- 神との対話21
484 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 00:03:23.05 ID:hQQoYX8g - >480
自分がなくならないから何も解決しないんだよ。
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- 続 ベンジャミン・クレーム
817 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 00:06:18.75 ID:hQQoYX8g - >>816
どこをどう歪曲捏造いているのか具体的に指摘するように。
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- 神との対話21
486 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 00:24:44.61 ID:hQQoYX8g - >>485
ないものをあるように錯覚しているから深刻な葛藤が生まれる 自分の認識は間違っているかもしれないという謙虚さがなければいつまでも苦しみは続くだろう 君は心底幸せか? そうじゃないだろう。それは君がいると錯覚しているからなんだよ
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- 神との対話21
487 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 00:27:56.40 ID:hQQoYX8g - 私がここにいる! これが私だ! という錯覚。
その錯覚された偽りの私を守ろうとするところから苦しみは生まれる。 守らなければならないものが何もなくなったとき、あらゆる苦しみは終焉する。 このパラドックスを理解できるまでは、君は偽りの自分を死守しようと七転八倒し続けるだろう。
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- 神との対話21
490 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 00:39:49.82 ID:hQQoYX8g - >>488
間違い。錯覚していることそのものによって偽りの自己がそこにあると勘違いしている。 従ってその錯覚が消えれば偽りの自己も消え、それはもともとなかった、最初からなかったことになる。 時間のパラドックス、つまり時間もまた錯覚に過ぎない。時間とは偽りの自己から最初に流出した幻影だからだ。 幸せと存在は同義語だ。幸せでないのならそれは本当の存在ではない、偽りの自己ということだ。
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- 神との対話21
492 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 01:13:28.15 ID:hQQoYX8g - >>491
自立的に存在していると考えている君自身が錯覚なんだよ。 君がいくらエゴ存続のための言い訳を考えても無駄だ。 それはもともと存在していない以上、消え去ることになる。 というよりも、それはもう終わっている。 君が、本当の自己はいったい何をしているのか? という疑問を呈したとしても、そのこと自体が錯覚の中にあるのだから 無意味な問いであることを知れ。
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- 神との対話21
496 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 12:22:28.61 ID:hQQoYX8g - >>495
継続していると認識しているのは、我々が時間というマーヤから脱していないからだ。 後半について。 お前は完全に間違っている。 お前は一瞥の体験がない。 従って、「わたし」というその偽りの感覚が完全な錯覚であること、 そしてその完全な錯覚とは何の関係もない本当の私が絶対的な至福として、 常にあり続けていたといるということを知らない。 お前は、何も知らないものだから、本の受け売りで、 >個を維持しつつ全体と繋がる事 >自分が無くなったりはしないから心配はいらない などと、エゴが消え去ることの恐怖から逃れたくて 間抜けな主張を繰り返しているだけだ。 どう足掻いてもお前のその間違った感覚としての「わたし」は敗北し消え去る。 より厳密には、それはただの錯覚であってそんなものはもともと存在していない。
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- 真我開発講座について語ろう
60 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 12:25:38.93 ID:hQQoYX8g - >>59
で、こんな真我開発講座などという真我を語った悪質なビジネスとしての講座を受けても、 山で悟ることも街で悟ることも出来ないということだ。
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- ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 10
967 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 12:33:47.26 ID:hQQoYX8g - 網膜剥離、網膜裂孔を疑うべきだな。
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- ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 10
974 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 13:08:27.16 ID:hQQoYX8g - >>968
視力とは関係ない。放置しておくと緑内障に発展する可能性もあり。
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- 神との対話21
499 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 14:24:29.24 ID:hQQoYX8g - >>497
そういう疑問を抱いているのは錯覚としてのエゴだ。 だからそのエゴの質問に答えることに意味はないんだよ、質問そのものも含めてね。 そのパラドックスを受け入れられない限り、お前はいつまでも他人の尻馬に乗り受け売りを繰り返して空虚な人生を続けるのみだ。
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- 神との対話21
501 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 14:57:29.02 ID:hQQoYX8g - >>500
矛盾だと思うのは、お前が一瞥を体験していないからだよ。 お前が一瞬でもそれを垣間見れば、お前が誤認識しているその「わたし」が、 ただの錯覚に過ぎなかったということに気づく。 パラドックスを受け入れる、あるいはそのまま置いておくことを覚えなさい。
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- ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 10
990 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 14:59:19.06 ID:hQQoYX8g - >>975
違うよ。君のそれは病気の結果だ。
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- 神との対話21
503 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 15:33:25.93 ID:hQQoYX8g - >>502
錯覚だった、と気づいているのはまだエゴの段階だよ。 しかしエゴがそれに気づくと、その後解体の過程に入る。 解体というのもエゴの側から見た表現だけどな。
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- 神との対話21
