- 阿含宗という宗教195
762 :R []:2011/03/04(金) 10:37:21.02 ID:K4sBxRW3 - >730 :Я:2011/03/03(木) 20:59:26.83 ID:herHXkee
三福は観無量寿経だな。 トンチンカンな反応してもダメです。 ユビキタスさんの指摘は、桐山さんの三福道などは経典にない、 捏造されたものであることを基本に於いて解説しています。 それを「観無量寿経」を持って来ても、番外です。 そもそも桐山さんが示した、 國訳一切経の阿含部8にある増一阿含経・三供養品22を読んでないから、 無知をさらして、無恥でいられる。 まあ、キチンと先ずは読みなさい、↓アラなど無いわ!アラ汁は美味いが。 http://www.archive.org/stream/kokuyakuissaiky088800uoft#page/213/mode/2up
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763 :R []:2011/03/04(金) 11:52:26.35 ID:K4sBxRW3 - 信者さんたちが、いかに桐山さんに洗脳されているか、
その騙されっぷりを下記から抜粋してみましょうね。 ーagama考察室・阿含関連資料掲示HPより抜粋ー http://agama.zouri.jp/framepage9.html 桐山氏は阿含経の三供養品にある三福道こそが、 在家信者に説かれた成仏法であると主張しています。『社会科学としての阿含仏教』 三福道は阿含宗の二つある根本経典の一つで、在家信仰の拠り所であり、根拠です。 この経典の重要性は「末世成仏本尊経」という名前を桐山氏がつけたことからもわかります だが、阿含経には三福道など存在せず、三福道という言葉自体が桐山氏の捏造です。 単に言葉を捏造しただけでなく、三善根の元々の意味とは正反対に用いています。
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764 :R []:2011/03/04(金) 11:55:18.82 ID:K4sBxRW3 - ーagama考察室・阿含関連資料掲示HPより抜粋ー
ーその騙されっぷり2ー 存在しない三福道の経典 桐山氏の主張を見てみます。『社会科学としての阿含仏教』に掲載されているのが 下記の二つの経典です。桐山氏は、三供養品には三福道と書いてある経典と(著書1の288〜289頁)、 三善根と書いてある経典(著書の290ページ)の二種類があると主張しています。 (私の掲示した>>762にあるように)三善根と書いてある経典はあるが(『國訳一切経阿含部8』)、 三福道と書いてある経典はありません。 桐山氏は増一阿含経の三供養品であると指定しています(『末世成仏本尊経講義』の254頁)。 上記の>>762示した経典は増一阿含経の三供養品のすべてですから、この中に三福道があるはずです。 しかし、ありません。いかにも似たような経典が二つあるかのように見せかけたのです。 つまり、三善根という言葉をただ三福道に置き換えたのではなく、一つの経典をまるごと捏造したのです。
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765 :R []:2011/03/04(金) 11:56:26.29 ID:K4sBxRW3 - ーagama考察室・阿含関連資料掲示HPより抜粋ー
ーその騙されっぷり3ー 経典への加筆 阿含経に実在する資料3の経典と、桐山氏が捏造した経典を比較すると、 単に三善根を三福道と置き換えただけでなく、文言が追加され、 捏造されているのがわかります。 漢訳経典の原文 「是を阿難、この三善根は窮尽す可からず。涅槃界に至ることを得と謂ふなり」 桐山氏によって捏造された経典 「是を阿難、この三福道は窮尽すべからず、須陀洹より阿那含に至り、五下分結を断ず。 即ち涅槃界に至る三福道なり。」 桐山氏はかねてより大乗経典を偽経典として厳しく批判してきました。ところが、 その桐山氏本人が経典捏造に手を染めたことになります。しかも、驚くべきことに、 桐山氏は自らの経典捏造を堂々と本に書いています(末世成仏本尊経講義』の255頁)。 また、この書き加えは意味においても矛盾しています。桐山氏は「涅槃界とは完全解脱の境地」と 表題まで付けながら、経典に書き加えた文章では、須陀洹から阿那含までと、 完全解脱ではない境涯と解釈しています。原文では、須陀洹から阿那含までなど説いておらず、 涅槃界というのだから、阿羅漢しか説いていません。 桐山氏がこのような矛盾した書き加えをしたのは、三供養品が在家に説かれた経典であり、 在家は須陀洹から阿那含までしか到達できないということの辻褄合わせをするためです。 だが、この経典は涅槃界とあるのだから、明らかに出家のために説かれた経典です。
