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神も仏も名無しさん
見玉尼 ◆CAyqMZSEy6
念仏宗無量寿寺 初心者雑談スレ その1 念佛宗
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】

書き込みレス一覧

念仏宗無量寿寺 初心者雑談スレ その1 念佛宗
674 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 00:13:43.71 ID:WT3l8asS

いまだにその方法で済度してる同行もいれば
落慶の新聞広告で権威を見せ付けながら 教団名明かした勧誘してる人もいます
このあたりは一貫性がないですね 人見て使い分けてる可能性もありますしね
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
24 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 07:10:18.33 ID:WT3l8asS
>>22さん

お疲れでしょう 大変でしたね

義父母さまには なかなか思うことをそのまま話すことは難しいかもしれませんが
嫌がっているという気持ちは伝えることはできましたか?
預金についても これ以上使われないよう承知していただくことはできましたか?
宗教に関心などない側から見ると専門知識をもって話されているように感じると
思いますが その話の内容をひとつひとつ検証するとウソやまやかし こじつけの
オンパレードだってことがよくわかるんですが それも相手が義父母さまだと 
ハッキリ指摘するのは難しいかもしれませんね 宗教とはそもそもそういうもので
はないと思う という路線で話される方がいいかもしれません

>>曹洞宗は自力だからだめだと言われました。

おいおい 釈迦もガッツリ自力だろーってツッコミ入れたくなるんですけど(笑

>>絶対他力でないと釈迦に救われないそうです。

それで救われると思うのも 思わないのも 信教の自由ですから・・・
私は カネ積む精進で釈迦が救うとは思いません みたいな切り返しでいかがでしょう(笑
ったく釈迦が絶対他力だなんて 恥ずかしくてよそで話せないですよ ムチャクチャです

>>「子供を幸せにしたいと願う息子の行動は褒められるもの、それにあの預金はこれに使うために貯めたものだ」

「子供を幸せにしたいと願う息子の行動は」家族にダマって 勝手に貯金を使うことではないでしょう
そこで使い道も言えず 勝手に布施に使ってしまう行為をされると信頼関係も損ないます
夫婦関係に溝ができるような布施を「誉められる」と位置づける宗教などあるのでしょうか
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
25 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 07:11:25.89 ID:WT3l8asS
>>23さん

ドブにカネ捨ててるようなもんですからね
念仏宗無量寿寺 初心者雑談スレ その1 念佛宗
677 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 12:19:56.22 ID:WT3l8asS
>>676さん

「年商」なんて言ってる時点で 一般サラリーマンは最初から除外なんですよ(笑
釈迦がこんな選りすぐりをしてたかどうか 考えればわかりそうなものなのにね・・・
念仏宗無量寿寺 初心者雑談スレ その1 念佛宗
678 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/05/24(火) 12:41:36.50 ID:WT3l8asS
はぁ・・・(´;ω;`)

すごいね 情のマインドコントロールって・・・
こんなに人の心情にまで食い込んでくるんだ

海老蔵 念佛宗の教えがホンモノという前提なんですね
ホンモノに触れるには お手引きや同行などその人たちを「信じる」ことが
できるかどうかという「高いハードル」によって試される
また熱心さ故に悲しみを生むこともあるホンモノなんだ・・・

ホンモノの教えって何だろう
どうして熱心にホンモノに触れてるのに 悲しみなど生むんだろう
「苦」からの解放のはずなのに・・・
生死の出離 死をみつめることによって生と向き合う 生も死もありがたく
いただけるはずなのに どうして苦しんだろう
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
28 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 13:52:58.22 ID:WT3l8asS
>>27 660さん