505 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 16:22:43.70 ID:hQQoYX8g - >>504
違う。一瞥。それを垣間見ると理屈抜きにそのことがわかってしまう。 そうすると、神との対話を筆頭に、精神世界のほとんどは嘘八百だということもわかるようになる。 ほとんどすべてはエゴの戯言、マインドの創りだした幻影だということだ。
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- 神との対話21
507 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 18:37:55.68 ID:hQQoYX8g - >>506
それを実体験していないのに、「崩壊するでしょう」「居続けるはず」等と言わないように。 現実逃避をしているのはお前だよ。 これは実に面白いことだが、本当の意味での「ありのままの現実」から逃げている状態、 それがお前が誤認識している「わたし」であり、その「わたし」が錯覚している偽りの「現実」なんだよ。
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- 神との対話21
509 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 18:57:11.68 ID:hQQoYX8g - >本当の意味での「ありのままの現実」は今2chをしているということだよ
>流石の君も今2chしている事を否定するのは苦しいよね 違う。これは悪夢を見ているようなもの。 いずれ夢は醒める。どう抵抗しようともね。 しかし、熟睡して夢を見ている真っただ中の人にはそれが夢であることはわからない。 目覚めつつある人は、夢と覚醒の中間あたりにいる。 所謂明晰夢を見ている最中は、これは夢だということを自覚しつつ夢が展開されている。
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- ★★★神との対話★★★
966 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 18:58:09.76 ID:hQQoYX8g - 神ではなく、人が考えたものだね、その文言は。
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- 神との対話21
511 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 19:46:22.05 ID:hQQoYX8g - >>510
違う。完全に目覚めたら夢を見ていたということそのものも含めて消える。 なぜなら、体験している、体験した、という認識は、時系列的変化を前提にしているから。 時間そのものが幻影であり、時間が過去から未来へ流れているという幻影そのものが消え去る。
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- 神との対話21
513 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 19:59:37.13 ID:hQQoYX8g - >>512
経験しないとわからないよ。 お前のエゴが必死に懇願しているような、連続性はまったくない。 連続性がまったくないのだから、 目覚めた状態が完全なら夢に移行することもなかった、 という理屈も通用しない。それはエゴが考えた自己正当化に過ぎない。 お前の屁理屈はあくまで深く眠り夢を見ている立場からの屁理屈であり、 ほんの一瞬でも目が覚める、文字通りの意味での我に帰る経験(一瞥)が起これば、 そんな屁理屈はまったく通用しないのだということを体感的にわかってしまう。 エゴと神は連続していない。 そしてエゴと神の両方を取ることはできない。 いや、両立は可能だと妄想し、結果的に何も手に出来ないのがニューエイジの妄想に浸っているお前のような連中だ。
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- 神との対話21
515 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 20:26:44.23 ID:hQQoYX8g - >>514
一瞥は我に帰ったことにはならない。 それは丘の上から、帰るべき父の家の存在を確認した程度であり、 未だ夢の中にある。 何度も繰り返すが、エゴと神には何の連続性もない。 一般道をいくら遠くまで走っても、高速道路にはならない。
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- 神との対話21
517 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 20:44:45.99 ID:hQQoYX8g - >>516
それなら訂正しよう。 一瞬我に帰った状態、ならいいかな。 様々な実践をしようがしまいが、いずれこの夢は終わる。 お前が執着ししがみついているその「わたし」という感覚も間違いなく消え去るよ、お前の肉体の死と同時にね。 その「わたし」は単なる肉体上の反応に過ぎないから。 夢は本当は最初からなかった。 それは我々が夢から完全に目覚め、夢を見ていたという幻想が消えた時に 火を見るよりも明らかな事実として認識できるだろう。 お前の肉体は120%確実に消えて無くなるし、それと同時にその偽りの感覚である「わたし」も終わる。
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- 神との対話21
519 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 21:18:56.03 ID:hQQoYX8g - >>518
一瞥を経験していないお前に何がわかる? 一瞥を経験した人間はそうではないことはハッキリと、これ以上ないくらいハッキリとわかる。 それは恍惚状態でも朦朧としたトランス状態でもない。 完全な存在、ただ在る、それだけで、それゆえにパーフェクトな至福。 決して終わりなき妥協なき完全なる状態。
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- ★★★神との対話★★★
968 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 22:41:58.06 ID:hQQoYX8g - 大昔に読んだがもう捨てたよ。偽物であることがわかったからね。
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- 神との対話21
522 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 23:25:59.90 ID:hQQoYX8g - >>520
静止している、というのが何も知らない証拠だ。 君はそれを怖がっているわけだ。 存在は退屈で退屈でしかたがないものだと勘違いしている。 ところが事実は逆だ。 存在の至福を一瞬でも垣間見た者は、このウソとハッタリの世界が如何に下らない、 文字通りの妄想に過ぎないのか、ということを体感してしまう。
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- 神との対話21
524 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 23:28:36.58 ID:hQQoYX8g - 永遠に飽きることのない、常に新鮮な至福である神が、
そのことに飽きて変化したいと望み、動き出す、 というのはまさにエゴが考え付いた生き残りのためのウソハッタリだ。 なぜなら、存在はそれ自体が変化であり動きであり、すべてだからだ。 何かをしなければ飽きてしまうのならそれは神ではない。
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- 神との対話21
525 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/30(水) 23:45:39.33 ID:hQQoYX8g - >>523
ネズミ捕りのつもりが自らいつも捕られてしまっているんじゃないかな? それはなぜかというと、お前は何も経験しておらず、本の受け売りと憶測でしか語っていないからだよ。
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