- キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます 6
238 :神も仏も名無しさん[]:2011/08/14(日) 14:01:16.53 ID:7dvAxDcQ - >>237
その嘘八百が何千年も続いて、 今でも10何億もの人間が信じていて、 累計すれば何百、何千億もの人数にのぼる人間が信じていたんだから、 逆に奇蹟じゃない? 人間業じゃないな
|
- キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます 6
242 :神も仏も名無しさん[]:2011/08/14(日) 15:01:04.95 ID:7dvAxDcQ - >>239
まず証明の前に、 その証明が根をおろしている根本原則について説明する。 ユークリッドによれば公理(axioma)は一切の学の原則であって、 全ての命題は、結局ここに持っていかれるという。 現行の証明には二つの原則がある。 (1)人間の理性と感覚の自明性は信頼に値する (2)存在し始めたものは、それ以外の何ものかによって 存在させられた(原因と結果の法則) これらの根本原則に関しては証明の必要がない。 公理はそれ自体の光を持つもの、 すなわち自明の真理で、 それを否定するものは誤った先入観のある者、 思考能力がない者、アブノーマルな精神の持ち主として除外する
|
- キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます 6
244 :神も仏も名無しさん[]:2011/08/14(日) 15:17:55.68 ID:7dvAxDcQ - (1)従属性による証明
この世の万物はみな変化と死滅という運命を担っている。 植物、動物、人間はみな存在にあらわれてくる。 しかしいずれみな死滅していく。 生命のない石や鉱物等の物質も形を変えたり、 原子の崩壊等で別の物質に変化する。 生物は他者から栄養を摂取し生命を維持し、 物質も電子が他者によって動かされなければ存在できない。 この世の万物はみな他者に依存し、従属的な存在なのである。 従属的な存在は自らの力では存在できない。 自ら存在する、他に従属しない必然的な存在がなければ この世の万物は存在できない。 自力存在は存在それ自体が本質となる。 では自立存在とはどのような存在か。 生命のある植物、感覚のある動物、理性のある人間を含めた宇宙の全てを、 存在に保っていく絶対存在、自立存在はそれら生命を含むゆえ、 生命に溢れた能力でなければならない。 かれは至高の存在で、自分自身の存在の鍵を自分自身に納めている存在でなければならない。 カトリックではこの存在を神と呼ぶ
|
- キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます 6
247 :神も仏も名無しさん[]:2011/08/14(日) 15:53:03.73 ID:7dvAxDcQ - (2)運動による証明
ものがみな動いているということは、経験が教えてくれる。 この世界には完全にそれ自体の力だけで動くことのできるものは何もない。 他者から助けをもらって動いている。 自分の運動の完全な説明をそれ自体の内にもっていない。 生命のない物質についてはどうか。 これらは動かされる時にだけ動く。 自ら動き出すことはない。全運動を他からもらっている。 この考察を地球とか天体に当て嵌めてみる。 これらが運動しているのは周知の事実だろう。 地球が軸に従って運動しているのは証明済みだし、 太陽の周りを回っているのも疑問がない。 では地球は地球自体の運動をどこから受けたのだろうか。 多くの自然学者は螺状回転していた太陽が、 地球を破片のようにはじき出したとき、 地球は太陽から運動を受けたと説明する。 では太陽は一体どこからその運動を受けたのか。 一説によれば太陽は以前に属していたさらに大きな天体から、 その運動を受けていたとされ、他の説によれば、 二個の星が衝突したとき、太陽が出来上がり、 同時に運動が起こったと説明されている。
|
- キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます 6
248 :神も仏も名無しさん[]:2011/08/14(日) 15:55:27.88 ID:7dvAxDcQ - ではより大きな天体の運動の原因は何か、二個の星の運動はどこからきたのか。
