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579 :グノーシス論理の欺瞞[sage]:2011/09/06(火) 12:43:58.05 ID:wqK3c7GJ - >>327 Johannes
まだ、そんなこと言ってるんですか。 あなたは、全知全能の神と言う時、創造以前に「全知全能じゃない存在」が 既に存在していたことを前提として、それとの比較概念として考えるのですか。 あなたは私の質問に何一つまともに答えることができずにいます。 まずは、>>218の質問に答えてください。 >この「流出」に伴う「接触」と「変質」とは、混合でもあり囚われでもある。(>>322) 別世界のない中で何と接触し、何に囚われるのですか。 >俺が真相を追究した答えとして、失われたイエズス本来の教えには結果として >グノーシスが見えてくるということだ。 >グノーシス先に有きで真相を追究したのではないのでくれぐれも誤解するな。 何言ってるんでしょう?あなたはグノーシスが正しいと言ってるのだから どっちでも同じです。
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580 :グノーシス論理の欺瞞[sage]:2011/09/06(火) 12:45:53.22 ID:wqK3c7GJ -
↑>>327と>>322は逆です。
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581 :グノーシス論理の欺瞞[sage]:2011/09/06(火) 12:49:26.04 ID:wqK3c7GJ -
一者の思惟=自己思惟=意図しない流出=だだ漏れ のわけですが、なんとも無能な神です。 堕落人間でさえ、想像力も創造性もあるのに、至高神の思惟の対象はひたすら 「自己」のみで、自己を離れた思考はできないそうです。 何とも、ぶざまな「自閉神」です。
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584 :グノーシス論理の欺瞞[sage]:2011/09/06(火) 13:11:35.09 ID:wqK3c7GJ -
結果的に不完全なデーミウルゴスが出てきちゃったのは事実なのだから ごちゃごちゃ言い訳したところで通じません。 ところで、一者は今も思惟できるのでしょうか? それとも、もう懲りて自慰的引き篭もり状態ですか? グノーシスの論理なら、思惟をすれば、常に同じことが反復されるはずです。 完全から不完全が出てきちゃうんですからね。 おそらく、もう懲りて「引き篭もり自閉自慰行為」にふけってるのでしょう。 あっ、それすらも「自己思惟」だから「ダラダラ漏れ」か。 思惟=流出なんだから、これはもう始末におえません。
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585 :グノーシス論理の欺瞞[sage]:2011/09/06(火) 13:22:31.89 ID:wqK3c7GJ - >>222
>全てに満たされた存在が行いうる「動き」。それは「与える」ということ。 >この与えるという「動き」、それは一者の思惟である 「与える」という言葉は、もともと「動機」を前提とした恩恵表現です。 Aが意図していないのに、AからAの本質が出てきた、としたら、 それは、「漏れ」、あるいは「欠陥」であって、「与える」などとは言いません。 欠陥が生じたから、わけわからない策略で、その修復にあたったわけです。 「与える」などという「愛」を匂わす、安っぽい意図的「印象操作」で 翻弄するのはやめたほうがいいと思います。
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591 :グノーシス論理の欺瞞[sage]:2011/09/06(火) 17:15:25.12 ID:wqK3c7GJ - >>587
>※君は俺の言っていないことを俺が言ったと、アンタは自分で俺の言葉を作り変えている。 はっ? 950>それは大きなビーカーの水が「損なわれる」から「流出」ではないな(シモン) 953>質の問題です。絶対純粋の本質が、絶対純粋から出たとたん不純になるという >論理の矛盾を言っているのです。(私) 957>絶対純粋から出たとたん不純になる」とは言っていないでしょう。だから「流出」 >と言っているのだと思うが。(Johannes) 961>じゃ、そのへんの過程を949の質問とあわせて答えておいてくださいね。(私) 966>不純性は至高者から離れることにより生ずる。 >故に至高の一者と無関係な世界があるわけではない。(Johannes) シモンが、「損なわれる」「損なわれない」にこだわるから、 私は、「量」じゃなくて「質」の問題だろ、と言っている。 絶対純粋の「質」が、絶対純粋から出たとたんに「変質」するのは おかしいでしょ?と。 それに対して、あなたは957で突っかかっておきながら、結局 966で、『 不純性は至高者から離れることにより生ずる。』と私が言ったのと 同じ答えを返した。 私が、至高者を「絶対純粋」と表現したのだから、あなたは、 「不純性は絶対純粋から離れることにより生ずる」と言っている。 それじゃ、全く953の答えになっていないばかりか、私と同じことを 繰り返しただけです。 あなた、大丈夫ですか? >>587も全く答えになっていませんよ。 >>588 答えに窮して遠吠えですか。
