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よしもん ◆JIBI0e8P7s
幸福の科学の信者に聞きたい

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幸福の科学の信者に聞きたい
117 :よしもん ◆JIBI0e8P7s [sage]:2011/09/07(水) 12:37:05.95 ID:TjBjt/gc
>>115

徳川家康はこんな言葉を遺しているようです。

「人の一生は重き荷を背負いて遠き道を行くがごとし
いそぐべからず 不自由を常とおもへば不足なし
こころに望おこらば困窮したる時を思い出すべし・・・」

また、「仁」というドラマで、こんな言葉が出てきましたね。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」

辛いのは自分だけではない、ということ、そして、
神、仏は、与えられた試練を乗り越えて、より強く、たくましく、
智慧ある人間へと成長してほしい、ということを願われている、
ということだと思います。

幸福の科学の会員とて例外ではないと思います。
正しい信仰があっても試練が来ることは、聖書のヨブ記にも
ありました。

「人生は一冊の問題集」である、という教えもありますし、
また、人は、生まれてくる前に、この世での人生計画を
立てて生まれてくる、とも言われています。

その計画は、おっしゃる通り、前世のカルマの刈り取りであったり、
魂の進化のための挑戦であったりします。

いずれにせよ、苦しみ、というものは、魂を磨くための砥石であり、
永遠の魂、永遠の生命から見れば、大いなる喜びを生み出すもの
である、と信じることができた人は幸いである、と思います。
幸福の科学の信者に聞きたい
118 :よしもん ◆JIBI0e8P7s [sage]:2011/09/07(水) 12:52:06.39 ID:TjBjt/gc
>>116

この世のルールにおいては、結果を出す、ということ、
実績を出す、ということが大事です。

しかし、

心の世界においては、また、仏の世界においては、
「思い」それは理想であったり夢であったりしますが、
それが、自分の本当の姿であり、現実というのは、
実は、真なる世界から見れば、夢、幻のようなものである、
というのが、真理であろうかと思います。

これは、もちろん、この世の世界をおろそかにする、
ということではなく、主従を考えた場合、実は「理想」こそ、
つまり、理想を願い続けることこそ、真実の自己である、
ということです。

自己責任というのは、言葉を変えて言えば、
「仏は、私たちに、完全なる、『思い』の自由を与えられた」
ということです。自由を与えられたならば、その結果に
責任を持つのは当然のことです。

因縁とは、縁起の理法です。
縁起の理法とは、色々な説明はあるかと思いますが、
生きとしいけるもの、天地万物すべての存在理由を明かす法則です。
(詳細は、幸福の科学の教えを学んで頂ければと思います。)

仏は、私たちの悟りに応じて、様々な教えを説かれ、その数も
膨大であるため、私たちはときに混乱してしまうこともありますが、
教えのひとつひとつを丁寧に、謙虚に学ぶならば、そこに
人生の問題を解決するヒントが無数にちりばめられていると思います。
幸福の科学の信者に聞きたい
119 :よしもん ◆JIBI0e8P7s [sage]:2011/09/07(水) 13:06:56.61 ID:TjBjt/gc
結局のところ、私たちが苦しむのは、
霊的人生観を得ていないところから発するものである、
と言うことができます。

では、どうしたら霊的人生観を得られるか、
そして、いかにして自分の血肉とできるか。

それは、仏陀、救世主に対する信仰心、そして、
信仰心をベースとした仏法真理の学習にあると
思います。

それは理想論であって、現実はそんなに甘くない、
そこまで自分は強くなれないんだ、と、苦しんでいる方も
おられると思います。

しかし、

そういう方々を見て、仏は涙を流し、そして、天使、菩薩もまた、
なんとかして、救ってあげたい、助けてあげたい、心に刺さったとげを
抜いてあげたい、と願い続けておられる、そういう方々が、
天においても、地においても、存在するんだ、ということを
信じることが大事だと思います。

それを信じることができたとき、おそらく、仏の光が心に届き、
苦しみは消え去っていることでしょう。
それが、信仰の真の功徳である、と思わずにはいられません。
幸福の科学の信者に聞きたい
121 :よしもん ◆JIBI0e8P7s [sage]:2011/09/07(水) 13:27:10.72 ID:TjBjt/gc
>>120
人生まさに四苦八苦、という言葉が正心法語にあります。
ご存知でしょうか。

この苦しみを断ち切る刃(やいば)がある、とも説かれています。

幸福の科学の教えを信じることができるのであれば、
その教えを実践してみることをお勧めします。

あと、どうしても、「思い」が暗いほうへ引っ張られてしまう場合、
反省はひとまずおいて、光明思想で心を元気にする方法もあります。

「光ある時を生きよ − 絶対的勝利への道」 大川隆法総裁先生
幸福の科学出版 http://www.irhpress.co.jp/

生きる勇気と、希望と、エネルギーが沸いてくる、と評判の本です。
読まれてみてはいかがでしょうか。


幸福の科学の信者に聞きたい
122 :よしもん ◆JIBI0e8P7s [sage]:2011/09/07(水) 13:36:25.78 ID:TjBjt/gc
人生の苦しみ、というのは、アコヤ貝が真珠をつくる過程に
似ている、といいます。

美しい真珠も、実は貝の中に入った異物に痛みを感じ、
粘液を出して苦しんだ結果、生み出されたものである、
というお話しがありました。

また、泥中の花、泥中の蓮華、という言葉もあります。
あの美しい蓮の花も、汚れた泥の中に種がまかれ、
水中の中を育ちつつ、水上に見事な花を咲かせる、
それが、仏教的な象徴として、仏像は蓮の花の上に
おわすことが多いです。

美しい蝶も、イモ虫の時代を経てサナギとなり、
羽化登仙のごとく、飛び立ちます。

仏陀は、このように、自然を師として様々なことを
悟られたといいます。

仏陀を信じるならば、これらの仏陀の悟りもまた、
信じることができるはずです。

苦しみを乗り越えたとき、そこに、素晴らしい世界が
開けるのだ、ということを強く信じることです。

そんなことを幸福の科学は教えてくれました。


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