家庭の金銭面では とりあえずお互い理解できたんですね 良かった

>>でも主人は「20年以上付き合ってきた仲間を裏切るのは嫌だ」と言いました。

インチキ宗教だからこそ この仲間意識という「情」でガッツリMCかかってるんですね
これがやっかいでしてね・・・ 多分教祖云々教義云々より こっちのつながりの方が
強固ですね これはマインドコントロールについて知るとわかるんですが 最初の入信の
きっかけもこの「信頼」を利用して勧誘されるわけなんです 「自分を信じてくれ」
長年のおつきあいとか 夫婦の絆とか そういう時間をかけて築いてきた精神的部分ですね
いい人だから 尊敬する人が信じてるものだから 悪いものじゃないはず という固定
観念みたいなところから入りますから・・・ そして間違ってるものに対してなんですが
本人たちは「真実・真理・正法」という宗教的絶対価値に対して ものすごく精進するわけ
なんです 布施をし 弥陀の衆生済度を取って変わって勧誘し 仕事そっちのけで教団
活動に邁進するんです 真実一路ってやつでしょうか 一生懸命やってるもの同士の
共同体ですから そこで新たな精神的つながりができるんでしょうね お互いがお互いを
尊重し尊敬しあい純粋な求道心でつながり合う でも 残念なことに 本来の目的は
金銭搾取・人集め・無償の労役提供であり 元の絶対価値もどきはその手段として利用されて
いるだけなんです だからこの共同体の中でそれぞれ ノルマが達成できなくて罵倒叱責
されたり 地獄行きに怯えたり 苦しいはずなのに 純粋な求道者同士 助け励ましあう
仲間で頑張っているんですね 信じてる間違った極楽往生という目標に向かって・・・

本人たちは 一生懸命純粋に宗教活動をしているんですよ 信じて疑わない それが善だと
思ってるし 真理だから間違ったことをしているなんて全く思っていません
仮にこの教団が間違っていると気づいたとしても この共同体の信頼関係だけは なかなか
間違いの意識の中には入ってこないようです
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
29 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 14:03:53.81 ID:WT3l8asS
>>27 660さん

一応 参考になりそうなの貼っておきますね

脱会の話を詰めて行くと、「私が脱会すると、あの人に迷惑がかかる」という気持ちが強く出てきて、なかなか脱会の決心がつかない。
登志子は他の場面でも、人間関係には細かく気が付く人で、私もそれで助かっていることも多かったように思う。人間関係を大切に
する登志子にとって、『世話になった』世話人を裏切ることになる脱会は、心理的抵抗が非常に強いようだ。神慈秀明会からは心が
離れてきているが、世話人との関係が断ち切れないことが、大きなネックになっている。
この世話人が意図的に「親切の借金」を行ってきたのか、本当に世話好きな人であるだけなのかは不明であるが、神慈秀明会との
橋渡しは全てこの世話人を通じて行われており、結果としてシンプロシティ(親切の借金)も利用して神慈秀明会へ登志子を導いてきたといえる。
「もし、あの人(世話人)が私を騙していたのだとしたら、私は人間不信になる」と登志子は言った。
人が人を信ずるという、最も純粋な心まで感情コントロールの道具として利用するのが、カルトの卑劣な行為である。

(http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9575/cult_tec.html#m_con3)
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
31 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 14:14:53.09 ID:WT3l8asS
【マインドコントロールで使われる4つのコントロール】

1.行動のコントロール
「まず実践せよ!」 これがマインドコントロールではよく使われます。
人の思考を変えるのは超能力者にも困難だが その行為を変えることは凡人にもできる。
行動を変えることができれば、いずれは精神もそれに染まって行くのである。

2.思想のコントロール
ご利益や、善なるスローガンによって感化させます。 そして「霊的事象」を信じさせることで、
組織や教祖に畏敬の念を持たせて操ります。
いったん霊的事象を信じてしまうと 「辞めたら不幸になる」と脅されてもそれを信じてしまいます。

3.感情のコントロール
主に「集団力学」によるコントロールです。 「ご利益」という「飴」 そして「冥罰」による「鞭」。
通常は、善行を行えば尊い行為となりますが カルト組織では、組織貢献のみが賞賛されます。
(ただし プロパガンダとして有効な社会的権威は利用されます)

4.情報のコントロール
とにかく盲信させれば、組織に対する批判情報も聞かなくなりますが
さらに、週刊誌やネット情報は嘘であり、学説や分析よりも、「真理はその組織のみにある」と 教え込みます。
情報よりも、とにかく信じて実践することを勧めます。

実際の情報隠避もありますが、あえて組織の過去の都合の悪い情報にふれず、
現在の正しさを強調し、かつ、過去と現在が画一貫性を持っているような理解に誤導しているとするならば、
それは「消極的な情報のコントロール」であり、またその消極性こそ、
マインド・コントロールが ひそやかな干渉として人をコントロールしていく、恐ろしさの一面でもあるのです。

