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神も仏も名無しさん
キリスト教なんでも質問箱

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キリスト教なんでも質問箱
331 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/08/14(日) 07:16:03.90 ID:KSDmgIrs
人間は、神(いのち)と肉体(物質)からなる矛盾した存在である。
これだけでは、まだそこに善も悪も登場しない。
しかし、神を善なるものとした時、その相手方である悪も登場してくる。
悪なるものの正体は物質である。それ以外に何もないからである。
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332 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/08/14(日) 07:31:47.18 ID:KSDmgIrs
人間は物質が悪であるとは思っていない。なぜなら物質によって生き、
物質の有り難さを百も承知しているからである。
 
そのため、神を善なるものと考えるとき、その相手方は物質ではなく、
悪魔、悪霊、死霊、呪い、罪深さやケガレなど置き換えられる。
その正体(物質)を無意識の世界に隠してしまう。
 
神=命=善 であれば、肉体(物質)=死=悪 である。
しかし、肉体(物質)に愛着するから、この等式がまるで読めなくなる。
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333 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/08/14(日) 07:50:33.21 ID:KSDmgIrs
神と物質が無関係に存在するだけなら、この世は死の世界である。
神と物質が関係することによって、生き物が誕生する。
 
この地上に人間や生き物がいるのは、苦しみ、罪にまみれるためではなく、
人間や生き物が神の目的になっているからではないのか。神の目的とし、
物質の目的としないのは、物質に意識があるとは考えられないからである。
ただし、意識の有無に関係なく、神と物質は対等な存在である。
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334 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/08/14(日) 08:12:23.43 ID:KSDmgIrs
神の目的は、この地上に人間や生き物を誕生させることにある?
そう考えないと、人間や生き物の存在を否定しなければならなくなる。
しかしこの考え方には異論もあると思う。
 
アミダ教やキリスト教やイスラム教は、ほんとうの人生は死後にあり、
極楽や天国や楽園での生活にあるのだと教えている。
グノーシスは至高神を設定し、この世を悪神の失敗作として切り捨てる。
ヒンズー教は輪廻転生を説き、この世からの解脱が究極の課題である。
 
仏教はヒンズー教の流れに位置し、やはり解脱が究極の課題である。 
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335 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/08/14(日) 08:23:02.88 ID:KSDmgIrs
いずれにしろ、この世を否定する考え方には、基本的な欠陥があると思う。
いやなら死ねばいい。しかし簡単に死ねないのは、人間や生き物が元来、
この世で生きていくように設計されているからではないのか。
 
わりに現実肯定的な教えは、神道、ユダヤ教、儒教、道教などだろうか。
スキのない精緻さ、練り上げた宗教哲学は欠けるが、これらを土台に、
新しい宗教を構築していく必要があるのではないかと思う。
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336 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/08/14(日) 08:49:29.28 ID:KSDmgIrs
男と女は、この世(肉体・物質)に執着する度合いが根本的に違う。
一般的に言えば、弱い者、幼い者の方が自己愛が強く、この世に執着する。
なぜなら、そうでなければ、この世で育たないからである。
 
女性・子供・障害者・孤児などは、自己愛が強く、物質への執着心も強い。
それは当然なのであって、そうでなければ生きていけないからである。
こういった心の動きは、神が用意したものだろうと思う。
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337 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/08/14(日) 09:05:50.05 ID:KSDmgIrs
自己愛や執着心は、褒めるべきでもないが、けなすべきでもない。
それらは罪でもなければ、軽蔑すべきものでもない。
かれらは精一杯生きているだけである、などと思うべきなのだろう。
 
ただ、それが度を越せば、周囲は迷惑だなあ。
だんだん人が遠ざかって行くだろう。→ これが自然の流れである。
そうされたらかれらも軌道修正する。→ これが自然の流れである。
 
反応は鈍いが、世の中はうまく出来ているのかもしれない。
心が成長するのは、時間がかかるものなのだろう。
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338 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/08/14(日) 10:26:27.88 ID:KSDmgIrs
弱い者、幼い者が自己愛が強く、執着心が強いのは当然である。
しかし、成長した時、自分が強くなった時、相手が自分より弱い時は、
自己愛から離れ、執着心からも離れるべきである。
相手への思いやりを学ばなくてはならない。これは男も女も同じである。
 
世間ズレした大の男が自分中心に行動するなら、
周囲にとっては危険きわまりがない。そういった男は周囲の災いである。
そばにいれば必ず損をし、命を取られる覚悟がいる。
まあ、年取ったおばさんにも、そんな雰囲気の人を見かけることがある。
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339 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/08/14(日) 11:03:30.49 ID:KSDmgIrs
男は家族を守り、所属する共同体のために戦わなければならない。
だから、死を直感し、生きる意味を探し始める。
男の重大な関心は、神探しであり、神がいるのかいないのかにつきる。
 
女は、子供を産み、育てなければならない。
そのためには、だれかの助けが欠かせない。自分の弱さを感じるがゆえに、
だれかに愛されたいという思いと、生活を成り立たせる物質への執着心に
心を奪われてしまう。女の心はより物質へと向かう。
 
神と物質は対等であり、人間が地上で生き続けるためには、
物質に向かう心も必要である。それも神の配慮だと言うことである。

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340 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/08/14(日) 11:37:44.99 ID:KSDmgIrs
男は神探しをし、女は大地へと向かう。これは一般論に過ぎないが、
人類史上、ナントカ神と名がつく存在を考え出したのは、
すべて男だったのではないかと思う。
 
だからたとえば、ヒンズー教におけるシバ神の妻、パールヴァティーも、
ドゥルガーも、カーリーも、インドの男性が考え出したものであり、
男性の女性観がイメージされているのではないだろうか。
 
キリスト教のマリア、旧約聖書のエバ、神道のイザナミなどにも、
同じことが言えるのではないだろうか。地母神もそうだろう。
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341 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/08/14(日) 11:56:26.99 ID:KSDmgIrs
女性が地母神として崇拝されたのは、土地が広く、自然が豊かであり、
子供がいくらでもほしい時代だった、からではないだろうか。
 
その後、人口が増え、土地を争うようになれば、働き手としても、
兵士としても男が必要であり、女の地位が低下していく。
地母神は見捨てられ、男神が信仰の中心になる。
 
このような経過だとすれば、現代は人口が過剰な時代であり、
地母神のような神が復権する可能性はないだろう。
女性信者を呼び集めるため、男神の妻という設定ならありえるだろうが。


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