トップページ > 心と宗教 > 2011年04月18日 > GJUrEHfq

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神も仏も名無しさん
【正規】キリスト教@質問箱270 【正統】

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【正規】キリスト教@質問箱270 【正統】
681 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/18(月) 12:34:53.87 ID:GJUrEHfq
統一教会は入信すると、多額の寄付や献身といって、
教会の関係施設で無給同然で働きます。
合同結婚式でお相手が一方的に決められて、
人生が教会に支配されます。

【正規】キリスト教@質問箱270 【正統】
684 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/18(月) 19:10:47.48 ID:GJUrEHfq
>>682
貧困地区の青年で嫁の来てが無い方は、
統一教会に入信すればよろしぃ♪
桜田淳子似の妻が得られるかも?
【正規】キリスト教@質問箱270 【正統】
686 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/18(月) 19:59:33.70 ID:GJUrEHfq
>>685
じゃぁ、佐々木希はぁ??^^
板野友美でも良いかなぁ♪^^ 
【正規】キリスト教@質問箱270 【正統】
692 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/18(月) 22:56:16.89 ID:GJUrEHfq
>>687
>>苦しい辛い…´

人間は何故、この苦しいこの世に、生まれてくるのか

釈迦の思想の様な死後の生は無と断定する思想ほど人間生命を無価値にするものはありません。
死後の生(アートマン)があって、初めて人間生命は無限の価値を有した存在と言えるのです。
普段、すばらしいと思っている価値、優れていると思う感情、日々感じている良き心の動きは、
実は死後の生があるという事実が理解できますと、そこに無限の価値を感ずるようになります。

死イコール無の思想ほど実害的な思想はありません。これは全ての生命の価値を無にして、
人間を動物のように「えさ」だけを追うようないやしい存在におとしめる思想と言えます。
本当に事実として死が無であるならばいいませんが、明らかに事実と違うのです。

死が無であるならば人間は生まれてきません。生まれてくるのは死は無を意味していないからです。
死が無であるならば神の存在はありません。
生まれてくるのは、人間は既に永遠の生命を内に有した存在だからです。
永遠のタイムの過程で、ほんの一時期、生命の修行のために肉体を持つということです。

【正規】キリスト教@質問箱270 【正統】
693 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/18(月) 23:11:31.36 ID:GJUrEHfq
 もし死が無を意味するならば、何もするな。何をしてもそれは価値のないものとなる。
何をしてもそれは最後には無となり、無価値となり、ゼロとなる。
死神は神に対して常に勝利することになるでしょう。
死が無であるならば、死は神に対して常勝将軍となり、神ですら死に勝利することはできない。

神が「よし」とするものの、その全ての価値と心が無価値となるからです。
神の存在は全ての「死」と「無価値」に対する常勝将軍であって、全てを無に帰すると思われる「死」ですら、
神に勝利することはできない。正義は常に死を超えます。死神は神に勝利することはできない。

【正規】キリスト教@質問箱270 【正統】
696 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/18(月) 23:33:33.68 ID:GJUrEHfq
>>695
「一度しか無い人生」だから精一杯生きようと云う頑張りですか?
そうゆう洗脳状態の人もいますが、反面、どうせ頑張っても死んで終わりだから
面白おかしく自我のままに生きよう、つらい事があれば自殺すればいい・・
そう云う唯物的な人生を送る決意の人も現れます。

死んでも死なない生き通しの命であれば、人生の正義の努力は報われます。
神の正義を求めて生きる人生となります。
【正規】キリスト教@質問箱270 【正統】
697 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/18(月) 23:47:08.05 ID:GJUrEHfq
 この世では肉体を持っておりますので、仏教で言う生老病死、生きる苦しみ、肉体が老いる苦しみ、
病気の苦しみ、死の苦しみがあります。
天界ではその肉体がありませんので、まず老いることがなく、病気もなく、死ぬこともなく、
また好きな者とだけ会っていればいいので、生きることが苦しみではなく、喜びとなります。
あの世は各人の生命の奥に在りますから、これが人間生命の本質と言えます。

 つまり生きることは、本来苦しみではなく、喜びなのです。
生老病死もなく、自己にとって快適な人間とだけ会い、あの世にはお金がありませんから、
金に関係する一切の苦楽はないわけです。
この世では想像しにくと思いますが、天界の世界とはそういった世界です。

あなたが死後、帰る世界です。しかもあなたがこの世に生まれる時、
背中を叩いて励ましてくれた方の記憶もよみがえります。
そしてこの世界での生活が本来の生活です。
肉体があるから自分と異なる人格性を有した人間とまみえ、その自分とは異なる人格との邂逅が、
自己を磨き、自己の生命の修行になっています。
この物質界がありませんと、神の世界における多様性とその偉大性は理解できません。
あの世では未熟な霊ほど異なる価値や人格との接触を嫌うからです。

この世がなければ本当の心、もっと言えば本当の自分、無限の自分を悟ることはできません。
この世の生死は有限です。苦しみは無限ではなく、有限がその本性です。
無限に感ずるのは錯覚だと思います。どう考えても70年です。
あの世の生活は永遠です。頑張って頂きたいと思ってます。



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