(http://sky.geocities.jp/sonnna_ahona4649/arucult.html#4mc)
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
35 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 14:38:44.13 ID:WT3l8asS
>>30さん

私も無力なんですよ 何もできません ただ子供は守りたい その気持ちだけは貫いています
宗教の真贋について司法は判断しませんから そういう点では「真実」はわからないと思います

ただ宗教とは何だとしたときに 少なくとも家族やまわりの方を苦しませ悩ませ悲しませるもの
ではないと思うんです イワシの頭を拝むのもいいでしょう それで本人が前向きに人生を歩み
心豊かに まわりからも素晴らしい人だと人徳厚くなるのであれば 素晴らしい「イワシ教」な
わけです 他人さまも何を信仰しているんだろう そんな素晴らしいものなら是非聞きたいと自然に
寄ってくるものなんです でも本当にイワシで人徳厚く 素晴らしき人格になるのでしょうか
その成功例は私はいまだかつてお目にかかったことはありません 宗教的世界観は 人類史上と
ともに存在してきた思想哲学でしょうし 最近このスレでも出てくる科学とのバランスも 
ずっと議論されてきていることです 人が生死を問題にし いのちを考えるとき そこで得た
何かしらの宗教的価値感は その人にとって充足たる思想であるのと同時に 社会で生きていく
中でもそれが反映されなければ 真にマコトの宗教とは言えないのではないでしょうか
その社会の中の一番身近な一番大切な「家族」間でさえ それが見えない 逆に苦しませるもの
であってはならないと思います
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
36 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 14:47:29.75 ID:WT3l8asS
>>34さん

仮にMCがとけたとして そのときはとてつもない絶望感が待ち受けてると思われます
今までの自分の人生や やってきたことの意義 信じてきたものの全否定になりますから
自殺に走る可能性もあります 家族の愛情は必須だそうです そのときはどうかムリを
せず 当人の不安を包み込む愛情で接して差し上げてください また専門機関に相談される
こともお勧めします 
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
38 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 14:59:58.88 ID:WT3l8asS
>>33 佐胃馬場さん

本当にご友人を思われる気持ち 頭が下がります

本山宗務局からの返信はだいたい予想がつきます
多分実態とはかけ離れた模範的回答じゃないかな(笑

こういった私達が疑問に思っていることに回答した文書が昔通達文として出たんです
我が念佛宗に対する誤解の弁明?文書みたいなものです

1.秘密主義で「絶対に口外してはならない」とされている。しかし仏教は広く門戸を
  開け、誰でもお参りでき 救われるのが本当ではないか。
2.地獄に落ちると脅かされた。
3.入会金や布施が高額である。
4.宗教に関心のなかった長男が、朝夕、急に仏壇に手を合わせ「阿弥陀経」をあげる
  ようになった。自力の善根を積み、精進を重ねることを教えている。
5.教祖と教団の言うことを、一から十まで信じ従い、まるで人が変わったようだ。

これらの疑問について答えた文書です
長くなるので 抜粋したいんですが どうやってまとめていいものか・・・(笑
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
39 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 15:23:03.07 ID:WT3l8asS
>>37 天照大神さん

>>私の望みは家族全員が仲良く平和に暮らすことです

ほんとですよね・・・
でも 当人も同じように思ってるんでしょうね
非同行の家族が入信すれば後生も助かり「家族全員が仲良く平和に暮らせる」と・・・

問題はこのズレなんですよ どうやって説明しても全く受け入れてもらえませんからね
ますます溝は深まるばかりで 当人は迫害だ 法難だ〜 だしね _| ̄|○ハァ…

【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
40 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 20:04:31.99 ID:WT3l8asS
【念佛宗無量寿寺の同行としての心得(一)】

※発行日は不明ですが内容から平成7年以降 王堂建設前のものだと思われます

最近、一部の心ない宗教団体の行動によって、宗教団体に対する世間の眼が厳しくなっております。
「宗教法人法の改正」が為される動きがあるのも事実です。
その上、一部の方々より我が念佛宗に対する誤解も生じております。それは、我々の姿勢によるも
のであることは、否めません。
この誤解を送球に解くことが不可欠であり、今こそ、皆が心しなければならない時であります。
その内容を簡単に述べると次の通りです。

