- 阿含宗という宗教195
359 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/16(土) 00:17:25.67 ID:DtosOCm6 - ■ 四念処(念処経第二)
阿含経の目的は自分自身の中にある感覚(覚)・欲望(欲愛)・愛着(色愛・無色愛)・自我(我取)・無癡(見取)・ 不善行(戒取)を消滅させる修行である。 この四念処の修行は自分自身を客観的に観察する、いわゆる観法である。四念処とは客観的に 「自分の身体、苦楽感覚、心、法則」の四つを観察することである。この四念処が修行の根幹をなすものである。 (1)身体をどのように観察するか。 1 比丘は歩くときは歩いていることを知り、止まるときは止まると知り、座れば座ると知り、臥せっていれば臥せってい ると知り、眠れば眠っていると知る。 2 礼儀正しく、僧衣を着け、鉢を持ち、往来、座臥、眠覚、語黙、を知る。 このように、自分の身体を観じ、外界を観ずる。念は身体にあり、智恵をもってこれらを観ずる。 3 悪不善の念が生じたら、ちょうど、木工師が墨で線を引き、斧で木を真っ直ぐにするように善法の念によって 打ち消し、滅する。
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360 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/16(土) 00:20:00.39 ID:DtosOCm6 - 4 比丘は歯と歯を付け、舌は上齶に付け、心を心で観察し、悪不善の考えを滅する。
ちょうど二人力士が犯罪者を取り押さえ、手足に枷をはめ、鞭を打つようにする。 5 比丘は閑静であり、無人の所を楽しみ、身を正し心を正して、結跏趺坐し、他ごとを考えず、 心を鼻の頭に集中し、出息が長ければ、出息が長いと知り、短ければ短いと知る。また、 入息が長ければ入息が長いと知り、短ければ短いと知る。また、出息が冷たければ冷たいと知り、 入息が冷たければ冷たいと知り、出息が暖かければ暖かいと知り、入息が暖かければ暖かいと知る。 このようにことごとく身体を観じて、入息出息について考える。しばらくして息があれば息があると知り。 息がなければ息がないと知る。また息が心から出れば心から出ると知り、息が心から入れば心から入ると知る。 このように安般を行ぜよ。 6比丘は愛着、欲望、悪不善から離れる喜びが身体に充満するのを観ぜよ。 ちょうど器に豆を入れ水に浸すように水が豆を覆わないところはないように。 7比丘は心の安定より生ずる喜楽が、身体に充満する喜びを観ぜよ。 ちょうど山の泉のように清浄で濁らず充満し、四方から水が来るが縁より入ることがなく、 水底から自然と湧きだし、山を浸す。このように比丘、定より生ずる喜楽が身に充満し、満たされない所がない。 このように観ぜよ。 8比丘は喜びから生ずる楽が身を浸し、身体に充満していることを観ぜよ。 ちょうど蓮の花が水の中で生長し、根や茎が葉が水に浸っているように。このように比丘、 世俗の喜びから離れた楽が充満しているのを観ぜよ。 9比丘は身体の中に清浄心が充満しているのを観ぜよ。 ちょうど全身を着物で覆い、頭から足の先まで覆っていないところはないように。このように比丘、 身体中に清浄心が満たされていることを観ぜよ。
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361 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/16(土) 00:22:44.19 ID:DtosOCm6 - 10比丘は光明想を念じ、心に偽りなく、光明心を修して、闇の覆うところがないようにせよ。
11 自分が観察したこと、をよく考えよ。ちょうど座って臥せっている人を観じ、臥せって座っている人を観ずるように 客観的に観せよ。 12 比丘は自分の身体の中に頭から足に至るまで、種々の不浄物が充満しているのを観ぜよ。 私の身体の中には髪、髦、爪、歯、粗細薄膚、皮、肉、筋、骨、心、腎、肝、肺、大腸、小腸、脾、胃、摶糞、脳、 及び脳根、涙、汗、涕唾、膿、血、肪、髄、涎、痰、小便が充満していると観察せよ。 ちょうど土が稲・粟・芥子などを見分けて発芽させるように。 13 比丘は身体の中の諸々の物質を観ぜよ。私の身体の中は、個体、液体、気体、エネルギー、空間、 記憶があると観ぜよ。 ちょうど子牛を殺し、皮を剥いで地面に敷き、六つに切り分けるように、個体、液体、気体、エネルギー、 空間、記憶があると観ぜよ。 14 比丘は屍を観ぜよ。一日から七日わど経った屍が烏や狼に食われ、あるいは火に焼かれ、あるいは腐乱して 壊れて行くのを観ぜよ。私の身体もいずれはこのようになり、免れることは出来ないと。 15 比丘は屍が腐乱して骸骨になって連なっているのを観ぜよ。私の身体もいずれはこのようになり、 免れることは出来ないと。 16 比丘は皮を剥いで筋肉だけが連なっているのを観ぜよ。私の身体もこのようになっているのを観ぜよ。 17 比丘は骨がバラバラに放置されているのを観ぜよ。頭蓋骨、鎖骨、胸骨、肋骨、脊柱、骨盤、腕の骨、 足の骨が散乱しているのを観ぜよ。私の身体もこのようになっており、いずれはこのようにバラバラになると。 18 比丘は骸骨が散乱し、粉々に壊れているのを観ぜよ。私の身体もいずれはこのようになると。
