおりですね。
前生の事は知らない方が宜しいと、おやさまは言われています。 そんなことを知ると、人間は生きていけない場合が生じる可能性があると、そんな理解の仕方が、普通の天理教徒の基本常識です。 出直しすると言うのは、最初からやり直すと言う意味合いですから、出直して生まれ変わったのに、あえて昔の局面の過去場面からに位置を戻すようなものです。 質問者さんが、問われたので応じました。 因縁の自覚と同時に、居平さんの時と同じ事情がでて、います。 普通は、知らないことが、宜しいのです。
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