1.秘密主義で「絶対に口外してはならない」とされている。しかし仏教は広く門戸を
  開け、誰でもお参りでき 救われるのが本当ではないか。
2.地獄に落ちると脅かされた。
3.入会金や布施が高額である。
4.宗教に関心のなかった長男が、朝夕、急に仏壇に手を合わせ「阿弥陀経」をあげる
  ようになった。自力の善根を積み、精進を重ねることを教えている。
5.教祖と教団の言うことを、一から十まで信じ従い、まるで人が変わったようだ。

念佛宗には、金銭や人間の尺度ではとても量ることのできない、教えが燦然と輝いているからこそ
多くの人びとが殺到しているのです。
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
41 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 20:04:51.70 ID:WT3l8asS
所依の経典は即ち『浄土三部経』(『無量寿経巻上・巻下』『観無量寿経』『阿弥陀経』)です。
まず『無量寿経』には、我々凡夫を唯一救って下さる阿弥陀仏と、その浄土について説かれており、
念佛宗の我々はその阿弥陀仏によって救われるのです。
次に『観無量寿経』には、在家の韋提希夫人が救われ、その証拠が説かれています。
念佛宗には、この法が間違いなく伝わっています。伝わっていればこそ、教主の郡真海先生を始めと
する、数百名の科学一辺倒であるはずの科学者、医学者達が、この信仰を喜び精進されています。
そして『阿弥陀経』には、釈尊自らが「難信の法」という、救済方法をご遺言として残されています。
これらの『浄土三部経』の要が、念佛宗に一つの間違いもなく揃っているからこそ、あらゆる分野の
指導者、並びに智者達が殺到しているのです。

世間の人々の誤解がいかに虚しい誤りであるかを列挙します。
御同行各位に、その意味をお伝え頂き、我々がご縁を頂いていることに対する自覚と誇りを持ち、
襟を正し、より一層精進に励んで下さい。
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
42 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 20:16:12.26 ID:WT3l8asS
1.秘密主義で「絶対に口外してはならない」とされている。しかし仏教は広く門戸を 開け、
  誰でもお参りでき 救われるのが本当ではないか。

念佛宗が、秘密主義であるとの謗りを受けているが、それは大きな誤解である。
我が教団に以前は誰でもお参りして頂いていたが、賽銭や什器等盗難に遭ったり、破損されたり
したため、同行以外の方々の参詣をお断りしている。その上同行が増え、寺院内が手狭になり
無駄な混乱を避けるため、現在一般開放していないのである。
しかし真如之里が完成し、本山が移転した暁には、必ず一般公開する予定である。但しどの寺院に
於いても一般公開する場所と、開放しない場所があるのは、当然のことであろうと思う。
仏教の教祖釈尊は「縁なき衆生は度しがたし」と仰せられている。どんなに尊い話でも、縁のない
人に話をしたところで興味も持たなければ、理解もしない。それどころか却って教団や正法を誹謗し
大きな罪を作りかねない。それ故前もって縁の有無について、見極める必要があるのである。
しかし本当に釈尊の教えを求めている人については、なにびとたりとも決して拒むものではない。
また逆に無理やり引っ張り込むようなこともしない。
私達の教団の教えは、決して秘密主義ではないが、教法での口論はさけるように指導されている。
何故なら仏教各宗派も教えの根本は同じ釈尊の教えである故、他宗派を誹謗することは、釈尊を誹謗
することであるからである。また教法はどれほど論争しても平行線をたどり、教法の内容を話しても
理解し合うことがない。それ故外部の人からは、「秘密主義」と受け取られるのである。
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
43 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 20:16:32.09 ID:WT3l8asS
そもそもどの宗派にも奥義、秘儀といったものがある。例えば真言宗も真言密教(真の言は、秘密の
教え)と言われ、浄土宗に於いても、五重相伝という秘密の相伝があり、
「縁なき人には決して口外するな」とある。
仏法のみならず世間に於いても華道、茶道など相伝がある。また、代々伝わる老舗などには家伝、
秘伝があり、一子相続の店が多く、秘伝は身内であっても決して口外しないのである。
さらに一般社会に於いても企業秘密があり、絶対に漏らすことができない。故に、産業スパイなどが
横行するのである。
また種々の発明や新案に対して、「特許」という制度で政府もその権利を認めているのである。
すべてにおいて大事なことは、誰彼なしに見せたり、聞かせたりしない。
余程のことがない限り、公開しないものである。
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
44 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 21:03:57.01 ID:WT3l8asS
2.地獄に落ちると脅かされた。