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766 :R []:2011/03/04(金) 12:13:14.86 ID:K4sBxRW3 - ーその騙されっぷり4ー
捏造を堂々と告白 桐山氏は経典に書き加えることが捏造であり、悪事であるという意識すらないことを 示すのが次の一文です↓(『末世成仏本尊経講義』の255ページ)。 ー桐山著書抜粋ー 福を受ける三つの道、方法、この場合の福とは霊性開眼して聖者になること。 一書には「三善根」「三福業」とあり。阿含宗は「三福道」をとる。 また、「自須陀洹至阿那含断五下分結」の十三句は、のちに述べる通りの理由により、 同意の他の阿含経から取り入れた。 ここで、桐山氏は文言を他の経典から「取り入れた」と述べて、捏造したことを告白しています。 桐山氏は経典に書き加えることが捏造という宗教的な犯罪であるという意識すらないようです。 三福道の元ネタ「三福業道」の捏造 『末世成仏本尊経講義』の註解記述にはさらに首をひねるような、三福道の由来が述べられています。 それは、「三善根」と「三福業」のうちから「三福道」を採用したという記述です。 言うまでもなく「三善根」と「三福業」のうちから「三福道」を選ぶことはできません。 一見、三福道を三福業と書き間違えた単純ミスのように見えますが、 実はここに桐山氏の捏造の元ネタが隠されています。 立宗前後に書かれた本には次のような記述があります(『人間改造の原理と方法』210〜211頁)。
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767 :R []:2011/03/04(金) 12:13:54.93 ID:K4sBxRW3 - ーその騙されっぷり5ー
運をよくする修行法として「三福業道」なるものがあると記述しています。 では、桐山氏のあげた長阿含経の衆集経の三福業道を見てみましょう(『國訳一切経阿含部7』158頁)。 三福業について書かれているのは、1〜2行目の次の文章です。 「復た三法有り。謂く、「三福業」、「施業」と「平等業」と「思惟業」となり。」 ここには桐山氏のいう「三福業道」などなく、「三福業」です。桐山氏は人間改造の原理と方法』で、 「どんな修行法か?『三福業道』と名付ける修行法である。」と書いていますが、これ自体が捏造です。 衆集経には三福業はあっても、三福業道などという言葉はありません。 三福業に道を付けることで、特別な修行法であるかのように見せかけたのでしょう。 だが、三福業道は桐山氏の造語あり、捏造です。 桐山氏は、三福道ではなく三福業であることを百も承知だったから、 「三善根」と「三福業」のうちから「三福道」を選んだなどと書いたのでしょう。 三福業 → 三福業道 → 三福道 と、まるで伝言ゲームのように捏造したことは明らかです。
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768 :R []:2011/03/04(金) 12:14:29.77 ID:K4sBxRW3 - ーその騙されっぷり6ー
意味の捏造 三福業が三福道の元ネタであることは意味をみてもわかります。 桐山氏は三福業について次のように説明しています。(『人間改造の原理と方法』210〜211頁) 「仏陀は、運のわるい修行者のために、運をよくする修行法を説いているのである。」 衆集経の三福業は『國訳一切経阿含部7』158頁に示したたった一文です。 三福業とは施、平等、思惟である、と説いているだけで、それらの解説すらもありません。 ところが、桐山氏によれば、これが運をよくするための修行法であるというのです。 桐山氏は施だけを取り上げて、様々な施しをすることで運をよくするだという意味不明の 記述をしています(『人間改造の原理と方法』212〜215頁)。 仏教では運や運命など修行や信仰の対象ではありませんから、 運に関する記述などもともと阿含経にあるはずもなく、衆集経にもありません。 桐山氏は経典そのものを引用せず、運を良くする修行法がさもあるかのように見せかけたのです。 そして、十年ほど後に、仏に供養すれば運がよくなり解脱するという三福道として、 修行法の捏造へと発展させました。
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769 :R []:2011/03/04(金) 12:33:48.08 ID:K4sBxRW3 - ーその騙されっぷり7ー
