- 天理 2
445 :せめて十行で語る基本。[]:2011/06/20(月) 00:05:11.78 ID:TS0MgTG6 - >>295 :基本:2011/04/07(木) > 第3号 10 この水をはやくすまするもよふだて すいのとすなにかけてすませよ
つまり、汚水の水に「水こし」で「掬い取るように」して放射能をすまして行くと言う方法が示されています。 汚水の底に沈めるのは、「こした」とはなりません。 そこで、次は「砂」というのは、何かと言う思案になります。 そこで、次のようなニュースがあります。 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1273405833/l50」 6/4 福島県の川の水は大丈夫だが、川底はやはり汚染されていた! 福島第一原発の事故を受け、環境省は3日、福島県中通りと浜通り地方の23河川29地点で実施した水質と川底の放射性物質濃度の調査結果を発表した。 川の水は、全地点で放射性物質が検出されなかった。 ↑ つまりそれは、川の砂に放射性物質が付着して、河川の水には汚染が消えていたと、意味します。 おやさまの6筆先に言われたとおりの方法で、底には「砂」、そして、みずこし(すいのう)。を用いていたら、「日米仏・原発企業」のような、失敗はしなかったということです。 それは、伊勢の神木の教訓に学ぶことでもありましたね。
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446 :せめて十行で語る基本。[]:2011/06/20(月) 00:15:39.12 ID:TS0MgTG6 - 「放射能は破壊する」 筒内の水素ガスを逃がす上部の安全装置から漏れ出したらしい
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1273405833/295 (2011年6月19日23時40分 読売新聞) 汚染水処理、また漏水…運転再開は20日以降 東電によると、水漏れが見つかったのは米キュリオン社製の装置。放射性物質の吸着剤が入った筒を囲う容器の底に、約30リットルの水がたまっているのが見つかった。 筒内の水素ガスを逃がす上部の安全装置から漏れ出したらしい。 東電は19日、この装置につながる弁を閉じて、吸着剤の種類を変えた実験通水を始めた。 同原発ではタービン建屋地下などで汚染水が増え続け、海にあふれ出す可能性が高まっている。 テクノロジーの最高をもってしても、放射能の「破壊力」には手を焼いている。 おやさまのオカルトは、水底には砂、当然水晶が大量に含まれていて、そして上部からすいのうで、吸着させては、濾していく。 そういう方法を、きちんと予言しているのだから、そのとうりにしてみませんか。
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447 :せめて十行で語る基本。[]:2011/06/20(月) 01:04:21.20 ID:TS0MgTG6 - >>295 :基本:2011/04/07(木) > 第3号 10 この水をはやくすまするもよふだて すいのとすなにかけてすませよ
第三号は明治七年一月より、と書いてありまして、教祖の御年は七十七才におなりになります。 明治七年と言うのは、大体どういう年であるかと言えば、年譜表にあります通り、この明治七年正月には、既にお鏡餅が七、八斗位お供えがあって、既にお節会が始まっているという記事があります。 それから、三月二十五日夕方に、竜田村の、与助の妻とよ及び勘兵衛の母フサの両人が帰って参りまして、お屋敷の掃除をさせて頂いた。 そして教祖は、その日の夕方にこの両人が参拝してくる事を、朝すでに御予言になっていたのです。 (上田嘉成・おふでさき講義 頁45) 情報戦略に勝利した明治政府が、富国強兵の軍国主義に歩みだす時、明治七年。 ひながた(実の箱)時代の、異端、それは、一方は別派偽教祖であり、一方は教内異端となる、二人の女性が3625にて登場した年でした。 鏡餅が七、八斗を供えられて、「節」に「会う」という、「お節会」が開始されたという事は、明治七年軍国主義の開始の意味を知らせるものでした。 おやさまの、3625の予言は、夕方に参拝者が来て神殿掃除するという、そんなものでは無く、教祖の教えに背く二つの悪例を示すものでした。 ひとりは、偽の神となり、一つは言上の伺いを活用できないという、理の間違いの、悪例でした。
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448 :せめて十行で語る基本。[]:2011/06/20(月) 05:08:15.50 ID:TS0MgTG6 - >>447 >>295 :基本:2011/04/07(木) > 第3号 10 この水をはやくすまするもよふだて すいのとすなにかけてすませよ
> (上田嘉成・おふでさき講義 頁45) 又、陰暦の五月五日、・に、教祖が秀司先生他数名の方々を従えて神楽面受け取りの為、三昧田村の前川宅にお出かけになったという事が記されています。 又、六月からは証拠守りをお出しになっております。 又、この明治七年には、中南の門屋の普請を仰せられております。(以下略) おやさまのひな型においての明治七年は、予言の年ですが、高山とのおやさまの力比べの開始の年であるともみなして良いでしょう。 このたびハもんのうちよりたちものを はやくいそいでとりはらいせよ 三号 1 すきやかにそふぢしたてた事ならば なハむねいそぎたのみいるそや 三号 2 しんぢつにそふぢをしたるそのゝちハ 神一ぢよで心いさむる 三号 3 この、お屋敷の門の内にある、「たちもの」、それは信仰の邪魔になる、いうならご家族のためだけの建物。 現在で言えば、大教会長ご家族宅のように、信仰に泥を持ち込む建物であり、収益型信心形態のあり様を指し示したいた。