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592 :グノーシス論理の欺瞞[sage]:2011/09/06(火) 17:24:23.01 ID:wqK3c7GJ - >>587
>まず第一に、俺はグノーシス信者ではない。俺は何かの信仰者ではない。しかし、君が >【 あ ま り に も 】グノーシスに無知だから(それは悪意に満ちた無知の振りだろうが) >話を進めるために補足として俺なりの説明を入れただけだ。 あなた相当グノーシス擁護してるよね。 あなたがグノーシス信者でなくても結構です。 私はグノーシスの論理展開に欺瞞を感じていますから、説明できるところは、 今までどおり説明してください。わからないところは結構です。
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595 :グノーシス論理の欺瞞[sage]:2011/09/06(火) 18:01:39.42 ID:wqK3c7GJ - >>347
>「一者自身」でない「一者からの流出」が「欲する」(これは欠乏があることを意味する) >のは当たり前。 あなたは量と質を混同しています。というより 「質」 が理解できないらしい。 一者の本質を「純粋性」「真美善愛的価値性」と考えたらわかりやすい。 「真美善の究極」から「真美善の要素」が出てきたわけだが、 これは当然「宇宙全体」にはなり得ないが、『究極の真美善』 の属性の展開である以上、 「欠乏感」はない。「真美善の価値」 とは 「量」 に拘束されるものではないからだ。 ところが、あなたにはこれが理解できない。あくまでも「否、欠乏だ!」と言い張る。 「真美善」から溢れ出るものは「真美善の価値」であって、「欠乏感」ではない。 むしろ「充足感」である。本来、「真美善の価値」とは、「至福の充足感」を もたらすからである。美しい究極の旋律が、究極の音質で流れてくることを イメージしてみたらわかる。 あくまでも「全体」でないことをもって「欠乏」と言うなら、あなたの思考は 「量」に 縛られていると言わざるを得ません。
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601 :グノーシス論理の欺瞞[sage]:2011/09/06(火) 18:14:36.61 ID:wqK3c7GJ - >>347
>「無欲」は一者の属性、そこから流出した一者にあらざるものが、そのような >属性に無いのは論理当然。 何が論理当然ですか。 「全体だから無欲」「全体じゃないから欲望」って、あなたの頭は、「量」に 金縛りにされてますよ。>源泉から流れ出る湯は源泉そのものではないが、 成分は一緒だ(>>372>>373)じゃなかったの? >(「一者」から出ても)「一者」でない以上、「一者」たる属性に不可分たる >「無欲性」はない。 詭弁。欺瞞。 「質」 を全く理解できていません。
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604 :グノーシス論理の欺瞞[sage]:2011/09/06(火) 18:17:54.66 ID:wqK3c7GJ - >>349
>大海からコップで水を一杯汲み取る、それは「大海」という属性を失うこと 「大海」という「全体」でないだけで、「海水」という 「質」 に違いはないから、 大海と同じように、「しょっぱい」 のです。 「大海」から離れたことで「欠乏感」が生じるわけでもないし、「欠乏」を 埋め合わせようとする宇宙の力が働くわけでもない。 「コップの海水」が「大海の海水」と同じく「しょっぱい」ように、 「流出した真美善」は、「本来の真美善」と同じく「無欲なる至福」である。
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607 :グノーシス論理の欺瞞[sage]:2011/09/06(火) 18:22:39.70 ID:wqK3c7GJ - >>350
>先の大海と一杯の海水の同質性と 「大海性」からくる異属性を踏まえれば、 >小学生でも理解できる。 「大海性」 は、「量的比較」からくる概念であって、「海水」の 「質」を規定するものではありません。 同様に、一者の「全体性」は、「量的比較」からくる概念です。 質的には何ら差がありません。 一者が「量」でない以上、一者から出た「質」に、「差分」を埋め合わせよう とする欲望が生じるなどいう詭弁は、全く意味を持ちません。 「質」 とは、「量的全体」 を追求するものではないからです。 「真美善」「神的本性」である以上、それはそれだけで 「充足」しているのです。 たとえ、野に咲く小さな一輪の花でしかなかったとしても、 それは「欠乏」ではなく「充足」なのです。
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