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神も仏も名無しさん
キリスト教議論スレ 005
新キリスト教議論スレ

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キリスト教議論スレ 005
23 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/09/04(日) 13:03:09.53 ID:9NhQfZSK
聖書の冒頭、創世記1.1「初めに、神は天地を創造された。」
 
これを読めば、最初に神だけが存在し、その神が天地創造を開始した、
としか思えない。かりにそうなら、聖書は最初から一元論である。

キリスト教議論スレ 005
24 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/09/04(日) 13:15:01.86 ID:9NhQfZSK
ところが、次の創世記1.2が一元論を疑わせる。「地は混沌であって、
闇が深淵の表にあり、神の霊が水の面を動いていた。」
 
神(神の霊)が創造を開始する前に、すでに「地」があり「水」がある。
神と大地が出発点なら、これは二元論ではないか。
キリスト教議論スレ 005
25 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/09/04(日) 13:33:44.48 ID:9NhQfZSK
その後に創造が開始される。創世記1.3−5「神は言われた。『光あれ。』
こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。
夕べがあり、朝があった。第一の日である。」
  
創造の最初は「光」である。ここから創造がスタートする。
繰り返しになるが、神の前にはすでに、地と水があったことになる。
これはどう読んでも二元論ではないか。
キリスト教議論スレ 005
26 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/09/04(日) 14:01:34.94 ID:9NhQfZSK
キリスト教徒は、神が天地を創造した、という一元論を信じている。
その理由のひとつは、創世記の冒頭が記憶に鮮明に残っているからだろう。
 
もうひとつの理由は、ヨハネ福音書冒頭の影響だろうか。
1.1「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
1.3「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは
何一つなかった。
 
このふたつが、キリスト教一元論の主たる震源地である。
旧約一元論は誤読だから、新約一元論の由来は外国起源なのだろう。
キリスト教議論スレ 005
27 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/09/04(日) 14:51:58.47 ID:9NhQfZSK
ヨーロッパにおける一元論には、グノーシス的なキリスト教だけでなく、
プラトンなどのギリシャ古典哲学の影響もあると思う。
 
一元論なのか、二元論なのか。プラトンをどう評価するかは難しい。
洞窟の比喩(人間は背後からの光で作られた影絵を見ているだけ)は、
真実を知ることなく、真実を生きられない人間の姿を描く。
 
話の内容は、現実とイデアという二元論なのだろう。
だが、イデアを憧れるという意味では、一元論へと向かう可能性がある。
いずれにしろ、どちらとも取れるような微妙さがある。
キリスト教議論スレ 005
28 :神も仏も名無しさん[]:2011/09/04(日) 15:04:54.68 ID:9NhQfZSK
パウロもプラトンを学んだはず。
かれの話は、霊肉二元論のようだが、結局は霊の一元論へと向かっていく。
この話し方が、プラトンの話し方とよく似ている。
 
キリスト教と、プラトンなどのギリシャ古典哲学は、
一元論的である点で親和性があり、相互に依存しながらヨーロッパに
定着したのかもしれない。少なくても対立するものではない。
新キリスト教議論スレ
451 :神も仏も名無しさん[]:2011/09/04(日) 17:17:47.48 ID:9NhQfZSK
>>447
そんなに何種類ものヘビが登場するのですか。ある意味、異常ですね。
日本語の聖書でも確認できるのですね。



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