- 仏教 議論 14
751 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 09:47:21.90 ID:YWU6OZR4 - >>631
忙しくてあまりリプライできませんでしたが、話が進んでいますね。 > 20年学んださんは、ただの断見説にしか思えないが、 そうではありませんよ。証拠もないのに、人は死後も存在すると断定するのが常見で、証拠もないのに、人は死後存在しないと断定するのが断見です。 釈尊はそのどちらも否定しています。 同様に、世間は恒常であると断定することも否定していますし、みなさん誤解していますが、なんと「世間は無常である」という断定も否定しています。 「友ゴータマよ、世間は常恒でありましょうか」 「ヴァッチャよ、<世間は常恒である>とは、わたしは言わない」 「しからば、友ゴータマよ、世間は無常でありましょうか」 「ヴァッチャよ、<世間は無常である>とは、わたしは言わない」 「しからば、友ゴータマよ、世間は有限でありましょうか」 「ヴァッチャよ、<世間は有限である>とは、わたしは言わない」 「しからば、友ゴータマよ、世間は無限でありましょうか」 「ヴァッチャよ、<世間は無限である>とは、わたしは言わない」 「しからば、友ゴータマよ、霊と身とは同一でありましょうか」 「ヴァッチャよ、<霊と身とは同一である>とは、わたしは言わない」 「しからば、友ゴータマよ、霊と身とは別々でありましょうか」 「ヴァッチャよ、<霊と身とは別々である>とは、わたしは言わない」 「では、友ゴータマよ、人は死後もなお存するでありましょうか」 「ヴァッチャよ、<人は死後もなお存する>とは、わたしは言わない」 「しからば、友ゴータマよ、人は死後はもはや存しないでありましょうか」 「ヴァッチャよ、<人は死後はもはや存しない>とは、わたしは言わない」 「しからば、友ゴータマよ、人は死してのち、なお存し、また、もはや存しないでありましょうか」 「ヴァッチャよ、<人は死してのち、なお存し、また、もはや存しない>とは、わたしは言わない」 「しからば、友ゴータマよ、人は死してのち、存在せず、また、存在せざるにもあらぬのでありましょうか」 「ヴァッチャよ、<人は死してのち、存在せず、また、存在せざるにもあらぬ>とは、わたしは言わない」
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753 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 10:00:11.08 ID:YWU6OZR4 - つづき
「友ゴータマよ、あなたは、そのように問われて、それをことごとく否定なさるのは、いったい、いかなる 因(理由)により、いかなる縁(条件)によるのでありましょうか」 「ヴァッチャよ、外道の遊行者たちは、色(肉体)を我(が)と見る。あるいは、われは色を有すと思い、 あるいは、われに色ありと思い、あるいはまた、色に我ありと思う。また、彼らは、受(感覚)を我と思う。・・ ・想(表象)を我と思う。・・・行(意志)を我と思う。・・・識(意識)を我と思う。・・・だからして彼らは、そのよう に問われると、あるいは<世間は常恒である>とか、<世間は無常である>とか、・・・あるいは<人は死してのち、 存在せず、また、存在せざるにもあらぬ>などと答えるのである。 だが、ヴァッチャよ、わたしは、色(肉体)を我と見ない。あるいは、われは色を有すとも思わず、あるいは、 われに色ありとも思わず、あるいはまた、色に我ありとも思わない。また、わたしは、受(感覚)を我と思わ ない。・・・想(表象)を我と思わない。・・・行(意志)を我と思わない。・・・識(意識)を我と思わない。・・・だからして、 わたしは、そのように問われても、あるいは、<世間は常恒である>とか、・・・あるいは、<人は死してのち、存在せず、 また、存在せざるにもあらず>などとも答えないのである」
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754 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 10:03:06.96 ID:YWU6OZR4 - つづき
> 苦諦は認めますよね? もし、認めるなら、輪廻しないと確信するなら、なぜ自殺しないの? > あらゆる経験が苦で、かつ死んだらおしまいなのに? 釈尊が解説したように、「色に我ありとも思わない。また、わたしは、受(感覚)を我と思わ ない。・・・想(表象)を我と思わない。・・・行(意志)を我と思わない。・・・識(意識)を我と思わない」ので、 死後も存するとか、死後も存しないとか、そのような問自体が成立しなくなるのです。 また、あなたの質問は、おそらく、「死後も何らかの形で存在し、自殺しても無駄だということ にしないと、苦痛だらけの生存から逃げて自殺してしまうのではないか」という懸念なのではないか と思います。しかしそれも誤解から生じた問ではないでしょうか。仏教の「苦」(ドゥッカ)は現代日本語 の意味する単なる「苦しみ」とは意味が違いますし、そもそもその「苦」を取り去る方法を教えている のが仏教です。
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764 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 10:52:34.63 ID:YWU6OZR4 - >>761
> 「証拠もないのにって典拠は? 五蘊で知覚できる「一切」に含まれない、知覚領域外の事象であることです。 > オイラの問いは「釈尊は、なぜ、一切皆苦で、輪廻も認めないのに自殺しなかったか、一切智なのに」だって。 なぜ自殺しないといけないのですかw
