- 聖公会スレッド パート3
135 :神も仏も名無しさん[]:2011/06/30(木) 01:03:51.94 ID:vr6Lm34t - もしこのような事件が社会的に認知されている学校で発生したとしたならば、犯罪を犯した管理職に対してどのような処分がくだされるだろうか。
教師が複数の女子生徒に対して立場を利用して性的虐待を繰り返したとする。 そして事件発覚後も被害者側に対し加害者側学校の管理職達が不誠実な対応をし続け新聞や雑誌で取り上げられたとしたならば、社会はその企業をいったいどのように見るであろうか。 また、そうした対応をしている管理職達に対して、理事長や校長はどのような処分をくだすであろうか。 健全に物事を考えられる学校組織であるならば、犯罪を犯した教師は当然ながら懲戒解雇であるし、もちろん退職金も支払われない。 学校でなくとも一般企業でもそうであろう。 上司がその立場を利用して部下の女性に虐待を繰り返したならば、即座に懲戒解雇であろう。
|
- 聖公会スレッド パート3
136 :神も仏も名無しさん[]:2011/06/30(木) 01:05:06.37 ID:vr6Lm34t - しかし聖公会は面白い。
被害者の話をろくすっぽ聞かずに嘘つき扱いして身内をかばい、そして事件が事実であるとわかっても平気で退職金を渡して依願退職扱いする。 そしてその後も組織の幹部達は被害者を攻撃し続け、彼らもまた何のお咎めも無い。 学校や企業でこのような事があったならば、極めて悪徳な企業、もしくは悪徳学校法人として社会に認知されることであろう。 また、全国企業の支店や地域ブロックで発生した犯罪であっても、すぐに本社が解決に動き出すだろう。 聖公会は、組織的に見た場合、そういった社会的常識は関係無い組織であることは明らかだが、本当にそれでいいのだろうか。 ましてや利益追求や管理職を満足させるために存在している組織ではない、キリスト教組織のはずなのだが、何故にここまで方向が狂っているのか不思議でならない。
|
- 聖公会スレッド パート3
137 :神も仏も名無しさん[]:2011/06/30(木) 01:28:32.27 ID:vr6Lm34t - 私も長らくそれなりの企業の管理職として働いていたが、正しく問題を解決する能力は、身に付けなければ最重要課題のひとつである。
それが身についてない場合は、管理職にはなれないし、もし仮にないままなっても、不充分であることが発覚したならば、左遷や降格は当たり前であった。 社会的に認知されている企業であればあるほど、それは厳しいものである。 ましてや非人道的、非道徳的、非人権的なことに関しては社会の目も厳しい故に、社内でも近年とても厳しくなって来ている。 犯罪など当然であるが、パワハラ、セクハラも、このくらいいいだろうなどとは決して言えないものである。 キリスト教組織である聖公会よりも一般企業の方がこうしたことに対して自らを厳しく律しているというのは、あまりにも不自然極まりない。 ただし、聖公会の組織状態がカルト状態であったならば健全な企業以下の思考や対処しかできないであろうし、実際にこのような問題を未だに解決出来ない今の主教や司祭の状態を見ても、 とてもではないが健全ではないし、組織人としてもいかがなものかと思う。
|
- 聖公会スレッド パート3
138 :神も仏も名無しさん[]:2011/06/30(木) 01:51:53.55 ID:vr6Lm34t - 解決出来ない理由を、被害者側支援者のせいだという話も出ていたが、それはまったくおかしい話である。
もし仮に、支援者が強い弁護士だとしたらどうするのだろうか。 そういう時は当然、その弁護士を通して解決しようとする本気な態度と能力がなければならばい。 がしかし、聖公会の主教や司祭には、その本気さも能力も備わっていないようだ。 それは人を導く立場の社会人としては大きな欠陥である。 この事件について、とある司祭と話をしたことがある。 私は尋ねた。「もしこの事件の被害者が司祭の身内だったらどう思いますか」と 司祭は顔を真っ赤にして「絶対に加害者を許せないし、そんなことを考えるだけでも嫌だ!」と怒った。 しかしこの事件に関しては、彼は「しかたない」で終わった。 自分の身内ならば怒るのに、他人の事には「しかたない」ですませる。 主教や司祭ならば【もし主イエスならばどう行動するか】を考えるのが本筋ではなかろうか。 【先生】とさえ呼ばれる事を拒んだ主イエス。 役職・肩書き・プライド・権力・それに伴う収入etc. きっと主イエスが聖公会にいたならば、それらを捨ててでも、被害者のために尽くすであろう。
