- 【新入生】カルト親鸞会【気をつけて!】
242 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 02:44:34.54 ID:T7a9ueAH - >>240
定散諸機各別の 自力の三心ひるがへし 如来利他の信心に 通入せんとねがふべし これは定散諸機に体して言われているんだな。定散諸機は、善人のこと。 我々は悪人で、この御和讃は関係ないんだよ。 善に拘っている定散諸機(善人)に体して、自力の三心を翻せと教えられたんだよ。 廃悪修善をどれだけ励んでも定善も散善も出来ぬ極重悪人とは知らされないんだよ。 定善散善をしたら、それらの善ができているんだから極重悪人ではない。 龍樹菩薩は極重悪人か? 善導大師は定善を実践されていたけど、自分が極重悪人とは仰っていない。 親鸞会理論は、もともと出鱈目なんだよ。
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244 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 02:55:49.82 ID:T7a9ueAH - >>239
>浄土往生を願うには >願うに至る心の道程がいるんだ。 > >すべて阿弥陀如来の善巧方便だと思えるには >カラクリがいるんだ。 >カラクリとは何なのか理解して >心の実践なければ浄土往生を願うことすらない >迷える人々だろう。 権仮方便と善巧方便の違いさえも理解できていないんだな。 浄土往生は親鸞会の会員なら願っているんだよ。 すでに浄土往生を願い、しかも18願でなければ救われないと思っているからこそ、 親鸞聖人の教えを信じているんだから、間抜けなことを言っているんじゃないよ。 善巧方便とは、真実そのものを理解できない我々に理解できるように表現されたもの だから、真実そのもの。方便法身がその代表。 その程度のことも理解できないで、偉そうなことを言っていると大恥をかくよ。
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247 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 03:03:50.87 ID:T7a9ueAH - >>243
廃悪修善はどんな人にも勧められているけど、これを浄土往生の前提とされて いないこともわかっていないんだな。 廃悪修善ができる善人には、廃悪修善を一生懸命しなさい、 廃悪修善のできない悪人も、可能なかぎり廃悪修善に努力していきなさい。 しかし、18願での救いには廃悪修善ができるできない、努めた努めていないは 無関係なんだな。廃悪修善のできないもの、努めようと思っても努めることさえ できないものが極重の悪人なんだよ。 観経を読んだことがあるか? 耳四郎がいつ廃悪修善に励んだ? 耳四郎は獲信後でさえも、泥棒を続けていた。廃悪修善が本当にできない人でも 救う阿弥陀仏のお力を疑っているのが、疑情なんだよ。
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248 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 03:09:41.64 ID:T7a9ueAH - >>246
君の勝手な解釈など無意味だな。 韋提希は最初から浄土往生を願っていた。 根拠も無く、自分勝手な解釈をするのを自力というんだよ。 先の御和讃を無視したけど、極重の悪人に定散を勧められたお言葉を出してみな。 定散諸機=極重の悪人ではないよ。 龍樹菩薩は極重の悪人か? 善導大師は極重の悪人か?
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250 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 03:28:56.16 ID:T7a9ueAH - >>249
>極重の悪人というのは、内にも外にも廃悪修善ができる人間だと思っているんだ 君は根拠もださずに、ヘンテコな高森の理屈を押しつけているだけ。 極重の悪人とは、下品下生のこと。五逆謗法の者のことで、法然上人ははっきりと 自分も皆さんも五逆の者ではないと仰っているな。聖覚法印も同じ。 煩悩具足の凡夫が浄土往生を願えない根拠を出してみな。 韋提希は煩悩具足の凡夫で、定散二善を説かれる前から浄土往生を願っていたけど、 観経は嘘を教えられたんか?
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253 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 03:42:16.80 ID:T7a9ueAH - この三品は、尋常の時ただ悪業を造りて往生を求めずといへども、臨終の時はじめて善知識に遇ひてすなはち往生を得。
(選択集) 下輩の悪人は、平生に善をしてないんだな。しかし、臨終に浄土往生を願って 往生したけど、嘘か?
