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866 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 00:47:59.23 ID:sY7XFnkx - >>862
君はやっぱりイイ論客だよw その方向性を、「皮肉、揶揄」或いは「中傷」或いは「嘲り」としての投石でなく、 「丁寧な」「筋道の上に」、公的な問題提起として示すような人物は(少なくとも2chには)皆無だからね。 皆、遊戯遊興か誹謗攻撃かのスタンスでしかレスしないからね・・。 だから、非常に重要な問題であるにも関わらず、(内部に於いては当然の如く)等閑視されてきた。 哲学畑なら、大いにあり得べきスタンスとは思われるが、 今度は、宗教的側面、実践的側面、思考でなく、現実的継承・伝承の上での、 具体的現実的視点が欠けていく。(それは、良くも悪くも哲学の哲学らしい面でもあるのだが・・) たとえ、(認識論的に、体験的に、【そして主観的に(!)】)、法界の性を一切唯心の造なりと観ずるとしても、 【普遍性の担保】が何によって爲されるか、は重要問題の筈だ。 そしてこの普遍性は、仏教の枠という閉じた系の中でさえ適用し得るものかどうか、一抹の疑義を消除し得ない。 それは、たとえ哲学徒との対話を避けても、仏教内に於いて、いつかは直面せねばならない事態ではある。 >>863 「艶々ふっくら」と「パサパサドライ」の違いを見極める目が養われていなければならないし、 【どちらが、ふさわしいのか(≒適しているのか)】を判断する分別が養われていなければならない。 たとえ「一目瞭然」であっても、そこには、【或る基準に基づいた】選別がある。 結局、その判断基準は「俺様基準」か「文献基準」か「師匠基準」(先達・伝承基準)かであり、 全てが主観的認識の上にあるものなら、後者「文献基準」「師匠基準」も、所詮最後は「俺様基準」によって、 一つの結論へと落とし込まれることになる。 >それまで炊飯を食べたことない人でも「本来の在り様」がどちらかわかる。それくらい違う。 【炒飯作るときは】、パサパサドライの方が適しているぞw
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867 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 00:48:54.63 ID:sY7XFnkx -
*(いや、明らかに違うのは確かにその通りだと思うけど。 それは「明らかに違う場合」。 ハイレベルな微妙な差異であった場合、その分別は難しい。 たとえば、現代常識への阿諛と一代が批判するベクトルは、かなりの範囲で採用されている。 人間釈尊を考えるなら余計にね・・。 宝珠や在家ほどの相違があればよいが、 往々にして微妙だったりするし、大乗諸派、日本仏教諸派は、明らかに違うけど、 そのエッセンスとしての同種同質を見てるだろ?しかし、違うのであれば、そこにはやはり優劣を設けることになる。 現に、一代は「パーリは見解が低い」と言った。そのことの虚実は別として、 上座部の聖者(阿羅漢)とチベットの聖者(阿羅漢?菩薩?)とでは、どちらの言っていることが、 より正当性を持っている? 一般人にそれが判る? >生きている人の自然な反応 は、 双方が尊敬の対象でしょう。一代批判のゲルク派の僧でもいい。 結局、「違いは自然に感得される・相違は自明である」ということは、その差異が甚だしく明瞭である場合に限られる。)
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915 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 16:35:29.43 ID:sY7XFnkx - >>910
宝珠や在家を、オウムや統一教会等と同じ扱いをするわけではないが、 (もっとも一在家の方は、それなりの監視が必要なグループといえるかもしれんが・・w)、 >>909にあるように、「外れでない」、 「人格的に良性・上品であり」「社会的に好評価可能性の高い」《人物》、或いは《思想、理屈・理論》に於いては、 あなたの言う通り、「見究め可能」かもしれない。 しかし、双方がそうした長所を有しているにも関わらず、幾つかの点で相違があった場合どうするんだ? まさに、(このシリーズ的に言えばw) 「仏教は無我だ」という主張と、「無我と言っていない。非我と言っている。釈尊に於いても我は想定され、容認されていた」 という主張と、うやむやにできるか? 勿論、後者は神智学に直結している。 君は、人格者が、(それこそオーラを纏ったw行者が)述べていれば、神智学の教義でも仏教と言うのかい? そういうことをも視野に入れねばならない。 また、別の問題(―信じ、歩んだ先の自身の果実(内的体験)に対しての同様の危惧―)も生じる。 本来的にはこちらの方が重大だ。 独善的妄想、夢物語でないことを何によって担保し得るのか?と。 そこには、客観的指標が必須となってこないか? と・・。 (哲学的・認識論的に、『「客観」なぞあり得るのか?』という疑義はさて置き・・・。) 参: ☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート25 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1265848995/619 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1265848995/631-632 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1265848995/656-657 参: 【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】4 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260569824/698 【@規制】心と宗教板避難所総合【@鯖落】 http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1262698032/42-48 (さらに参:http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1265848995/601-604)
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916 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 17:18:53.50 ID:sY7XFnkx - 【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】6
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1245923448/243 〔 『法』の多義性、その定義の範囲 概略 〕 (仮) 「法」( dhamma ) ┃ ┣「摂理、理法、自然的因果」( dharma / dharmin ?) ┣「理屈、ことわり、論理的整合性」 ┃ ┣「おしえ」( sAsana ) ┃ ├「縁起」 ┃ ├「四諦」 ┃ └「種々説かれた個々のおしえ、法門」(八万四千云々) ┣「経」 ┃ ┣「識の対象(法境)」 ┣「(根境色の)境」(色声香味触法) ┗「一切の(認識可能な)存在、“もの”“こと”」(「名色」「五蘊」「五蘊十二処十八界」) └「上記プラス無為法」 └「上記プラス 認識不能な領域に属する“真理”“真の在り様”“存在を有らしめるものとしての根源”」 (→後期大乗としての、法界、真如、華厳界、曼荼羅etc.etc.の先にあるもの、 或いはそれらを支え、成立せしむるもの) 参: http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251941580/566-567 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251941580/586
