- 仏教議論スレ26
141 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/11/10(木) 18:00:54.24 ID:IYJPqewq - 隠居のこと、追い詰め過ぎたかなという思いはある・・。
昔はここまで酷くなかったし、或る種「純・世俗的な」良識が踏まえられてもいたのに・・。
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- 中絶は神の教えに背いている。絶対に許せない。
279 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/11/10(木) 18:54:53.37 ID:IYJPqewq - >>278
「もともと持っている」のか、「(後天的に)育まれる」のか、 誰も証明できていない。 どちらも、そう言ってるだけ。どちらの陣営も確たる証拠を持っていない。
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- 仏教議論スレ26
148 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/11/10(木) 19:51:38.24 ID:IYJPqewq - 人間の雄は、種付けとしてアチコチに、いつでも、精子を撒くことができる。
人間の雌は、一年かけての一回だけ、妊娠・出産が可能。 仮にも文化を有するならば、どちらが思慮・考慮、庇護の対象たるべきかは一目瞭然と思われる。 また、数少ない機会なれば、相手(受精相手たる雄)の選別に際し、より『意に適う』相手を選ぼうとするのも理の当然。 また、文化的土壌として、性交渉が「想いの通じ合った者同士での特別な行為」という価値観があれば、 上記の選別基準が更に狭き門となる。 また、文化的土壌として、女性に「貞操」(=一人に対して操を立てる)が求められるならば、 (―それは、上記「年一回の妊娠」という生物的制限にも端を発していそうだが―)、選別基準は更に狭くなる。 つまり、文化的に「女性には次のチャンスが無い」ということだから。
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- 仏教議論スレ26
149 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/11/10(木) 19:52:21.09 ID:IYJPqewq -
こうした補正をかけることで、初めて、人類は文化的発展を見ることになる。 その補正のかかり方は勿論様々だ。イスラム的な補正も、現実に存在し、大きな効力を持つものの一つだ。 近代社会は、均質化されてきているとはいいながらも、やはり、地域地域、文化によって様々だ。 日本に於いても、江戸期(その中でも、京・上方、地方、田舎、江戸で違うだろうし)と、明治期、そして戦後、 更には、その戦後も高度成長・バブルを経ることで大きく変わっている筈だ。 そんな中で、本能的に云々という話は、スピリッツとして初心を思い出す程度にしておかないと、 それはリアル北斗の拳を意味することになる。 勿論、「セクハラ」という言葉及び概念も、そうした『補正』の一つだ。良し悪しやその程度・範囲は大いに論じられて然るべき。 しかし、「セクハラ」という言葉が指し示す概念そのものが、その言葉の誕生以前に存在しなかったかといえばそんなことはなくて、 【相似した概念は存在していた。(或いは発生していた)】。 だから、そこに、【指し示す為の言葉が必要だった】。 これくらいの事は当然踏まえなければならない。 日本の歴史に於いても同様であり、 【現在使用される「セクハラ」という言葉がダイレクトに指し示す意味だけでなく、 その言葉が示そうとする≪男女間の力学≫は、そこに文明社会があり男女が共同生活する限り、必ず存在してきたもの】。 これを忘れて「反セクハラ概念」を叫ぶ者は、セクハラを喧伝する似非フェミと逆ベクトルなだけの同類となる。 「反戦、九条、人権保護、反原発、男女平等、自虐史観、特亜崇拝」等々、反面教師はたくさんいる。 皆さん、お気をつけを。
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- ☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート29
811 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/11/10(木) 20:30:04.83 ID:IYJPqewq - >>810
その場合の《習慣》は、各部品が置かれるべき条件(≒文脈)ってことだね。 でないと、コンデンサの代わりに、そこへ電源を置いてもいいのか?ってことになる。 それぞれの部品が、それぞれ必要な場所に収まって初めて回路が機能するわけでしょ。 モノは幻想で、文脈に従ってそこに生じているわけだが、その文脈自体もまた幻想で・・、と。 だから、809の謂いは、基盤の上に部品が設置されるけど、それら部品は幻想だよね・・ と言いたげだが、それではちょいと違うかな・・、と。 幻想かもしれないけど、適材適所として存在しないと、回路が成立しないのだから・・。 回路を成立せしめ、尚且つ、実体なきことを、言葉にしなきゃならないw >>809 ぶっちゃけ、『設計屋』であり且つ仏教にも通じてないとわからんでしょw 外野の者は、各用語やその業界の論理やテクニカルな部分を知らないから、 喩え方も分からないし、喩えられても、ピンと来難い・・w