修行法の捏造 桐山氏によれば、三福道も三善根も意味は同じであり、 仏に供養するとその見返りに徳を授けてもらい、その徳によって解脱するという考えです。 しかし、仏教にはこのような教法は存在しません。 三供養品にある三善根には桐山氏のいうような意味はないからです。 三供養品にある三善根とは、次のような意味です。 仏教の三善根とは貪・瞋・癡と呼ばれる根本煩悩をなくすことです。 この三つの根本煩悩から解放されたら解脱者、ブッダです。 つまり、三善根とは煩悩を断ち切るという仏教の目標や修行そのものを指す言葉です。 どこにも仏に供養して解脱を得るなどという意味はありません。
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770 :R []:2011/03/04(金) 12:34:16.45 ID:K4sBxRW3 - ーその騙されっぷり 最終ー
三善根は煩悩を断ち切れという教えであり、一方、三福道は仏に供養して その見返りを得ようというのだから、欲望そのものです。両者は正反対の意味です。 桐山氏は、三善根ではインパクトが弱いので、三福道といういかにも御利益のありそうな 名前にすげ替えたのです。 以上、三福道を用いた桐山氏の捏造は次のようにまとめられます。 ・三福道と書いてある別経典があるかのように経典を丸ごと捏造した。 ・阿含経に存在しない三福道という言葉を捏造した。 ・経典に文言を加筆して意味を歪めた。 ・出家に説かれた経典を在家に説かれたかのように偽った。 ・衆集経に三福業道という修行法があるかのように捏造した。 ・衆集経の三福業が運を良くする修行法であるかのように嘘を書いた。 ・三善根の本来の意味とは正反対の意味であるかのように歪めた。
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776 :R []:2011/03/04(金) 14:41:29.11 ID:K4sBxRW3 - >>772
こういう姑息な部分引用の仕方は、順シュダオン老かな?>>774で、やはりね。 正確に記すと、これは長阿含經卷第十・第二分三聚經第八です。 如是我聞。一時佛在舍衞國祇樹給孤獨園。 與大比丘衆千二百五十人倶。爾時世尊告諸比丘。 我與汝等説微妙法。義味清淨梵行具足。謂三聚法。 汝等諦聽思惟念之。當爲汝説。時諸比丘受教而聽。 佛告比丘。三法聚者。一法趣惡趣。一法趣善趣。一法趣涅槃。 云何一法趣于惡趣。謂無仁慈懷毒害心。是謂一法將向惡趣。 云何一法趣于善趣。謂不以惡心加於衆生。是爲一法將向善趣。 云何一法趣于涅槃。謂能精勤修身念處。是爲一法將向涅槃。 ー中略ー 復有三法趣向惡趣。三法向善趣。三法向涅槃。 云何三法向惡趣。謂三不善根。貪不善根恚不善根癡不善根。 云何三法向善趣。謂三善根。無貪善根無恚善根無癡善根。 云何三法趣向涅槃。謂三三昧。空三昧無相三昧無作三昧。 又有四法趣向惡趣四法向善趣。四法向涅槃。 云何四法向惡趣。謂愛語恚語怖語癡語。 云何四法向善趣。謂不愛語不恚語不怖語不癡語。 云何四法向涅槃。謂四念處。身念處受念處意念處法念處。 ー後略ー それでこのお経は、「云何十法向涅槃。謂十直道。正見正志正語正業 正命正方便正念正定正解脱正智。」との十法までを説いたものです。 懸命な読者諸兄は、もうお分かりでしょう。 三つの教えのうち、悪趣へ墜ちる煩悩と、善趣へ行く煩悩の否定と戒律となる 二つの教え、最後に、その具体的な方法=向涅槃とを区分けしています。 所謂、法数分類であって、三毒煩悩を滅するために、その中に、 念処・正勤・如意足・根・力・覚・道という具体的修業とを分けたのです。 だから「十法向涅槃」まである、あくまでも煩悩滅なのですよ、オツムがワケワカメ。
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- 阿含宗という宗教195
781 :R []:2011/03/04(金) 15:40:06.38 ID:K4sBxRW3 - >780 :神も仏も名無しさん
阿含宗のようなオカルト宗教批判しているようですが、 スレ違いです。 スレの趣旨>>1をよく読んでください。
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787 :R []:2011/03/04(金) 16:50:20.69 ID:K4sBxRW3 - >784 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 16:22:07.57 ID:kpdOXt9y
オマエらが他スレに桐山のコピペ辞めないんならこっちも継続させてもらう どこのスレッドですか? 批判側が貼り付けた、という証拠があるのですか?
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