仏教において四諦・八正道・十二因縁は教えの根本であり、六道輪廻についても説かれている。
六道界は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六つの世界でいずれも苦しみの世界である。
そして「善因善果、悪因悪果」。良いことをすれば、良い結果が生じ、悪いことをすれば、悪い
結果が生じ、必ず来世に於いてその報いを受けると説かれているのである。
即ち正しいことや良いことをしなければ、六道界を流転輪廻し、どこへ生まれるかわからないの
が我々人間であり、地獄とは苦しみの最も大きい処である。それ故、悪を為さず善を為せと勧め
ることこそ、本当の思いやりであり、どの宗教に於いても勧めていることである。
「勧善懲悪」こそ宗教の宗教たる所以であろう。
かの親鸞聖人でさえ、「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定棲家ぞかし」と
言われ、もともと悪いことばかり犯している我々は、地獄に落ちる身であると仰せになっている。
『大智度論』には、「正法誹謗罪は地獄に堕ちる」と明記されているのである。「地獄に堕ちる」
も「堕ちない」も、因果応報、自らの蒔いた種の結果なのである。
しかしそれが真実であったとしても、無闇に他を脅かし、恐怖に落とし入れる必要はない。
理解できない者に対して、恐怖を与えるようなことは公言してはならないのである。
何故ならば、我々の教団の目的は、人々に安心を与えることであり、我々の目的はその安心を
得た仏になることである。
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
45 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 21:14:33.47 ID:WT3l8asS
3.入会金や布施が高額である。

布施は信仰の根本である。人の為、世の中の為に、自分が大切にしているものを捧げるというのは
人間として美しい姿であり最も気高い心情であり、大きな功徳である。
布施には高額も定額もなく、布施の心が三輪清浄(布施する者、される者、布施その物が清らか)で
あるかどうかである。我々人間の為すべきことは、この世において金儲けをすることでもなく、欲望
のままに生きることでもない。生きている間に少しでも多くの功徳を積ませていただくことである。
人としての本当の喜びは、人の役に立ち、世の中の役に立つことである。それこそが真の喜びであり、
真の布施である。布施の心の無いものに、信仰心は無く、本当の信心は育たない。
それ故、本人が心からこのご縁を求めているのかどうかという確認の際、布施の金額、及びその後の
精進の布施についても全て了承して頂いているのである。
また我が宗に於いてはお供えされた布施はすべて、公認会計士、税理士の資格ある何人もの御同行に
よってしっかり管理されており、一線の交際費さえも支出できない。会計報告は毎年公開されており
監督官庁からもお誉めの言葉を頂いている。
しかも御同行一人一人からなされた布施は、この世の浄土である真如之里の実現と、釈尊・聖徳太子の
悲願である「四箇院」建立という、仏の心の実践である世界的な大事業の為に、一銭も他へ使われる
ことなく、積み立てられている。
そして、真如之里完成の暁には、誰のものとなるのではなく、それらすべてが同行一人一人のかけが
えのない永遠の大きな財産となり、未来の人々の喜びとなるのである。
さらに冥加料は、宗教法人法に基づき、全信者の代表として、選出された理事会の承認により決定し
ている。尚、念佛宗は規則に謳われている通り、教主、理事長の世襲制はなく、財産等すべて我々
同行一人一人のものである。即ち、お供えされた尊い布施も、冥加料もすべて我々一人一人のものである。
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
46 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 21:29:09.70 ID:WT3l8asS
4.宗教に関心のなかった長男が、朝夕、急に仏壇に手を合わせ「阿弥陀経」をあげる
  ようになった。自力の善根を積み、精進を重ねることを教えている。

