- 仏教 議論スレッド 25
807 :神も仏も名無しさん[]:2011/12/06(火) 00:09:56.06 ID:DpjBoP0Z - >>808
ならば、宗教批判に対して、何故それほど必死で反論するのか。何故自ら 宗教批判が一切できないのか。どうみても、一神教系の宗教信者にしか見えない。 生命という最上位概念を認めると、己の宗教が吹っ飛ぶことを恐れているの だろう。 「生命は信じるものではない」のはその通りだ。釈迦もイエスも、その出生の 瞬間から、いや受胎の瞬間から、生命に呪縛された、生命の奴隷にしか過ぎない のだから。
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935 :神も仏も名無しさん[]:2011/12/06(火) 00:31:31.51 ID:DpjBoP0Z - >>934
釈迦が、「己自身に従え。しかし、俺の教えに従え」と言ったのだとしたら、 全く矛盾した教えとなる。釈迦のいう「修行自体」が「己自身に反する場合 には、一体どちらに従えというのか。 「法」とは、「釈迦の教え」ではなく、大自然の摂理。「自灯明」とは、その 摂理を基盤とする己自身の考え、と解すべきである。釈迦も「法」には従わな ければならないのである。
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809 :神も仏も名無しさん[]:2011/12/06(火) 01:03:17.03 ID:DpjBoP0Z - >>808
>お前は唯「宗教を批判する材料」として生命を利用しているだけwwww 最上位概念としての生命を持ち出さない限り、宗教全体の批判は不可能である。 下位概念だけでは、単なる宗教間・宗派間紛争。君が「宗教全体の批判」が出 来ない、やりたくないことは見え見え。 宗教の一部を批判することにより、己の宗教を肯定するのが、カルトの常套手段。 「業論」批判だけでは、「佛教批判」に過ぎず、一神教批判にはなっていない。
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940 :神も仏も名無しさん[]:2011/12/06(火) 01:26:16.60 ID:DpjBoP0Z - >>938
釈迦は、自分の教えを、押し付けまくっている。説教の垂れ流し。 スッタニパータ、とくに「ダニヤの章」を読め。現代のカルト教祖 そのもの。
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812 :神も仏も名無しさん[]:2011/12/06(火) 01:40:53.43 ID:DpjBoP0Z - >>810
人間の生存努力の中から生まれた自然宗教・民族宗教は、批判すべき対象には ならないことは、すでに何度か述べたとおり。 「中論の頌」における竜樹や、初期道元は、宗教というより、古今東西比肩す る者のない大哲学・大思想であり、強いて言うなら「宗教破壊の宗教」である。 だからカルトは、この両者には、絶対に近づかない。
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943 :神も仏も名無しさん[]:2011/12/06(火) 01:50:34.26 ID:DpjBoP0Z - 釈迦は、家庭と毎日の仕事を大切にし、心の平安を得、社会に貢献していた。
その精神を狂わせたのが、釈迦である。雨や風などの、洗脳の舞台装置も 準備されている。釈迦が、現代のカルト教祖の元祖であることは自明である。
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816 :神も仏も名無しさん[]:2011/12/06(火) 02:28:32.61 ID:DpjBoP0Z - >>815
批判の対象となるのは、専ら、開祖の狂気の感染としての創唱宗教のみ。 人間についての真理の根拠は、人間の生存努力の中にのみ存する。「真如と しての衆生心」に思い至らなかった開祖の思想は、彼の「我のみ良しの思い上った独善性」 と現実感覚から逸脱した「妄想」のみであり、如何なる点でも、「人間一般」についての真理 であることの洞察と根拠と検証が欠如している。例外なく、開祖の精神病の感染に過ぎない。 イエスも、その大工としての生存努力から得られた経験から生じた教えは、何も語っていない。 精神病の発症によって、現実感覚が一切失われたことの証拠である。 例えば、「目の中の梁・おがくずの話」も、彼の大工としての経験から得た 「おがくず」の防止・除去方法こそ語るべきだった。だからキリスト教徒は、 「イエスという、目のかなの梁・おがくず」を取り除く方法を、全く知らない。
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945 :神も仏も名無しさん[]:2011/12/06(火) 02:42:01.76 ID:DpjBoP0Z - >>943の訂正
×釈迦は、家庭と毎日の仕事を大切にし ○ダニヤは、家庭と毎日の生活を大切にした、純粋で地に足の付いた若者であり
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