- 創造論と創造科学とID論と進化論Part50
152 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 00:18:19.40 ID:QBxt5eaj - “真の知性”とは、人が有する知性と同等のものである。人以外の動物に
知性らしきものが見受けられようとも、それは“真の知性”ではない。 程度の差はとても重要だ。『おサル』に知性らしきものが見受けられるからといって 同じテーブルについて、環境問題を話し合うというようなことはできない。 公共の場で裸でうろつく『おサル』を叱責しても仕方がない。文化の違いではなく 知性の程度の差、責任能力の問題だ。『おサル』に選挙権を与えたりはしない。 せいぜいバナナを与えて喜んでもらうに留めるのが妥当であろう。その断絶を 埋めることはできるのだろうか。その役を担うはずの中間種・雑種は今はもう 存在しない。その意味において埋め難い断絶は厳然と存在するのである。
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154 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 01:01:51.16 ID:QBxt5eaj - ヒュームの懐疑論の壁はどんな時でも立ちはだかる。“真の知性”もまた
つまるところ知性“らしきもの”に“すぎない”のではないか。そうであるなら、 人以外の動物に見受けられる知性らしきものも押し並べて『真の知性』と呼ぶのは どうだろう。何か問題があるのだろうか。こういったアプローチは一見うまく いきそうに思えるのだが、先に提示した“責任能力”という点で大きくつまずく ことになってしまうのだ。知性を考察するに際にコミュニケーション・社会性・ 責任能力といった要素をまるっきり無視するわけにはいかない。その点において 人間の知性が“特別”であるということにはとても大きな意味がある。 行為“主体”としての自我、自他(自我・他我)の区別、信念の階層構造とその 程度(コミュニケーションと呼べるレベル)、こういったことを掘り下げると 程度問題はとてつもなく大きな問題であることに気付かされる。 『おサル』の目に知性の輝きを見る時、あなたはその『おサル』を行為主体として 捉えているはずだ。非合理的行為主体としての『おサル』に見受けられる“知性”と 合理的行為主体としての人に見受けられる“知性”は同じものではないのである。
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157 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 01:57:30.95 ID:QBxt5eaj - 『おサル』と人との“知性”に関する差異を「くだらない優越」であると切って捨てるなら
どうして『おサル』に“人権”を与えないのか(それとも与えるべきだとでも言うのだろうか)。 それでは『(くだらない優越などない)同じ知性』を持つ存在を差別していることになる。 知性の帰属問題とは思考・信念・責任の帰属問題と重なっているのである。 知性とはいかなるものなのか。それはどこに帰属するのだろう。行為主体としての自我・ 自他の別無しに世界を探索するというのはいったい何を意味するのだろう。それとも それは無意味(ナンセンス)なのだろうか。推論能力の向上の“途上”に我々の コミュニケーションはあるのだ。『遊んでよ!』とボールをくわえて尻尾をふりふり 駆け寄る犬の『遊んでよ!』という信念(そんなものがあるとして)それはどこに 帰属するのだろう。『私があなたと遊びたいと思っていることをおそらくあなたは 知っているであろうと私は思っている』という信念を犬は持っているのだろうか。 こういった程度の差はとても重要なのであって「くだらない優越」などではない。
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158 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 02:16:11.19 ID:QBxt5eaj - 『私があなたと遊びたいと思っていることをおそらくあなたは知っているであろうと
私は思っている』という信念を持つ人がいる。コミュニケーションには“この程度”の 複雑な階層構造を理解できる知性が必要なのだ。そして、こういった知性・思考・信念は 生物種(SF的な世界観は未来まで待つとして)の個体に“全体論的に”帰するべきである (だからこそ無意味な定義反復ではない)。
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159 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 02:22:58.58 ID:QBxt5eaj - 『お腹すいたなぁ』と動物は思っているのだろうか。人間以外のある種の個体が
道具を使ってエサをとる時、その個体にはどのような知性が宿っているのだろう。 『“私”は“この道具”を使って、“あの昆虫”を引き寄せ“よう”と“思っている”』と 人と同等の知性を発現させているわけではない。これがくだらない優越の問題としか 思えない人は主体無き行為とはいったいどういうものなのかを考えてみるといいだろう。 主体無き(帰する先の無い)宙ぶらりんの知性とはいったいいかなるものなのか。 主体があるとしてそれは合理的行為主体なのだろうか、それとも非合理的行為主体なのだろうか。 押し並べて『真の知性(あるいは単に知性)』というアプローチを採用する場合、 おそらくここでも押し並べて『合理的行為主体』というアプローチを採用することになるだろう。 だから問うのである。『おサル』に責任を帰するつもりなのかと。
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163 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 02:48:24.16 ID:QBxt5eaj - >>161
>>123に戻る。どうしてサルを人間と認めないのか?どういう意味において? 種の本質的な違いなどないのだから、サルと人間との本質的な差異など無い。 ではどういった差異が重要になるのだろう(まさかサルも人間もまったく同じと いうわけではないだろうから)。 知性の差異などくだらないと切って捨てるわけにはいかないのでは?