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767 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 11:20:55.36 ID:YWU6OZR4 - >>766
>長部・中部経典に盛んに果として宿命通が出てくる 迷信です > そりゃ、あらゆる経験・知覚が苦で、死ねば終わりなら、死ねば涅槃でしょ。それが論理的帰結ってもんだ。 単に苦を感じ無くなることが涅槃なのではありません。 それなら気絶してるだけで涅槃だw 涅槃とは、意識があり、理法を悟ることによって苦の因を滅し、苦を滅した状態です。
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770 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 11:30:44.98 ID:YWU6OZR4 - 迷信を信じないことが邪見だと言うのなら、それこそが邪見なのです。
いくら経典に書いてあってもね。 経典には釈尊の教えでないもの(迷信や土着信仰)が色々混入してますから。 そのような異物にとらわれることこそが邪見です。
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771 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 11:32:31.03 ID:YWU6OZR4 - >>769
「自説に合わないから」迷信なのではなく、「知覚領域外の事柄だから」迷信なのです。 >気絶では解決しない。なぜなら、再び意識が戻れば苦が始まるし、表層意識だけが苦ではないからね。 では脳死で植物状態なら?
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773 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 11:42:05.17 ID:YWU6OZR4 - >>772
> そういうの説は、和辻、松本、並川あたりのしょうもない凡人説だけど、 > そうすると、釈尊の説は直弟子が誤解して伝え、その誤解を様々な形の伝統仏教が伝えてきたが、 直弟子や孫弟子くらいではまだ誤解してないでしょう。古層を見ると迷信の混入はまだほとんどありませんからね。 数代後だと思います。 > 学者たちや君から学びたい人は少ないと思うぞ。 そんなことは事実の正誤とは無関係w ところで、>>764の > なぜ自殺しないといけないのですかw に答えてください。なぜ一切皆苦で、死後も存するとしないと(輪廻を認めないということではない)、自殺しないといけないのですか?
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775 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 11:45:22.30 ID:YWU6OZR4 - >>774
> 「知覚領域外」ってのは凡人のってことだよね。 凡人だろうと聖人だろうと、「知覚領域外」のことは知覚し得ません。 聖人は超能力者でもなければバケモノでもありません。 生物学的には全く同じ普通の人間です。 凡人との違いは、心(意識)が違うだけです。
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776 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 11:46:25.43 ID:YWU6OZR4 - その心の違いこそが、一番重大で、決定的な違いで、凡夫にはなかなか到達し難い
のだけれど。でも頑張って修行すれば誰でも到達します。
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778 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 11:57:00.83 ID:YWU6OZR4 - 君の考えは要するに、神智学だかなんだか知らないが、その信仰と(一見)偶然類似する
とこだけつまみ食いするってわけだね。
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785 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 12:24:54.07 ID:YWU6OZR4 - >>783
> 見解とか考えを捨てきることが、仏教だと思ってる。 そのわりには特定の見解に固執してるねw
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786 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 12:26:33.59 ID:YWU6OZR4 - 何回尋ねても、なぜ一切皆苦だと自殺しないといけないのか、という質問を
スルーし続けてるところを見ると、ここが彼のウィークポイントなんだろうね。
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788 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 12:34:16.41 ID:YWU6OZR4 - >>787
もしそうだとすると、迷信がほとんど見られないまとまった部分の方が 後世の創作だということになりますが、 本来迷信の教え→一時期一部だけ迷信が取り除かれた→再び迷信に戻る という妙な流れより、 迷信がもともとなかった→迷信の混入 という流れの方が、説得力があります。 それに経典のいたるところで説かれている、迷信を捨て去れ・妄想にとらわれるな という主張や、凡夫が迷信好きで、すぐに迷信を混入したがる癖、などを鑑みて、 整合性のある解釈は、「仏教はもともと迷信否定だったが、後に混入した」という解釈 だろうと思われます。