我々が『阿弥陀経』を毎日お仏壇の前であげるのは、決してそれにより善根を積んで自力で助かる為に
あげるのではない。お経はお釈迦様の説法そのものであり、お経をあげるのは自分に向かって自覚の
為にあげるのである。即ち我々が遭った御縁の意味をもう一度見つめ、喜ばせて頂く為にあげるのが
勤行ということである。ましてや今まで聴聞すらしなかった人が、朝夕お経をあげるようになったこと
自体、信仰心が生じた証拠であり、喜ぶべきことではないか。
さらに念佛宗においては人の道の実践を『父母恩重経』を元として教えており、父母の恩、先祖の恩に
感謝の為にも先祖の継承してきた仏壇を守り、その仏壇の前にて合掌礼拝するのである。
しかしどんなに良いことも、人が驚くほど極端に走ると不審を抱かれたり、周りの人々に恐怖を与える
ことになり、問題を起こす原因にもなりかねない。釈尊のお教え通り何事においても極端をさけ、
「中道」の精神で行動すべきである。
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
47 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 21:44:40.14 ID:WT3l8asS
5.教祖と教団の言うことを、一から十まで信じ従い、まるで人が変わったようだ。

仏教は智慧の宗教であると言われている。唯、教祖や教団の言うことを、何も考えず鵜呑みにするのは
盲信であり、真の仏教ではない。仏教は物の道理、人としてのあるべき道を説いており、唯、師の仰せ
を盲信するのが信仰ではない。また、蓮如上人は『御文章』その他において、
「仏法を内心に貯え、王法に従え」と仰せられている。つまり、「世間の法律に従え」と仰せられている。
我が国は法治国であり、その法律を守るのは当然のことであり、法律を犯すような言動は厳に慎まねば
ならない。そして我々は師より常に「法の上からも、娑婆においても、人から尊敬され、慕われる人に
なれ。範たる人となれ」と、お教え頂いている。それを実践しなければならないのである。
また、信仰を深く理解することと、かぶれることとは大きな違いである。では信仰を深く理解するには
どうすれば良いのか。
釈尊が仰せの通り、他を拠処とせず、自らを依処とし、法を依処とすることである。しかしながら、
その依処とする自分も法も分からないのが人間御姿ではないか。故に、この「自分」と「法」とが
何たるかを知る為には、正しい師が必要なのである。つまり、「仏法は、師で決まる。師のない仏法はない」
と言われるように、その正しい師に一生涯、仰ぎ仕え、仏道の全てを一つも違うことなく、その師より
教わるのである。故に親鸞聖人は『正像末和讃』の中で
「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も、骨を砕きても謝すべし」
と、師の恩の深きことを、うたわれているのである。
最後に念佛宗の一員としてあるべき姿とは、人の道即ち一般社会に於いて、まず法律を重んじ規則を
守り秩序を乱さないことは言うに及ばず、更に自己を磨き信心を深め誰からも尊敬される姿とならねば
なりません。その為各会の済度、精進活動等の「集会」は次の事を厳守してください。
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
48 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 21:45:10.07 ID:WT3l8asS
(イ)人の誤解を招くような強引な済度の禁止
(ロ)会合・集まりは、夜九時半までにすること
(ハ)「輪読会」は土、日、祭日の午前九時より午後五時まで
         平日の午後五時より午後八時までとする

我々が済度や廻向、精進を勧めるに性急なあまり、人を脅かしたり恐怖心を与えたりしてはなりません。
宗教は、安心を与えるものであり、我が念佛宗は人々に安心を与える宗派です。
我々は正法を有する教団、念佛宗の同行であることに、誇りと喜びを持って、大往生に向けて命終まで
大いに精進に励んでいこうではありませんか。
以上のことは、今までに何回も繰り返し申し上げてきたことばかりですが、今一度これらのことについて
皆が確認しあい、実行に移さねばならぬ時です。
【念佛宗】念仏宗無量寿寺三十九章【無量壽寺】
49 :見玉尼 ◆CAyqMZSEy6 []:2011/05/24(火) 21:47:37.25 ID:WT3l8asS
長文でご迷惑をおかけいたしました
この文書は多分2ちゃんでも今まで出なかったものじゃないかと思います

教団誌同様結語は「精進に励みましょう」で締めですね(笑
この巧みな誘導 ごまかしなど おわかりいただけるといいんですが・・・


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