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362 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/16(土) 00:25:07.48 ID:DtosOCm6 - ■ 七覚分
仏陀曰く「修行者が仏の説に随って解脱の修行をしようと思い立ったら、まず、念覚分を習う。 念覚分を修め終わったら選択分別を思惟する。その時択法覚分を習修する。選択分別して 思惟し終わったら精進努力する。精進覚分を習修するのである。精進努力して精進覚分が終われば、 歓喜が生じ、諸々の欲望を離れ喜覚分を習修する。喜覚分が満足して身心が猗息すれば猗息覚分を習修する。 猗息覚分が満足し終わったら愛楽する。愛楽し終わって心が定まれば定覚分を習修する。定覚分が 満足し終わったら欲望は滅し、捨心が生じて、捨覚分を習修するのである。」 1.念覚分 自分と外界について覚る。いわゆる四念処の思惟である。 2.択法覚分 四念処を修行すれば、善法と不善法を選択分別し択法を覚る。 3.精進覚分 択法覚分によって善法不善法の分別を思惟し、不善法を断じ、善法を長養する。いわゆる四正断である。 4.喜覚分 四正断によって歓喜が生じ、喜びを覚る。 5.猗覚分 喜覚分を覚れば、身猗息と心猗息が生じる。身猗息を修し、心猗息を修す。 6.定覚分 猗覚分によって、心定まって「安楽」が生じ、定覚分を修行する。いわゆる四禅を思惟する。 7.捨覚分 定覚分が満足して、欲望を滅し、断界、無欲界、滅界に心をとど
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363 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/16(土) 00:27:49.33 ID:DtosOCm6 - 四正断
欲望を断ずる四つの方法である。常に欲望や愛着を断じていなければならない。 七覚支に「四正断によって歓喜が生じ、喜びを覚る。」とあるように、「欲望、愛着、見取、我取、戒取」を 捨て去ることによって、喜びが生じてくるというのである。 1.断断比丘は今ある悪不善の法を断ずる欲を生じ、努力する。まだ起こっていない悪不善の法を起こさない 欲を生じ、努力する。 また、まだ起こっていない善法は起こす欲を生じ、努力する。今ある善法は増大させる欲を生じ、努力する。 2.律儀断 比丘は眼・耳・鼻・舌・身(触覚)・意(心)を悪不善法から護り、内密に調伏し、生活する。 3.随護断 比丘は時に応じて、三昧を行い、悪不善法を断ずる。 病相、脹相、膿相、壊相、食不浄相を修行する。 ※病相=病気を思惟する。脹相=病気でお腹が脹れたり、腫れたりする状態を思惟する。 膿相=膿が出ている状態、食不浄相=食べ物がこなれて胃に入り腸へ送られ排便される行程を思惟する。(不浄想) 4.修断 比丘は修行によって善法を修行する欲を生じ、努力する。 四念処などを修行すれば修断である。
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364 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/16(土) 00:29:40.11 ID:DtosOCm6 - 四如意足
如意足とは神通力である。すべての神通力がこの四つの断行を成就することにより、 生じていることから断行成就如意足という。 1.欲定断行成就如意足比丘は欲定を成就し、諸々の行を焼き、如意足を修行し、無欲により、離により、 滅により、非品に至るを願う。 2.精進定断行成就如意足 比丘は精進定を成就し、諸々の行を焼き、如意足を修行し、無欲により、離により、滅により、非品に至るを願う。 3.心定断行成就如意足 比丘は心定を成就し、諸々の行を焼き、如意足を修行し、無欲により、離により、滅により、非品に至るを願う。 4.思惟定断行成就如意足 比丘は思惟定を成就し、諸々の行を焼き、如意足を修行し、無欲により、離により、滅により、非品に至るを願う。
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365 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/16(土) 00:32:06.10 ID:DtosOCm6 - ■ 五根
修行には五つの基(根)がある。 1.信根比丘は如来について信心を起こし、根本堅固にして疑いを起こさない。四不壊浄(仏法僧戒)。 2.精進根 比丘は今ある悪不善の法を断じ、また生じていない悪不善の法起こさない欲を生じ、努力する。 まだ起こっていない善法を起こし、すでに起こっている善法は増大させる努力をする。 四正断(断断・律儀断・随護断・修断)。 3.念根 比丘は身体を観察し、精進努力して世間の憂いを超越し、外界や身体の感覚・心・法を観察し思惟する。四念処。 4.定根 比丘は欲望、悪不善法を離れ、有覚有観、離れることに喜楽を観じ、初禅から四禅を備える。四禅。 5.慧根 苦聖諦(苦とは何か)、苦集聖諦(苦はどうして起きるか)、苦滅聖諦(苦を滅するにはどうするか)、 苦滅道聖諦(苦が起きないようにするにはどうするか)を実の如く知る。四聖諦と十二因縁である。