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254 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 03:45:26.40 ID:T7a9ueAH - 観経を読んでないんだな、君は。
「世尊、われむかし、なんの罪ありてかこの悪子を生ずる。 世尊また、なんらの因縁ましましてか、提婆達多とともに眷属たる。 やや、願はくは世尊、わがために広く憂悩なき処を説きたまへ。 われまさに往生すべし。閻浮提の濁悪の世をば楽はざるなり。 この濁悪の処は地獄・餓鬼・畜生盈満し、不善の聚多し。 願はくは、われ未来に悪の声を聞かじ、悪人を見じ。 いま世尊に向かひて五体を地に投げて哀れみを求めて懺悔す。 やや、願はくは仏日、われに教へて清浄業処を観ぜしめたまへ」 これは、釈尊が浄土を見せられる前。もっと勉強してからおいで。 もう寝るからまた、暇な時に相手をしてやるよ。
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267 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 06:36:21.65 ID:T7a9ueAH - まだ言ってるの。暇だね。
蓮如上人の御文章を挙げてほしいのなら挙げるよ。 つぎに「本願名号信受して寤寐にわするることなかれ」といふは、かたちはいかやうなりといふとも、 また罪は十悪・五逆、謗法・闡提の輩なれども、回心懺悔して、ふかく、かかるあさましき機をすくひ まします弥陀如来の本願なりと信知して(1帖目第2通) ただ阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、かかる十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人までも、 みなたすけたまへる不思議の誓願力ぞとふかく信じて(2帖目第10通) それ、弥陀如来の念仏往生の本願(第十八願)と申すはいかやうなることぞといふに、在家無智のものも、 また十悪・五逆のやからにいたるまでも、なにのやうもなく他力の信心といふことをひとつ決定すれば、 みなことごとく極楽に往生するなり。 (3帖目第3通) さて弥陀如来の超世の大願はいかなる機の衆生をすくひましますぞと申せば、十悪・五逆の罪人も五障・ 三従の女人にいたるまでも、みなことごとくもらさずたすけたまへる大願なり。(3帖目第5通) しかれば、それ阿弥陀如来は、すでに十悪・五逆の愚人、五障・三従の女人にいたるまで、ことごとく すくひましますといへることをば、いかなる人もよくしりはんべりぬ。(3帖目第3通) これによりて、いかなる十悪・五逆、五障・三従の女人なりとも、もろもろの雑行をすてて、ひたすら 後生たすけたまへとたのまん人をば、たとへば十人もあれ百人もあれ、みなことごとくもらさずたすけ たまふべし。(5帖目第8通) まづ機をいへば、十悪・五逆の罪人なりとも、五障・三従の女人なりとも、さらにその罪業の深重に こころをばかくべからず。(5帖目第15通) 「なれども」「までも」「なりとも」「いたるまで」 お分かりかな?
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268 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 06:40:21.91 ID:T7a9ueAH - われら罪業重しと云へども、いまだ五逆をばつくらず。 (法然上人・往生大要鈔)
五逆をもつくらさるわれらを、弥陀の名号を称念せむに往生うたかうへからず。 (法然上人・浄土宗大意) 五逆の罪人すら、なほ十念のゆゑにふかく刹那のあひだに往生をとぐ。いはんや罪五逆にいたらず、 功十念にすぎたらんをや。 (唯信鈔) われら、罪業おもしというとも、五逆をばつくらず。(唯信鈔) 法然上人・聖覚法印を否定する謗法の輩は、必堕無間だからね。
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270 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 06:48:36.74 ID:T7a9ueAH - 方便の意味が全く分かっていないね。浄土の方便の善とは、権仮方便と言うこと。
善人に対しての方便。 『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。濁世の道俗、 よくみづからおのれが能を思量せよとなり、知るべし。(化土巻) されば定散の機をも五逆の機をも、もらさずあはれみたまひけりといふこころなり。 (中略) 「極重悪人唯称仏」といふは、極重の悪人は他の方便なし、ただ弥陀を称して極楽に生ずることを得よ といへる文のこころなり。 (正信偈大意) 「定散の機」と「五逆の機」は別なんだよ。「極重の悪人」は「五逆の機」のこと。 すべての人が「五逆の機」であるというお言葉を出せ。
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273 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 07:02:39.58 ID:T7a9ueAH - 「不簡多聞持浄戒」といふは、「多聞」は聖教をひろくおほくきき、信ずるなり。「持」はたもつといふ、
たもつといふは、ならひまなぶこころをうしなはず、ちらさぬなり。「浄戒」は大小乗のもろもろの戒行、 五戒・八戒・十善戒、小乗の具足衆戒、三千の威儀、六万の斎行、『梵網』の五十八戒、大乗一心金剛法戒、 三聚浄戒、大乗の具足戒等、すべて道俗の戒品、これらをたもつを「持」といふ。かやうのさまざまの戒品を たもてるいみじきひとびとも、他力真実の信心をえてのちに真実報土には往生をとぐるなり。みづからの、 おのおのの戒善、おのおのの自力の信、自力の善にては実報土には生れずとなり。 「不簡破戒罪根深」といふは、「破戒」は上にあらはすところのよろづの道俗の戒品をうけて、やぶりすて たるもの、これらをきらはずとなり。「罪根深」といふは、十悪・五逆の悪人、謗法・闡提の罪人、おほよそ 善根すくなきもの、悪業おほきもの、善心あさきもの、悪心ふかきもの、かやうのあさましきさまざまの 罪ふかきひとを「深」といふ、ふかしといふことばなり。すべてよきひと、あしきひと、たふときひと、 いやしきひとを、無碍光仏の御ちかひにはきらはずえらばれずこれをみちびきたまふをさきとしむねと するなり。真実信心をうれば実報土に生るとをしへたまへるを、浄土真宗の正意とすとしるべしとなり。 (唯信鈔文意) 「よきひと」 =「多聞持浄戒」の人 「あしきひと」 =「破戒罪根深」の人 「あしきひと」「破戒罪根深」の人を更に分ければ、 「破戒」の人 =「よろづの道俗の戒品をうけて、やぶりすてたるもの」 「罪根深」の人 =「十悪・五逆の悪人、謗法・闡提の罪人」 =「善根すくなきもの、悪業おほきもの、善心あさきもの、悪心ふかきもの」
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275 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 07:04:59.42 ID:T7a9ueAH - 日本語分かりますか?