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790 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 12:40:38.54 ID:YWU6OZR4 - >>787
> 学者先生による「古層」の判断基準が「神格化や迷信の混入」とすると、 それに真面目に答えるなら、古層の判断は決して「神格化や迷信の混入」していない から古層のはずだ、というわけではなく、言葉の用法や文法がより古いものを古層と 判断しているだけ。そしたら結果的にそこは迷信の混入がほとんどない部分だった。
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794 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 13:40:25.71 ID:YWU6OZR4 - やっぱり聞いてないじゃない。
判断の根拠が「常識」だなんて一言も言ってないのに。 教えの整合性や、文献学的な成立過程が根拠だと何度も説明しているのに。
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796 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 13:51:24.75 ID:YWU6OZR4 - せめてこれだけは ID:nU8jo9wY氏にちゃんと答えて欲しいな。
なぜ一切皆苦だと自殺しないといけないのかw
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799 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 13:58:10.65 ID:YWU6OZR4 - 「知覚」に凡夫の知覚も聖者の知覚も、違いはありませんよw
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801 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 14:00:11.81 ID:YWU6OZR4 - それよりあなたは早く、「なぜ一切皆苦だと自殺しないといけないのか」に答えて下さい。
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805 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 14:06:21.52 ID:YWU6OZR4 - >>802
いえいえ、一切を説いている部分で、「凡夫の知覚と聖者の知覚は違うのだよ、 私は凡夫ではなく、聖者の知覚について説いているのだよ」などと述べている部分 はありません。そんな区別は存在しないのです。 あなたが、死後の事柄に関する妄想を無理やり経験知ということにしてしまわないと 都合が悪いが所以に、そういうアクロバティックな解釈を恥ずかしげもなく披露せざる を得ないのです。お気の毒なことですが、破綻していますので諦めてください。
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808 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 14:15:25.81 ID:YWU6OZR4 - >>804
> >>801 分かんないのか。全ての経験・知覚が苦で、死んだら終わりなら、死ぬだろう。 なぜ?? そもそも、現代日本人の多くは、生まれ変わりなど信じていない人は多いし、 死んだら無になると思ってる人もたくさんいます。彼らが自殺してますか? 大半は自殺してないでしょう。なぜ自殺しないと思いますか? >そして、ヴァッカリやゴーティカのような解脱したものには自殺を認めている。明かだろう。 ヴァッカリは病苦による自殺です。安楽死は世界でも一般に末期医療で認められていることです。(日本は法的には まだダメみたいですが)。そしてゴーティカは、渇愛を断つためにあらゆる努力をしても失敗し、最後は命を断つ意外 に方法がないと考えて命を断ってしまったのです。どちらも例外的事象で、一般に 「解脱したものには自殺を認めている」とは言えません。それに二人とも自殺以前に解脱はしていません。
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809 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 14:16:52.27 ID:YWU6OZR4 - >>806
> じゃ、聞くが、こそで「目の見えない人と、目の見える人では知覚に差がない」と書いてないから、 > 目の見えない人と、目の見える人では知覚に差がなくなるのか? 視覚という知覚は、その「目」によって生じるのだから、目が見えるか見えないかに 依存するのはいちいち言わなくても誰にとっても明らかでしょう。
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812 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 14:21:10.83 ID:YWU6OZR4 - >>811
>なぜ、釈尊だけが特殊なのだ。 それこそが仏教が特異な教えである所以ですよ。 当時の常識を覆したのです。 あなたは私を常識にとらわれていると言いますが、本当は逆です。 あなたの方が「生まれ変わり」という何千年も前からある「常識」にとらわれている。 あなたに限らず、世界中でまだその常識(妄想ですが)にとらわれている人々が たくさんいるのです。 >それなら、仏教内外の文献に残るだろう。 もちろん残ってますよ。