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366 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/16(土) 00:35:50.52 ID:DtosOCm6 - ■ 五力
解脱に向かう五つの力がある。 1.信力とは「四不壊定」である。2.精進力とは「四正断」である。 3.念力とは「四念処」である。 4.定力とは「四禅」である。 5.慧力とは「四聖諦」である。 ■ 四禅 「一人静かな所で黙って考える」これが禅定です。 この四禅はその禅定の進歩の状態を四つの段階に分けて示したものです。 1.初禅(初禅経・解脱経・中涅槃経)比丘は自分の行為、形、状態に於いて欲望、愛着、不善行などを分別する。 それは有覚有観(自問自答)によって行う。それらから離れたことに喜びを感ずる。このようにして初禅が備われば、 行為、形、状態を考えなくなる。しかも肉体、苦楽感覚、想念、行為、記憶について病気のように、吹出物のように、 刺し傷のように、殺すように観じ、「無常・苦・空・非我」の思惟をする。 この五受陰に於いて厭を生じて恐怖し防護し、仏の教えを以て心を満たす。 このように寂静に、勝妙に、愛着を捨離し尽くして滅尽涅槃する。このように知り、このように見ることが出来れば、 欲望の有漏より心が解脱して、有の有漏より心が解脱して、無明の漏より心が解脱し、解脱したことを知ることが出来る。 自分の生はすでに尽き、修行は成就し、すべて為すべきことは為し、再び世に生まれることはないと知ることが出来る。 差別していうなら、もし、解脱することが出来なくても、法を欲し、法を念じ、法を願うことによって中涅槃を取る。 もし、このようにならなければ、生涅槃する。 もしこのようにならなければ、有行涅槃する。 もしこのようにならなければ、無行涅槃する。 もしこのようにならなければ、上流涅槃する。 もしこのようにならなければ、この法を欲し、法を念じ、法を願う功徳によって、大梵天に生まれ、 あるいは梵輔天の中に生まれ、あるいは梵身天の中に生まれる。
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368 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/16(土) 00:38:29.29 ID:DtosOCm6 - 2.第二禅(第二禅経・解脱経)比丘は自分の行為、形、状態に於いて有覚有観(自問自答)をやめ、
心が清まり統一して無覚無観、定に喜楽が生じ、第二禅を備えてそこにとどまる。このように行為、形、 状態を考えることなく、しかも肉体・苦楽感覚・想念・行為・知識の法則について病気のように、 吹出物のように、刺し傷のように、殺すように観じ、「無常・苦・空・非我」の思惟をする。 この五受陰に於いて厭を生じて恐怖し防護し、仏の教えを以て心を満たす。このように寂静に、勝妙に、 愛着を捨離し尽くして滅尽涅槃する。 差別していうなら、このように知り、このように見ることが出来れば、欲望の有漏より心が解脱して、 有の有漏より心が解脱して、無明の漏より心が解脱し、解脱したことを知ることが出来る。自分の生はすでに尽き、 修行は成就し、すべて為すべきことは為し、再び世に生まれることはないと知ることが出来る。 もし、解脱出来なくともこの法に対する欲、法に対する念、法の楽によって中涅槃を取る。 もし、このようにならなければ、生涅槃する。 もしこのようにならなければ、有行涅槃する。 もしこのようにならなければ、無行涅槃する。 もしこのようにならなければ、上流涅槃する。 もしそうでなくとも法を欲し、法を念じ、法を願うことによって自性光音天に生じる。そうでなければ無量光天に生じる。 そうでなければ少光天に生じる。
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- 阿含宗という宗教195
369 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/16(土) 00:54:22.66 ID:DtosOCm6 - 3.第三禅(第三禅経)比丘は是のような行為、形、状態に貪喜を離れ捨にとどまれば、
正しい念と智慧によって身楽を覚り、聖者が正しく説き、捨する念に楽住し、第三禅を備える。 そうでなければ、行為、形態、状態について感覚、思考、行為、記憶に於いて病気、 吹き出物、刺し傷、殺のように思惟し、中涅槃ないし上流涅槃に至る。 そうでなくば、法に対する欲望、法に対する思念、法を願う力によって遍浄天に生じる。 そうでなければ無量浄天に生じ、そうでなければ少浄天に生じる。 4.第四禅(四禅経)比丘は、このような行為、形態、状態に於いて苦を離れ、楽をやめ、 すでに憂喜は滅しているので、不苦不楽を捨て、浄念一心になり、第四禅が備わる。 もしこのように憶念しなくとも、物質(肉体)、感覚、思考、行為、記憶について病気、 吹き出物、刺し傷、殺のように思惟して、中涅槃から上流涅槃する。 もし、そうでなければ因性果実天に生じ、そうでなければ福生天に生じ、そうでなければ、少福天に生ず。