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921 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 20:07:59.81 ID:sY7XFnkx - >>920
アホ全開フルスロットルだなw 仏教だけでなく、インドに於いて、およそ思想的形式を持つものは、 すべて、《それぞれの中での「おしえ」や「経」に当たるもの》に『dharma』の語を当ててるんだよ。 紀元前から続く、インド人の常識なんだよw 解る?w そういう性質(「おしえ」や「経」といったものが、其々の共同体中でどういう位置付けのものか等)を持つものもまた ダルマと言い倣わされているんだよ。 英語のlawもそうじゃないのか? 日本語の法もそうじゃないのか? 『法とは制定された法律(行政法)のことだけを言う。それ以外は法ではない』とでも言うつもりか? 語源探索するまでもなく、現行語義からも、十分演繹できる範疇なんだよ。 ttp://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=law&stype=1&dtype=1 ttp://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E6%B3%95&dtype=0&dname=0na&stype=1&index=16717500&pagenum=1 ttp://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E6%B3%95&dtype=0&dname=0na&stype=1&index=14485800&pagenum=1 自分一人だけの妄想で語義定義するつもりかw 笑わせんな、ボケが・・。
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929 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 21:30:20.83 ID:sY7XFnkx - >>925
そりゃそうだw だって、アレ(>>916)は、【仏教内の術語としてのdharma】の話だから。 正式な、古代インドの用語としては、下位におかれる語義だ。 しかし、辞書内に記述されないものではない。 たとえば〔仏〕という但し書き付でw なぜなら、それもまた、語義の歴史的変遷の一ページだから。 日本語の辞書でも、たとえば〔哲〕という但し書きで記述されることがあるだろ?w それは、一般的ではない・常識的用例ではないけれども、認知され、それなりの使用頻度のある語義だからだ。 同じことだよ。 ちなみに、仏教は、インドで一時代を築いているので、 当然、dharmaの語義として、仏教的用法は(注意喚起の意味も含め)特記されるべきなのさw つか、ほんと隠居は≪物事の構図を見る能力に欠けてる≫よなぁ・・。
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935 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 21:56:09.01 ID:sY7XFnkx - >>932
だからwww >伝統としては1000年を >ですから時間による淘汰圧に耐えたことは という、【自身の主観・体験】でなく、【(外的)情報】を基準にしてるじゃないですかw その情報は、《そうした時間的スパンがある》ということだけが担保している状態です。 五比丘を説得した際、100年を越えた淘汰圧を潜り抜けていたのでしょうか?
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937 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 21:59:29.62 ID:sY7XFnkx - >>933
アホかw 「普遍性」を欠いた語義なぞ、掃いて捨てるほどあるぞ。 お前は、何にこだわってるんだ? つか、もともと、言語(語義)ってのは、【或る限定的共同体内部での隠語の集大成】だろうがw そういう姿すら見えないか? 語学は専門じゃなかったのか?www
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941 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 22:11:25.19 ID:sY7XFnkx - >>938
うむ、その正直な台詞が欲しかったw 隠居みたいなの(或いは、いちびった“てすと”みたいなのw)を相手にするときは、 どうしても、『カルトとは違う!』『新興宗教とは違う!』 「当時の仏教は新興宗教でしょw」の指摘には、 『弊害、狡猾さ、金儲け、騙し、非整合性などなど、もろもろの欠点がない!』的なこととかを述べて、 その共通性については一切触れないのが多いからね。 別に、中沢新一や島田裕巳を庇う気はないがw、 規模拡大途中の当時のオウムと初期仏教に「共通点が無い」なんて、さすがに恥ずかしくて言えないよw それは、仏教が持つ特質の一つをも同時に否定することになるからだ。 だから、そうした点も踏まえた上で、『仏教とは、これこれこういうものです』と語っていかねばならないし、 宝珠や在家のようなのとは戦っていかねばならないw
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944 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 22:19:06.81 ID:sY7XFnkx - >>942
だからwwwww 言葉の意味ってのは、「普遍性が泣ければならない」なんて絶対条件は無いんだよw ほんとアホだな・・・。 辞書に載ってる言葉は全部真理なのか?www
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948 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 23:03:16.05 ID:sY7XFnkx - >>945
そ。 ストイックに、表層でなく深奥に触れんとするならば、 大乗仏教のハードルは遥かに高い。 比べてしまえば、上座部や部派、或いは小乗諸派wの方が、楽なことこの上ないw 現世利益、或いは単純な理想郷の希求に甘んじるなら、確かに易行だ。 だが、そのもう一つ先へ行こうと思った時、 大乗仏教が個々人に要求するスキルは極めてハイレベルだ。 ここが見えない者が、庶民派大乗を標榜する。 アホかwと・・。 法然にしろ親鸞にしろ、六祖にしろ道元にしろ、そんな甘っちょろい「○○だけでよい」では無かった筈なのだ。
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