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817 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 14:40:32.04 ID:YWU6OZR4 - >>813
> >>808 なんでそう論理性ないかな〜現代人に一切皆苦の認識なんかないだろ。 あなたは一切皆苦を一体どう理解しているのですか? 全ては苦痛だという意味だとでも思ってる? > ヴァッカリは解脱し涅槃に入ったとある。 ヴァッカリは自殺する前に解脱したのではありません。 自殺とともに涅槃に入ったと言っているのです。 まあこう言ってはもともこもないが、単に死んでしまった、という表現です。 苦痛を滅したという意味では涅槃と言えなくもないですが、理想は生きたまま 苦痛を滅することであって、自殺によってではありません。
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818 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 14:47:35.81 ID:YWU6OZR4 - >>816
> 全て、上のような適当な誤読だって論証しよう。 誤読と決め付ければ、それまでのことです。誤読と言い張れば何でも言えちゃうからねw 釈尊の教えとは無関係ですが、生まれ変わり教徒に聞いておきたいことがありましたが、 よい行いによって天界(天国でも何でもいいが)に生まれ変わるのなら、何も解脱目指さなくて も、天界へ生まれ変わることを目指せばよいのでは? これは解脱の否定ですから、紛れもなく反仏教です。
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822 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 15:06:36.06 ID:YWU6OZR4 - >>819
> 「全ては苦痛だ」に決まってるだろ。 そんなことは釈尊は説いていないw そもそも事実にも反するし。 やはりあなたは全ての概念を大乗のフィルターを通して見るから勘違いしているのです。 つまり洗脳されているわけです。 > 凡人に楽と感じることでも聖者には苦だって経典に沢山書かれてるぞ。 それは視点の違いです。物事の実体が凡夫にとっては楽で、聖者にとっては苦 だとかいうことではなく、同じ事象が、アホな凡夫の目から見れば楽で、冷静な 聖者にとっては苦だというだけです。 たとえばギャンブルとか、酒に溺れて狂喜して醜態晒すこととかを想像すれば分かりやすい でしょう。アホな人には楽しく思えるのかもしれませんが、知的でそういうことに興味持た ない人にとってはつまらないだけです。 > 「単に死んでしまった」って、釈尊は慰めで比丘たちに「涅槃した」と言ったとでも言うのか。 別に慰めではありません。現代人だって、人が死んだことを「成仏した」と言いますし、 死体を「仏さん」と言います。
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825 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 15:23:27.66 ID:YWU6OZR4 - >>824
それは原始仏典でも同じです。 例えば、Atman(我)が常に「梵我一如」で言うところの「我」を意味すわけではありません。 単に「私」という一人称として使われているところもたくさんあります。 Samsara(輪廻)も本来単に「走りまわる」、という意味ですし、 Nirv??a(涅槃)は「吹き消された状態」を意味します。 生命の灯火が消えたという意味で、死んだことを涅槃に入ったと表現しますし、 煩悩が滅した状態も、煩悩が吹き消された状態という意味で、涅槃と言うのです。 経典中で具体的にどのような意味で使われているかは、文脈で判断するしかないのです。
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827 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 15:50:30.17 ID:YWU6OZR4 - 残念ながら仕事があるので、今日はここまで。
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829 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 16:02:18.05 ID:YWU6OZR4 - 最後にこのレスを忘れていた。
>>821 > 天界なんか目指しても、一切皆苦だし、業が尽きれば、どこに輪廻するでしょ。 いいじゃないですかw 生まれ変わりを信じる人の立場で言えば、 天界でも悪さしなければ、悪いところには生まれ変わらないでしょうから、天界だか 無色界だかをのんびりと輪廻し続けて永遠にハッピーに過ごせばよいことです。 わざわざ「一切皆苦(あなたの解釈では全ては苦痛)」などとマイナス思考しないで、 精一杯善い行いをして、永遠にハッピーな世界を輪廻し続ければこんなに幸福でいい ことはないでしょう。楽しそうですねw
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830 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 16:08:59.11 ID:YWU6OZR4 - >>821
それとサウンダラ・ナンダは2世紀の創作ですよ。 そんなもの今更持って来られても・・・・ あなたが大乗思想に洗脳されているという僕の読みはどうやら正しそうです。
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