|
- 聖公会スレッド パート3
139 :神も仏も名無しさん[]:2011/06/30(木) 02:16:45.16 ID:vr6Lm34t - カトリックの神学者の書いた「人間の問題と神への問い」という書の中に次の文がある。
「ルーサー・キングは20世紀キリスト者の模範であったが、どんな迫害も恐れずに不正を弾効した。 これほど不正のはびこる社会にあってキリスト者がもっと迫害されないのは不思議なくらいである。 それは、キリスト者が福音にオブラートを被せ、その場を取り繕っているような不徹底さがあるからではないだろうか。 今や既存の制度・組織や、巨大な事業の維持に日夜骨身を削ったり、 教会内外の各方面にある生存競争に熱中しがちな信徒は、 ともすれば、伝道技術の開発に知恵を絞るよりも、まず山上の説教を読み返してみる必要があるかも知れない。 (これは末端信者へというより、神父への助言であるように思われる)
|
- 聖公会スレッド パート3
140 :神も仏も名無しさん[]:2011/06/30(木) 03:16:31.62 ID:vr6Lm34t - 和解するには、最低限、当時から今までの間違った判断や非人道的対応をした主教や司祭が、公式文書として、間違いを犯した経緯の報告と謝罪をすることが必要であろう。
聖公会新聞はもとより、事件を記事にしたキリスト新聞にも掲載は必要かも知れない。 (アエラまでとは言わないが) もはやこの事件は、社会全体の問題でもあるし、実際、多くの人々に衝撃と傷を与えているのだから。 主教や司祭にもし信仰があったならば、主イエスが共にその罪を背負ってくれ、回心させてくださることを信じているだろうから出来るはずである。 もし出来ないというならば、信仰がない、もしくはイエスを信じてないということの現われであるから、当然ながら聖職はすぐにでも退くべきである。 また、教区の財から引き出して加害者に渡した退職金も、当然ながら返還させるべきであろう。
|
- 聖公会スレッド パート3
141 :神も仏も名無しさん[]:2011/06/30(木) 03:18:38.53 ID:vr6Lm34t - 加害者側が被害者側に対話したいと申し出ても、被害者側にとっては何を話してくるのか非常に不安なものである。
言い訳をしてくるのか。 それともまた圧力をかけてくるのか。 謝罪してくるのか。 仮に謝罪ならば、本心からか、口先だけなのか。 また、直接に会うことによって被害者のPTSDが悪化しないかということも考慮しなければならない。 もし会うとなったならば何を被害者に伝えたいのかを前もって公表しておくことが必要であろう。 それが公的な謝罪文である。 謝罪も無しに和解は有り得ない。
|
- 聖公会スレッド パート3
142 :神も仏も名無しさん[]:2011/06/30(木) 03:20:00.71 ID:vr6Lm34t - 公的に謝罪文を掲載すれば、それは必ずや被害者家族にも何らかの形で内容が届くはずである。
被害者の女性に直接というのは難しいかも知れないが、少なくとも被害者の父親と、正式に代理人として立てている被害者支援者には、誤った対応をしたことを謝罪すべきであろう。 それができなければ、和解は有り得ないだろう。 まさか加害者側が金で済まそうなどと考えてはいるまい。 人間、主教であろうが司祭であろうが常置委員であろうが、クリスチャンであろうがなかろうが 誰にでも間違いを犯すことはあるし、非信仰的判断をしてしまうこともある。 個人の内在する罪であれば神への懺悔だけでいいかも知れないが、他者を傷つけ多大な迷惑をかけた場合は、その人に対してきちんと謝罪出来る大人になってもらいたいものである。 それは、個人でも、企業でも、宗教団体でも、被害者と和解するためにも最も大切なことであろう。
|