自然科学はこれに回答を与えてくれない。 与えてくれたとしても、以上のような答えである限り、 我々は問題の出発点にそのまま立っていることになり、 根本的な解答にならない。 これに解答を与えるのは、運動が直接的であろうと究極的であろうと、 ともかく動かされずに動かす原因、すなわち 運動の第一原因に帰せられることが分かって、始めて問題が解決する。 そのために自分が運動を与えた宇宙から峻別された存在がなくてはならない。 この存在は、運動の第一原因であるか、またはそれ自体もまた他から動かされたものか、いずれかになる。 もし運動を与えたこの存在も、他から動かされたとするなら、 何によって動かされたのか。 要するに、運動の原因という問題の完全な解決は、 動かされずに、動かす第一原因に到達して始めて釈然とする。 その運動の第一原因をカトリックでは神と呼ぶ
|
- キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます 6
249 :神も仏も名無しさん[]:2011/08/14(日) 15:59:25.00 ID:7dvAxDcQ - >>245
汎神論じゃない。 この世の万物は被造物であって神ではないから。 これも法則によって証明できる。 悪魔が神に依っているというのはその通り
|
- キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます 6
252 :神も仏も名無しさん[]:2011/08/14(日) 16:13:20.43 ID:7dvAxDcQ - >>250
現代科学に相成れないも何も、 理性や感覚に信頼がなければ文化、文明、科学の発達は有り得ないし、 アインシュタインやプランクも原因と結果の法則は認めているんだが
|
- キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます 6
253 :神も仏も名無しさん[]:2011/08/14(日) 16:17:24.73 ID:7dvAxDcQ - >>251
あとあなたがそう思っても、あなたが勝手に考えたことだから全く構わないが、 これらの法則はあなたがどう思うかに関わらず存在するからね。
|
- キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます 6
256 :神も仏も名無しさん[]:2011/08/14(日) 16:34:26.43 ID:7dvAxDcQ - >>254
先に書いた証明からも分かると思うが、 神は唯一(unique)でなければならない。 神が二つ以上あれば、それは第一原因になりえず、矛盾が生じる。 あなたの説明にもある通り、汎神論はこの世の物そのものを神とする説で、 神が複数存在することになり、 上に書いた通りの矛盾が生じる。
|
- キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます 6
259 :神も仏も名無しさん[]:2011/08/14(日) 16:44:50.30 ID:7dvAxDcQ - >>255
そもそも「分からない」と書いないし、「絶対」とも書いてない。「信頼できる」と書いたんだが。 もちろん人間は全知でないから、全てを知ることはできない。 ただ理性による認識は、信頼に値するというつもりで書いただけだが。 先程の公理はユークリッド等の偉大な何人もの哲学者、科学者が理性と自然からの研究、 経験から発見した法則、真理であって、 科学も昔も現代も関係なく成立するんだよ。 1+1=2、三角形の内角の和は180度とかみたいな法則なんだよ。 ある個人がいや違うだの、おかしいだの否定しようが、 絶対成立するんだよ。 だから、思考能力がなかったり、アブノーマルな精神の人間は除外すると書いたんだが
|
- キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます 6
263 :神も仏も名無しさん[]:2011/08/14(日) 18:21:15.24 ID:7dvAxDcQ - >>261
どこに科学的なやり方はアブノーマルだと書いてある? 真理や法則を否定する人間がアブノーマルだと書いたんだが。 あと俺は科学的方法論の是非を説いている訳じゃない。 哲学において人間とは理性的な動物とされている。 ここにおける理性とは推理能力であり、 人間はその理性の力をもって、物事を表面だけでなく、 本質まで認識、知ろうとする。 その能力が信頼に足るもの(もちろん絶対ではない)であり、 それを信頼できなければ、 その能力で発見したこの世の諸法則の上に成り立っている 医学、生物学、数学、物理学あらゆる学問は信頼できないものになり、 さらにそれらを土台にしているこれほどの文化、 文明を築くことはできなかった。 あとあなたの言う真理とは? 真理とは「それ以上の説明の要らない自ら明かな不変で普遍の法則」であり、 1+1=2ももちろん該当するし、従属性の法則、原因と結果の法則も当て嵌まる
|