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- 仏教議論スレ26
157 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/11/10(木) 20:55:21.06 ID:IYJPqewq - >>156
で、 「阿羅漢と仏が違う」ってのが傲慢だとワシは言うw それは単なる《言ったもん勝ち》だよ、と。 それは、転法輪時の6人を、悟っていない、仏でないと見做すことだし、 なにより、袴谷組の道元の思想が変わった発言を責められないだろ?w 初期仏教では『仏』を輩出していないのだから。 初期仏教と大乗仏教で釈尊は説き方だけでなく、その至れる境地の差異を設けたということだからなw
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- ☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート29
814 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/11/10(木) 21:19:20.59 ID:IYJPqewq - >>813
なるほど。 この部品は「ここに、こういう形で、無きゃいけない!」と、既存の(ステレオタイプな)文脈でのみで考えてたら、 新しい歩みは生まれ難いか。 所謂「発想の転換」って奴が生じないと、と。
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- 仏教議論スレ26
159 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/11/10(木) 21:40:05.37 ID:IYJPqewq - >>158
そりゃ、ワシだって現行上座部を知悉してるわけじゃないし、現地調査をしたわけでもない。 けど、『看板』になっていないだけで、行間には滲んでいると思うし、 (最近の著作(の言及の仕方)から拝察するに)、片山さんもおそらくそういう見做しだと思う。 宝珠や在家ほどではないにしても、『誓願』ということ、或いは『慈悲』ということに、 (上で、チベット密教の観想法等も出てたが)「一意の、特意の効果、力、パワー等があり、 それを活かしていない・触れていない(気付いてない)」ということであればその通りと思う。 隠居が批判するように、上座部は(初期同様)『「苦」と見做し、因・縁を遮断し、諸欲煩悩を捨断し、 安楽を得る方法論を説くものだから。 (―ワシ個人は、これが第一であり、慈悲は第二だと昔も今も思ってるけどね・・w―) その方法論の中に、及び付随して要請される支分に、大乗で説かれる諸々から「六波羅蜜」まで、摂まってると思う。 説き方として前面に出てないのはその通りと思う。 しかしそれは、仏教の成立経緯と、上座部の伝承経緯上、大乗ムーブメントのような必要性が生じなかった、 という地域性、文化性だと見る。 ピッチャーは、3ストライクの1アウトを取って、打者を打ち取ったことになる。 3球、6球(フルカウント)と、バットに当てさせずとも、 一球打たせて内野フライでも、同じ1アウトだ。 このとき、後者の方法も、方法だが、「投げ勝つ」という基準の上では前者が基本。 「討ち取れればいい」なら、後者の方が省エネで良い。 ただ、『打たせろ』というのは、ピッチャーの学びの“基本”としてあるかどうか?という感じか・・・。 ここで、この『打たせろ』というのが、基本であり、それこそが、ピッチャーの目的というか存在意義というか、 《本質である》とするのが大乗仏教、みたいな・・・。 (上手く言えてないなw)
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- 仏教議論スレ26
160 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/11/10(木) 22:03:28.66 ID:IYJPqewq - けど、その辺はもう、
本気で入り込んで実地に確かめていくしかないんだろうな・・。 その意味では、↑も、少ない情報による推測ということで、軽く流してくれw (そこまで踏み込めるかなぁ・・・w いや、いろんな意味で・・w(自嘲)
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170 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/11/10(木) 23:41:53.12 ID:IYJPqewq - >>168
>ごく通常の世俗的価値観に立脚した、宗教の負の側面の批判ならば いや、ホントそんな感じだったからw 視野の狭さや、反宗教が先に来るあまりの先入観及び、仏教への無知 (―キ教に関しては、それなりに聖書を読んでそうな感じはあった―)は今と大差ないけど。 それでも、中論のちの字も竜樹のりの字も出てなかったと思うし、 (―その点では、結構勉強家なんだろうとも思うwww―)、 誰かも言ってたが、お釈迦さんに対しても、(鬱病認定はしてたかもしれないけどw)、今よりずっと好評価だったような気がするw このシリーズ、特に議論スレに入ってから、壊れ方が酷くなった感がある。
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