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- 阿含宗という宗教190
190 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/16(土) 05:38:57.45 ID:DtosOCm6 - >>189
人口爆発増加は事実だから仕方あるまい。 そして大量のエネルギー消費と環境破壊。 仏は全てがブラフマーであり自己内に外側を映し敵は外に存在しないと視る。 外は自我の幻。 外道の宗教を信じるものであっても内側は同等のブラフマーである。 いかなる極悪人であっもである。 三界の無色界では一つとなっている。 仏は自ら、よその外道宗教を口撃することはない、きたものに対して相手を否定すことなく 柔和して対機説法を行う。 阿含宗の外道性を釈尊の仏法で口撃して善だと満悦している人もいるが、 実際には善などではないよw仏法も攻撃の鎌として使うならカルマとして腐り、当人も悟ったつもりだろうが 争いの修羅に輪廻するだろう、全てのものの自己がブラフマーとは各当人が法であり各仏法は当人(法)が 解脱に向かう縁起の理論であるから実際に仏法を理解したものは口論を戒め2CHは 去る。 善(好き)悪(嫌い)の諸行は人間の自我が創りだしたもにすぎない。 宗教戦争など神を冒涜してるし神として君臨し人を支配しようといことも神を冒涜している。
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- 阿含宗という宗教190
191 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/16(土) 06:27:39.99 ID:DtosOCm6 - イスラエルとパレスチナの戦いやイラク戦争などなど、どちらにとっても我こそが善であると、
思って戦っている(いた)だろうな。 そしてどちらも神の名と正義の元にと口走りながら。
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- 阿含宗という宗教190
192 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/16(土) 06:30:27.70 ID:DtosOCm6 - スリランカでは上座仏教(政府軍)対ヒンズー教(タミル人)の内戦もそうだ。
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- 阿含宗という宗教197
106 :神も仏も名無しさん[]:2011/04/16(土) 18:59:48.90 ID:DtosOCm6 - 予言 未来を見る:ワンダーゾーン 1992 (逆退行)進行催眠
http://www.youtube.com/watch?v=keYkkto5uLo&feature=related 未来の車の形など1992年の自動車は丸みを帯びてきていたが今ほど丸くなく 確かに今は、かなり丸い車にだなw 30年後の未来の東京は、そしてさらに究極の未来は、 ↑ 彼女観た究極の未来がこれだ。 ↓ 起源経 第二章 「長い時が過ぎると、この欲界は消滅する。その際には、生きとし生ける者の、大部分は、 二禅天に存在している、光音天に生まれ変わる。」 「彼らは、身分の差が無く、同じ姿を持ち、光輝を放ち、空中を歩き、歓喜を食べていた。 そこは、日もなく月もなく、男も女もなかった。」 「究めて長い期間、光音天に止まった後に、梵天界が創造されて、生ける者が落ちて来る。 彼らは、そこに、天の味が広がることを、知る。」 「そして、独りの、意地の汚い者が現れて、天の味を舐めてみて、とても甘い事を知った。 彼は、その味を貪ったため、容色が汚くなった。」 「そして、次々に、意地の汚い者が真似て、天の味を舐めてみて、とても甘い事を学んだ。 皆が、その味を貪ったため、光輝が弱くなった。」 「自ら発する光が消えて、日と月が現れた。日と月と星が現れると、昼と夜とに分かれた。 昼夜が現れて一日が、季節が現れ一年が現れた。」 「貪るほど、体は硬くなり、光は弱くなり、初めは等しかった容色に、違いが現れ始めた。 そして、身分の差が現れて、高慢の心が現れた。」 「そして、彼らの中に、慢心が現れたとき、天の味が消えて、代わりに、地の味が現れた。 彼らは、代わりに、地の味を貪るようになった。」 「地の味は、天の味には、適わないものの、極妙の蜂蜜の様に甘く、味も香も優れていた。 彼らは、喜んで、地の味を、貪るように食べた。」 「貪るほど、体は硬くなり、光は弱くなり、初めは等しかった容色に、違いが現れ始めた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・略 http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/kigen2.htm
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