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449 :せめて十行で語る基本。[]:2011/06/20(月) 13:28:44.16 ID:TS0MgTG6 - >>447-448 >>295 :基本:2011/04/07(木) > 第3号 10 この水をはやくすまするもよふだて すいのとすなにかけてすませよ
お筆先三号には、予言の数理が数々知らされています。「3625」「126」「26」「222の5」がその実例です。 しかときけ三六二五のくれやいに むねのそふぢを神がするぞや 三号64 十一に九がなくなりてしんわすれ 正月廿六日をまつ 三号73 いまゝでの事ハなんにもゆてくれな 廿六日にはじめかけるで 三号113 二二の二の五つにはなしかけ よろついんねんみなときゝかす 三号147 現在の126の予言の「今」は、東北大震災の125から、放射能汚染拡大の126、高山の掃除の正月が来ていて、それは「門の内のたちもの」の掃除の開始になっています。 最近の方も多いと思いますので、基本教理をおさらいします。「26日」「126」と山名系の問題です。 「天理教の神は神では無い」に、きちんと書いておきました。 http://mimizun.com/log/2ch/psy/1134059737/ 108 :基本。 教祖在世当時の、霊能を、「話一条」のおたすけとして説いていた山名系は、教祖が扉を開かれた時には、立教以来予言されていた、大切な「神の命日」26日に、 それも、おふでさきにきちんと知らされた、正月26日に、お地場に来ていません。 河原町系も同じです。
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450 :せめて十行で語る基本。[]:2011/06/20(月) 13:39:17.79 ID:TS0MgTG6 - >>447-449 >>295 :基本:2011/04/07(木) > 第3号 10 この水をはやくすまするもよふだて すいのとすなにかけてすませよ
このたびハもんのうちよりたちものを はやくいそいでとりはらいせよ 三号 1 http://mimizun.com/log/2ch/psy/1134059737/ 108 :基本。 それは、官憲の圧迫とその内容、拘引した直接的な教祖への拷問を経験してから、地場でのお勤めは不可能であると判断していた、なによりの証拠です。 獄寒の2月、水をぶっかけても、天啓をやめさせようとした警官により、歩く事もかなわぬほどに痛めつけられた89才の婆さんには、見切りをつけていたと言う事です。 「教祖」そのものの価値よりも、「説かれた教え」に価値を見出していた姿の、自白です。 ・・・教祖が死んだとき、人は、飯田家に集まりました。 水の授けの霊能者だったからです。 皆誤解していますが、教祖が扉開くまでのおたすけは、「おはなし」によるものであり、「おつとめ」らよるものでありました。 病たすけのおさづけは、ほんの数人しか授けられていなかったから、当然といえば当然ですが、原典の根本の教えでは、 「こふき」が欲しいとあります。 「話し一条」のたすけ道というのは、間違いではなく、正しいのですが、それが、「元の地場」を離れて、霊能の水さえ開けばという心に向かう。 水のさづけを、渡されたと言う事の、意味は深いのです。
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451 :せめて十行で語る基本。[]:2011/06/20(月) 13:55:23.00 ID:TS0MgTG6 - 天理教に入門したと思ったら「たちもの」立てていた。それは「教内異端」と言う事。
今おさらいしました↑が、おやさまが門の内の「たちもの」を掃除せよと言われたのは、おやさまの霊救・オカルトを利用して生計に、収益を企てるという、「組織内異端」、具体的には「山名系・河原町系・郡山系・などの大教会」「愛町系」のような有力教会の、掃除の事です。 それは、ルーツは中山善兵衛、実家前川家の兄、で、彼らは掃除されています。 中山秀司も、その悪例の継承者で、掃除されます。 そして、天理教団内の天理教内異端は、これも掃除されます。 「たちもの」と呼称されているように、「個人利用の建築物」を立てているという事が、「たちもの」という証拠です。 夫善兵衛は「母屋のこぼち染め」の邪魔をした。 「表門構え」とは、個人の指摘建設物の場合には、最悪の「たちもの」です。 126から、掃除となります。 そうした、「異端」を掃除するには、「3625」の数理とひな型が大切で、諸井国三郎さんの奥さんは、乾フサさんと同じ症状の病になっています。 「天日火の海 海は津波」という病気です。
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452 :三行で語る基本。[]:2011/06/20(月) 19:08:51.76 ID:TS0MgTG6 - [十一に九がなくなりてしんわすれ 正月廿六日をまつ 三号73 ] その解説に、教祖を無用とした当時の自白がある。http://tatenui.from.tv/utility/search.php?type=ofudesaki_detail&no=194&q=%E5%8D%81%E4%B8%80
