トップページ > 心と宗教 > 2011年03月05日 > QaXMmO6u

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神も仏も名無しさん
 仏教 議論スレッド 11

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 仏教 議論スレッド 11
15 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/05(土) 09:12:16.81 ID:QaXMmO6u
哲板から野次馬が集まってきたなw
 仏教 議論スレッド 11
18 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/05(土) 11:06:27.89 ID:QaXMmO6u
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1297398791/957
そうですね。
(http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1297398791/750で、“いちびる”ような形でオーバーに言及したようにw)
私もほぼ同様に考えますが、話の流れ上、つい脇へ措き過ぎて忘れてしまうところでした。
横レスに感謝しますw
 仏教 議論スレッド 11
19 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/05(土) 11:24:46.71 ID:QaXMmO6u
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1297398791/956
貴方にとっての大昔は、いったい西暦何年以前のことなんでしょう?w
単にスパンの長短でしかないでしょう?
40年前の平川訳を固定化して至上のものとする。
或いは、(何年前かパッと出てこないがw)龍樹の中論を固定化して至上のものとする。
現段階では、これ以前を「大昔」「不正確」と峻別しているようですが・・w
しかし、平川訳以降、新たな写本の発見や研究がなされ、新たな訳出が爲されていることは、
平川訳が過去のものとなっている証ではありませんか?
「参考」にされ、「ヒント」とされ、そうした意味での原点とは言い得ても、
貴方が≪【大昔の(≒過去の)】釈尊由来の伝承・教説でなく、【後代の】新説(中論)を現代的に読み解いて支持する≫が如く、
≪過去の平川訳でなく、直近の新訳・研究成果を評価・支持する≫ことは、相似形ですよ?
なぜ、釈尊の教説を「過去のもの」とするが如く、平川訳を「過去のもの」としないのですか?
新規情報により、その成果により、現代人が現代的に読み解けるものが優れているのでしょう?
なぜ、古い(≒大昔のwww)平川訳に固執するのですか?w
それはまさに、貴方がこれまで批判してきた姿勢そのものですよ?w
 仏教 議論スレッド 11
20 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/05(土) 11:34:46.88 ID:QaXMmO6u
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1297398791/967>>967
> それは学問などではないね。単なる宗教の説法と布教に過ぎない。
あたりまえでしょうw
仏教は、第一義的には宗教なのですからw 布教されなければ意味がないのですからw
宗教という言い方が嫌なら
「より良く生きるための、実践(→現実生活への具体的顕現)を基盤とした視座、思想」なのですからw
今更何を言ってるんでしょう。
学問的考察は、二次的副次的なものです。(勿論それは、理解の爲に必須ではありますが・・。)

> 学問とは、開祖の見解を含めてそれを批判し、一歩前進させること。
> 批判のないところには、学問も進歩もない。
それが「仏教学」或いは「宗学」に於ける「原典批判的研究」と位置付けられるわけです。
そしてその成果をフィードバックし、現代的に説明する・釈する際の、教学の整理整頓に資させるわけです。
何も問題はありませんw
 仏教 議論スレッド 11
28 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/05(土) 12:32:56.28 ID:QaXMmO6u
>>25
それなら、「大昔」かどうかは関係ないですね?w
>現代人としての知識と知性を以って 受け入れ可能ならよいわけですね?w
 (現に貴方は「過去のものかどうか」にこだわってはいない。古くても平川訳を支持しているのだからw(>>19))
>真理とは、「誰が言っても真理」のことである ならば、
『大昔かどうか』『開祖・教祖が言ったものかどうか』は全然関係ないですよね?w

現代の研究が真理から遠ざかっていて、大昔の言説が真理に適っていればよいのでしょう?w
 (現に、龍樹の中論は遥か昔の文献なのに、貴方は大層支持しておられますねw)


結局「俺様基準」なわけです。 ま、今更ですが・・・。
 仏教 議論スレッド 11
31 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/05(土) 14:00:59.91 ID:QaXMmO6u
>>30
お釈迦さんがまさにそうでしょう?w
観察により見出された「在り様」を、そのまま予断を加えずに(→己の基準を用いずに)見たものが
「縁起」というものに結晶しているわけで・・w
 仏教 議論スレッド 11
44 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/05(土) 18:24:16.37 ID:QaXMmO6u
>>中観寺&誰かさん

ざっくり言うと、
隠居が >>39>心理的因果関係は、その人によって、また状況によって異なる。 と言うような点も、
フレームとしての一因一果、個々別々の多因多果、の例だよw
(勿論、物理的因果も同様なのだがね・・w)

前スレ幾つかへの返答は、気が向いたら作文してみる。
 仏教 議論スレッド 11
46 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/05(土) 18:54:03.54 ID:QaXMmO6u
>>45
wwwwww

たとえば、貴方が「怒り」を感じた時、或いは「充実感」を感じた時、等等等等、
それらの事象に因果関係はないとでも?
では、なぜ、そのような心理状態が貴方の心に生じたのですか?
 仏教 議論スレッド 11
53 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/05(土) 22:01:06.83 ID:QaXMmO6u
>>52
wwwww

心の動きが、生命維持の放棄に作用する例は沢山ありますが?w
また、「>外界の事象に適応して」というのは、
まさに「外界の或る事象を因として(縁として)生じた」ということじゃないんですか?w
また、「>因も果も、同じ心の状態に過ぎない」ということが、
どうして「>心理状態における因果関係などない」ということに繋がるんでしょう?w
「>心の状態 として」「因も果も(縁も果も)」見られるじゃないですか?
なぜ、それを「無い」とするのですか?
『>純粋な心理状態における因果関係などない。因も果も、同じ心の状態に過ぎないのだから』という一文は、
まさに、心に於ける因果を(縁起を)認めている文章に他ならないのではありませんか?w

あなた、御自身の仰ってることを理解できてます?w (´ー`)y━~~

>自分の心を・・・・・・ナンセンス。
これは、劣化版デカルトとして指摘済みですよね。忘れちゃいましたか?w
無限遡及は一度(或いは二度)で良いんですよ。
 仏教 議論スレッド 11
57 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/05(土) 22:38:24.53 ID:QaXMmO6u
>>56
また肝心な部分には答えないw 見事なスルースキルですねw

貴方の心の動きには因果関係は無いんですか?
 仏教 議論スレッド 11
64 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/05(土) 23:27:08.87 ID:QaXMmO6u
>>60
ほうw

焦っていて忘れ物をするような時、こうした「失念」はどのような外部的事象で?
苛立っていて、いつもの“からかい”に腹を立てる、そんな時は
緊張して台詞を忘れる、そんな時は
そして、それらは当然、
「忘れることなく出かけられる」
「いつもの如く、軽口で返す」
「しっかり台詞を憶い出せる」
ケースもあるわけですが、この差異は何に起因するので?
 仏教 議論スレッド 11
68 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/03/05(土) 23:49:35.53 ID:QaXMmO6u
>>66
>「忘れ物」も「からかい」も「外界の事象」
それらが、心的状態により引き起こされた事象と言えるか言えないかを聞いている。
菅直人みたいなピント外れの答弁をしないようにw
つか、並列が間違ってるぞw
「忘れ物、失念」「怒り」が並列され、「焦り」「苛立ち」「緊張」が並列されるのだが・・。


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