すべての人が五逆のものと仰った根拠(屁理屈は不要なので、そのもののお言葉)を出せ。 「までも」の意味を辞書で調べておけ。
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276 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 07:07:16.94 ID:T7a9ueAH - 十悪のものだと言っているだろ。自分は男だけど、「五障・三従」とは、女のことだけど、
自分は女だということか? 日本語の勉強をしろ。 今から出勤だから、そのものずばりの根拠を出しておけ。
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294 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 09:09:48.68 ID:T7a9ueAH - なんだ、何も進展がないな。
過去のカキコを読んでみな。
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295 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 09:12:23.37 ID:T7a9ueAH - 善の少ししかできない十悪のもので、自力では出離のできないものである。
下品上生を五逆のものという馬鹿には、理解できないだろうけどさ。
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297 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 10:23:15.00 ID:T7a9ueAH - 玄義分を読んだことがないんだろうな。
この三品(下品)の人、仏法・世俗の二種の善根あることなし。ただ悪を作ることを知るのみ。 なにをもつてか知ることを得る。下が上の文に説くがごとし。 「ただ五逆と謗法とを作らず、自余の諸悪はことごとくみなつぶさに造りて、慚愧すなはち一念に至るまでもあることなし。 命終らんと欲する時、善知識の、ために大乗を説き、教へて仏を称せしむるに遇ひて一声す。 その時阿弥陀仏、すなはち化仏・菩薩を遣はしてこの人を来迎し、すなはち往生を得しめたまふ」と。 ただかくのごとき悪人目に触るるにみなこれなり。もし善縁に遇へば、すなはち往生を得。もし善に遇はざれば、 さだめて三塗に入りていまだ出づべからず。 下品上生は、五逆を造っていないこともわからんのだな。しかも世俗の善根もあることなしだから、 雑毒の善もないということだよ。雑毒の善ができると断言する親鸞会は、中品下生以上なんだな。 つまり、親鸞会の会員は下品下生ではないといっているようなもの。 馬鹿には理解できないだろうけどさ。
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303 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 15:49:49.10 ID:T7a9ueAH - 現在の善知識だって、似たようなレベル。
無常の虎の譬えだって、どこにもないじゃない。 仏説譬喩経を読まずに話をするから、大恥をかくの。 二河白道の譬えも、全然違うし。 会長は、聖教を全く読んだことがないんだよ。 詳細は 飛雲:”無常の虎”とは何?http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-7048.html ”二河白道の譬え”はどう?http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-94dd.html
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304 :神も仏も名無しさん[]:2011/03/22(火) 15:55:40.90 ID:T7a9ueAH - 嘘の”無常の虎の譬え”を正しくは、
昔、一人の旅人が広い野を歩いていると、後ろから悪ゾウが追いかけてきました。 周りを見まわしても、身を隠すところがありません。 木の根が垂れている、から井戸があるのを見つけました。 その木の根をつたってから井戸の中に身を潜めました。 ほっとするのも束の間、目の前に黒と白の二匹の鼠が出てきて、かわりがわりに木の根をかじっています。 下を見れば古井戸の底で、一匹の大きな毒龍が口をこちらに向けており、四匹の毒ヘビが井戸の四辺にいて、男の落ちてくるのを待ち受けているではないですか。 このままでは確実に細い根はちぎれて、龍や蛇に食べられてしまいます。 男は恐怖に身を震わせていました。 木の根にはミツバチの巣がありました。その巣から甘い蜜が五滴、口のなかに堕ちてきました。そのなんとも言えない蜜の甘さに心が奪われ、もっと甘い蜜をなめたいと思って、 いまにも切れそうな木の根をゆさゆさと揺すっています。その上さらに、野火がこの木を焼こうとしています。 ここに出てくる広い野とは私たちの永い迷いを喩えています。 ゾウとは無常、井戸は人生、木の根はいのちを喩えています。 黒白の二匹の鼠は昼と夜を喩え、私のいのちが徐々に終わりに近づいていることを示しています。 井戸の周りの四匹の蛇は地・水・火・風の四大を、五滴の蜜は色・声・香・味・所触の五欲を喩えています。 蜂はよこしまな思いを喩え、火は老病を喩えています。 そして龍は死を喩えています。 私たちは、このように知って、世間の楽に心奪われることなく、人生の無常に思いをいたして、苦悩の解決を求めていかなければならないのです。
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