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164 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 02:59:42.85 ID:QBxt5eaj - >>160
>コミュニケーションは互いに何らかの情報を受け取ることで成立する。 『互いに』ということは個体に全体論的に知性を帰属させているわけだよね? それとも個体の一部の器官に帰属させるつもりなのかな?これは比喩表現じゃないの? 人以外の動物に対する擬人化を意味せずに、同様の内容を語ることはおそらく できないだろう。 擬人化がコミュニケーションの『本質』であると捉えるなら、その中心にいるのは 当然人間だということになる。この人間中心主義はとりたてて悪いことではないし、 結局のところ現状では『ソフトウェア的なアレ』というブラックボックスに頼る以外に 方法は無いのだから“程度の差”は帰属過程において“全体の差”として扱う以外に 方法が無いということになる。そこを無視してしまうと、差がないという乱暴な結論に なってしまうわけで、そうすると『おサル』に高次の知性を認める(あるいは逆に 人の高次の知性を認めない)という意味を意図せずに包含してしまうことになる。
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166 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 03:20:00.83 ID:QBxt5eaj - 自分がどこの誰なのかを知るには(複雑さにおいて)とても高次の知性が必要だ。
こういった高次の知性を有しているのは今のところ人間だけだ。自分(自我)と 他人(他我)の区別をつけるというのはとても複雑な信念の階層構造を理解できる ことを意味する。この“意味する”というのはとてもやっかいなイディオムであり、 “〜として見る・考える”ことの意味なのだ。この〜という目的に向かうイディオムは 簡単に紐解ける(脳の一部に厳密に対応・還元できる)ようなものではない。 コミュニケーションの『本質』とはこの目的に向かうイディオムの扱い方にある。
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167 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 03:21:35.65 ID:QBxt5eaj - >>165
それでは汎神論と同じような展開になってしまうのではないかな? そういったあらゆるものが「知性」なのだと。コミュニケーションをそういった “単なる情報”のやり取りと捉えるのは問題だ。
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169 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 03:30:34.99 ID:QBxt5eaj - 有機体間の相互作用=コミュニケーションというわけではない。
“真のコミュニケーション”には3次以上の信念階層の理解能力が必要だ。 “人間的な意味における言語行為(乱暴な言い方をすれば擬人化)”以外を “真のコミュニケーション”と呼ぶわけにはいかないのには、きちんとした理由がある。 “真の知性”の話も同様。
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171 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 03:40:24.30 ID:QBxt5eaj - 犬との『会話』を想像してみるとわかりやすいかもしれない。あるいは
イルカ同士の『コミュニケーション』。目的に向かうというイディオムの扱い方に 注意しながら、いったいこういったことについて何を語れるのだろうか。 擬人化せずにこういったことを記述する術は今のところ無いのである。
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172 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 03:43:17.17 ID:QBxt5eaj - >>170
『内容を明示する表現』と『ソフトウェア的なアレ』というブラックボックスを どうやって両立させればいいのかな?(つまり、この点においては現状では悲観的に ならざるを得ない、そういう言語構造とか、“明示的な”意味論とかが問題になる 文脈では、その提案を受け入れることはできない、残念だけど…) だから安易な価値の押し付けなどではないのだよ。
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173 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 03:52:03.10 ID:QBxt5eaj - 犬との『会話』は一般的な文脈は別として知性のなんたるかを考察するような
文脈においては、それこそ“安易に”『コミュニケーション』と呼ぶべきではない。 人以外の動物について「内容を明示する表現を用いて」コミュニケーションを語れば どうなるか実際に試してみればよくわかるだろう。 『ワン(お腹すいた!)』『ワン(遊んでよ!)』 こういった表現は一見馬鹿馬鹿しく思えるかもしれないが、群れの猿の一頭が 警戒の声を上げるというような文脈においても問題の『本質』は何も変わらないのだ。
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174 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 03:56:48.36 ID:QBxt5eaj - “人間的な意味における言語行為(乱暴な言い方をすれば擬人化)”以外を
用いて“内容を明示”する(つまり人間以外の動物のコミュニケーションという 想定)ということには二重の大きな問題がついてまわる。ただでさえ人間の 言語行為自体の内容の明示性が問題だらけなのに加えて、それ以外の『何を???』 用いるつもりなのか(言語翻訳できるならそれはもう言語行為だから)。
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176 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 04:03:34.75 ID:QBxt5eaj - >>175
「君(誰か)の場合だけ問題になる」のではない。根底的翻訳の不可能性とか 志向的イディオムの還元性の話。言語行為とは、乱暴な言い方をすれば、基本的に 「結果であるはずの価値だけを主張する表現」の塊なのだよ。そういった根本的な 問題をひとまずおいて、知性とか言語行為をひとまとめにブラックボックスの中の ソフトウェア的なアレという扱いをすることで議論を展開するわけだよ。 そういう文脈においてブラックボックスをとっぱらって内容を明示しろというのは 意味論の謎を完全に解明しろと要求するのと同じことではないか。 無茶ぶりされても困るのだよw
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177 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 04:14:21.16 ID:QBxt5eaj - >>175
この論点において、君はどういう立場なのかな? 人以外の動物も『コミュニケーション』をとってるという立場? 仮にそうだとすれば、174の問題にどう対処するつもりなのかな?
