- すいません。僕、仏陀なんですけど、、、。
29 :仏陀[]:2011/04/03(日) 17:59:35.23 ID:AVT1XMN4 - 悟るための方法は自分の状態の事実のみを念じ続けます。
そこに感情などを入れません。 そうする事で妄想を入らなくさせます。 妄想が入ったら妄想、妄想、妄想と念じます。 仏陀の弟子にチューダパンタカという弟子がいました。 仏陀は彼に布を渡し人々の靴を磨きながら、塵を払う垢をとると念じなさいと命じます。 要するに客観的事実のみを念じる事が仏陀の瞑想です。 そうする事で思考から離れます。
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- すいません。僕、仏陀なんですけど、、、。
30 :仏陀[]:2011/04/03(日) 18:17:12.33 ID:AVT1XMN4 - 考える事は良いことではありません。
むしろ悪いことです。 考えるという事はここに実際に存在しないものに対してわざわざ頭の中で組み立てる妄想にすぎません。 人の悩みは妄想でできています。 主観的思考は全て妄想であり勝手に作り上げた迷路です。もともと存在しません。
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- すいません。僕、仏陀なんですけど、、、。
31 :仏陀[]:2011/04/03(日) 18:30:54.14 ID:AVT1XMN4 -
しかし感覚は存在します。 感覚は苦しみを感じるものとして存在しています。 いかなる快楽もこの苦しみの対処として存在しているにすぎません。
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- すいません。僕、仏陀なんですけど、、、。
32 :仏陀[]:2011/04/03(日) 19:12:40.23 ID:AVT1XMN4 - そして感覚は無常です。常にあり続けるわけではなく、とどまる事はありません。
身体,耳、目、口、鼻、感覚は移り変わります。つまり人間は自分の意思によって聞き続ける事もできなければ見続ける事もできないんです。
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- すいません。僕、仏陀なんですけど、、、。
37 :仏陀[]:2011/04/03(日) 21:16:45.56 ID:AVT1XMN4 - 妄想の果てに神秘体験をして悟ったと勘違いをする事はたくさんあります。
大乗仏教なんてその程度です。 宗教にのめり込むなら、まずなにが真理であるか、そしてそこに達するには何をすればいいのかを納得してから、自分で試してください。 なにがなんだか解らないままのめり込むと結局いい結果は得られません。 ただ勉強がしたくて経典の勉強するなら、かまいませんけど、仏教はあくまでも悟るためのものです。 悟るという事は知るという事です、明確でなければいけません。
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- すいません。僕、仏陀なんですけど、、、。
40 :仏陀[]:2011/04/03(日) 21:37:50.68 ID:AVT1XMN4 - 仏教と科学は似ています。
あらゆる物事は因果によって成り立っている。 科学は自分と外の世界の客観的事実を実験によって捉えていき、仏教は自分の中の世界の客観的事実を瞑想によって捉えていきます。
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- すいません。僕、仏陀なんですけど、、、。
45 :仏陀[]:2011/04/03(日) 21:53:29.41 ID:AVT1XMN4 - 悟るという事が何かが分かるという事でなければ、人に伝える事はありませんし、安息を得る事もありません。
人は何かを知る事によって安息を得る事があります。
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- すいません。僕、仏陀なんですけど、、、。
47 :仏陀[]:2011/04/03(日) 22:10:30.59 ID:AVT1XMN4 - 自分という主体など存在しないというのが仏教の説く真理です。客観的に捉えようとしても主体が入るというのは妄想にとらわれているからです。
これが自分、これが自分と言ってるものは妄想であり主体など存在しないという事です。 要するに自分の目、耳、身体自体は存在しても、自分のという主体が存在しないんです。
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- すいません。僕、仏陀なんですけど、、、。
48 :仏陀[]:2011/04/03(日) 22:22:41.27 ID:AVT1XMN4 - 心は身体とともに存在します。
ですから心がどこからきたというより、身体がどこから来たかと捉えたほうがいいです。 あなたの親です。
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- すいません。僕、仏陀なんですけど、、、。
51 :仏陀[]:2011/04/03(日) 22:49:24.00 ID:AVT1XMN4 - 要するにどんなに思考を組み立ててもそれ自体が妄想ですから意味がありません。
主体は存在しないが感覚は存在します。 輪廻も解脱も感覚が捉えていきます。 その感覚が無常という事です。
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- すいません。僕、仏陀なんですけど、、、。
54 :仏陀[]:2011/04/03(日) 23:52:57.05 ID:AVT1XMN4 -
感覚には、身体、耳、目、口、鼻、の五感と意識感覚つまり心があります。 いずれにしても考えるのではなく、感じる事によって認識します。 事実を言葉として捉えた時に知るという感覚があります。 仏陀の説法は事実を言葉で表したもので、思考を組み立たものでも妄想によるものでもないです。 いずれにしても考えれば考えるほど頭が良くなる人はいません。 判断です。 判断は感覚によりなされます。
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