11+9=20、中山たまへ11歳で教祖90歳の時とも、=2で一桁上がって(”芯はずれ”をこのように解釈して)二十とも種々の解釈があるが、要は 明治二十年を指す。 しん:真、芯、辛。 ,74 註 このお歌は教祖が現身をおかくしになることを示されたもので、教祖御在世中は教祖を目標として社会の迫害がだんだん激しくなるので、 かくては道が遅れるから、教祖は二十五年の御寿命をお縮めになり姿をおかくし下され、世間の圧迫を少しく道を弘めるもよう立てをキる。 それまでに真柱も定まり、かんろだいも建設されるから、皆の心も澄まして、早く人衆そろえてつとめごしらえに取り掛かるようにせよ、とお諭しになったのである。 ↑ この解釈の中に、おやさまの事実と異なる箇所があり、そこには、当時の高弟の、教祖がいては道が遅れるという本音が自白されている。 おやさまは「世界をろくぢに均しに出た」のであり、↑「世間の圧迫を少しく道を弘めるもよう立てをキる。」は、教祖が邪魔だったという自白。になっている。 ↑ 「それまでに真柱も定まり」は、お筆先には「しん忘れ」であり、間違いの解釈である。 ↑ 「教祖を目標として社会の迫害がだんだん激しくなるので、かくては道が遅れるから、教祖は二十五年の御寿命をお縮めになり」は、 その意味は、邪魔な教祖には死んでもらったという事を、教祖の予言で求めた道とすりかえていて、 宗教文学的に表現しているだけの、「邪魔者は死ねという」当時の本音の自白になっていると、誰でも分かるでしょう。
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453 :三行で語る基本。[]:2011/06/20(月) 19:51:06.56 ID:TS0MgTG6 - >>452 ミスです。三行で語ります。[十一に九がなくなりてしんわすれ 正月廿六日をまつ 三号73 ] 教祖を無用とした高弟の自白。
http://tatenui.from.tv/utility/search.php?type=ofudesaki_detail&no=194&q=%E5%8D%81%E4%B8%80 教祖を目標として社会の迫害がだんだん激しくなるので、かくては道が遅れるから、教祖は二十五年の御寿命をお縮めになり姿をおかくし下され、世間の圧迫を少しく道を弘めるもよう立てをキる。 ↑ これが当時の高弟、現在の教団指導者の、おやさま予言の解釈であり、教祖が邪魔なので、身を隠してくれたと、都合よく解釈しているが、 おやさまさえいなければ、道が広められるという、自白が、そこにはきちんと見えている。
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- 天理 2
454 :三行で語る基本。[]:2011/06/20(月) 20:02:23.75 ID:TS0MgTG6 - [十一に九がなくなりてしんわすれ 正月廿六日をまつ 三号73 ]
十一にとは、○○から十一年目にという事で、お歌の、その後の「しんわすれ」に照らすと、第十二号・明治9年頃・182首の中、以下の二首から、 「このよふわ神のせかいとゆいながら どんな事でもしんわしらんで」「このしんをまことしんぢつしてみせるこれみたならばみなとくしんせ」 この、宣言から、十一年目には、教祖は扉を開くが、弟子たちは「しん」の理を忘れてしまうと、そういう予言である。
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455 :せめて十行で語る基本。[]:2011/06/20(月) 20:36:14.82 ID:TS0MgTG6 - 454 :三行で語る基本。:2011/06/20(月) 20:02:23.75 ID:TS0MgTG6 ⇔ 十行バージョン。 [十一に九がなくなりてしんわすれ 正月廿六日をまつ 三号73 ]
原文は明治七年第三号ですから、そこから十一で、九が無くなるという予言でもあります。「一」と言うのは、一つ始まり、「十一」と言うのは十分始まり。「九」がなくなりては苦しみの無いと言う意味で「死」でもありますが、苦労が無くなる意味。 しんわすれ、は、辛抱の辛わすれ、・・そこで、明治18年には、十分の始まりとなり、辛を忘れるようになるという、予言でもあります。 ぢば定めより、 9年9月後。 立教48年4月26日 吉祥。 3日3夜 明治18年4月29日 「天理教会結収願い」を大阪府知事に。 三か三よさの理で、「天理教会結収願い」を大阪府知事に。 3年3月後。 明治21年7月23日 お地場が天理教会本部となる。 三年三月の理で、お地場が天理教会本部となる。 妊娠約9月余 1889年5月 神道本局3等教会に昇格。 生まれだしの理で、神道本局3等教会に昇格。 5年(5分) 1894年6月 真柱神道本局神殿普請の監督になる。 五分五分の理で、真柱神道本局神殿普請の監督になる。 5年(5分) 1899年5月21日 神道本局管長一派独立をすすめる。 五分五分の理で、神道本局管長一派独立をすすめる 9年9月後 1909年2月19日 天理教独立報告祭 胎内三度の理で、天理教独立報告祭 この様に、おやさまの明治二十年の「死」ではない、十一年後に開始される「苦が無くなりて」の 天理教独立が予言されていたのに、教祖の死に転じたのでした。
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