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178 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 04:16:48.41 ID:QBxt5eaj - 暗示的に低次のコミュニケーション(あるいはコミュニケーションの萌芽)を
語ることはできるけれど、内容を明示できない安易で詐欺的な論だということに なってしまいそうだね。それはなんとも乱暴な非難じゃないか。非科学的な態度だと 言ってもいい。
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179 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 04:20:50.62 ID:QBxt5eaj - 猿が警戒音を発する時、この“警戒”は明示されているのか暗示にすぎないのか。
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182 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 04:56:46.61 ID:QBxt5eaj - >>180
コミュニケーションの根底に擬人化が必要無い(あるいはそのような論旨は 定義のくりかえしで特に意味がない)とする根拠は? >俺はもっと一般的な定義を使っているので、動物の多くは仲間とコミュニケーションしていると認め、そう表現する。 その一般的な定義とはどういったものなの?(多様な定義があるはずだよ。議論の多い問題だから) >コミュニケーションがあったかどうかは行動結果の観測から推し量ることが出来る だからその知性の探索に擬人化が必要無いとする根拠は?行動結果の観測から推し量るには 擬人化がつきものではないの?強い行動主義の過ちを繰り返したいのかな…。
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183 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 05:02:01.82 ID:QBxt5eaj - >>ID:Q7ATWiGr
君の定義がどういったものなのかは知らないけれど、コミュニケーションを単なる情報の 伝達と捉えるのは間違いだよ。それだと世の中のあらゆる出来事がコミュニケーションに なってしまう。興味があるなら熱力学と情報理論との関係を調べてみるといい。 コミュニケーションで重要になるのは根底にある言語行為だよ。感情・思考・信念・その他、 知性や心の一部とされる抽象度の高いパターンのやり取り。それが鳴き声であろうが 動作であろうがなんらかの分泌物の発散であろうが、その“内容(意味)”を 知るには言語翻訳が必要不可欠だ。
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184 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 05:11:58.55 ID:QBxt5eaj - >>ID:Q7ATWiGr (>>183からの続き)
乱暴な表現になるが、知性とは抽象度の高いある種のパターン(更に乱暴に言えば言語行為)のことなのだよ。 そのパターンを見出すための唯一の方法が擬人化だ。観察対象を合理的行為者(乱暴に言えば話の分かる奴)だと 想定する(これが擬人化)ことでしかそのパターンは見えてこない。 お腹をすかせた犬が肉の周りをうろついてくんくん臭いをかいで食べたとしよう。 少し警戒しながらエサを欲しがって食べたと『推し量る』ことに異論はあろうだろうか。 「欲しがって?」そのような信念を犬が持つとする根拠はなんだろう? つまりここでもう擬人化の問題がついてまわっているわけだよ。猿が警戒音を発して 群れの仲間が森を逃げ惑うというような例でもいいし、その他でもいいけれど、 完全に擬人化を無くした記述を用いて知性を説明することなどできない。 行動だけを記述したのでは知性やコミュニケーションを“明示”することなど できないし、それは人間の言語として明示されているわけではないのだから、 どうしても何らかの形での“暗示”となる。その真髄が擬人化だ。 人は人に対しても基本的に同じ観察方法を用いている。いうなれば人を擬人化して いるわけだ。人を擬人化するのだから、これこそ真のコミュニケーションだ。 動物を擬人化するのか?これも真のコミュニケーションだというのは無理がある。 そういう問題なのだよ。安易で詐欺的な論法を用いているのはむしろ君のほうだよ。
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185 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 05:16:13.09 ID:QBxt5eaj - 動物を擬人化することなく、そこに見られる抽象度の高いある種のパターン(つまり知性)を
どやって見出すつもりなのか。非合理的行為者として淡々と行為の記録を羅列したとして、 そこにはいったい“どんな意味が明示”されている、あるいは明示できるというのか。 これが行動主義の抱える問題だ。そこで行動の結果からの推測という話になるが、 そこに含まれる解釈の余地という部分に根底的翻訳の不完全性の問題が大きく横たわる ことになる。言語行為を抜きにしたコミュニケーションをどうやって明示するつもりなのか? いい加減な御託を並べて安易な非難を展開せずに、この問いに真摯に答えてもらいたいものだ。
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