- 阿含宗という宗教195
580 :綬ゐ []:2011/02/28(月) 04:26:51.61 ID:8iNXXeng - >>540 :準シュダオン
>>543 >>544 >>546 (ペテン大作氏) 私が書いた「業」と十二因縁の説明 《>>206 >>208 >>209 >>210 》 を読んで擁護に使えると思ったのか 再度笑わしてもらおう、 ペテン氏は私が深山氏と議論した四禅かならずしも道果を意味しないの部分を これまた剽窃してなにやら深山氏をやりこめたつもりになっていたようだが、これで 二回目だな。 人の文章斜めにしか読んでないから恥を書くのだ。
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581 :綬ゐ []:2011/02/28(月) 04:36:30.32 ID:8iNXXeng - >>543
> 釈尊がカルマ解脱を説いていないというのは嘘かもしれませんね。 既に私が( >>206 >>208 >>209 >>210 )に説明してあることの焼き直しだし その説明も済んでいる。 批判側からおこぼれもらって楽しいのか? >>546 > 上の文章によれば、業が尽きなければ永久に輪廻から脱出することはできないことになります。 > それなのにどうして釈尊は、煩悩が尽きれば涅槃に入れると説くのか? > 答えられる人、います? 自分で >>543 >>544 >>546 に説明しといて理解してないようだな 普通の知性があるなら理解するレベルのもんだが、 支縁起十二因縁はおのおの縁っていて相互に条件になっているから煩悩を消滅させ れば同じ十二因縁の中にある業(行、有)は消滅する。 準さんにしろペテン大作氏にしろ縁起の法を理解しないで人の提示した論を上面だけとる から恥をかくのだ。 いっとくがこの理論は桐山氏が解脱の根拠としてアビダルマを採用しつつ隠しておいた 部分だから桐山アゴン教学とは混じることはない。 桐山は煩悩を切ることは小解脱であり、悪い運命の星を消す(業解脱)のは大解脱だと 説いたのだから、この一点だけとっても矛盾が生じる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 運命を思惟するのは見の煩悩であるから止めよというのが本来の釈尊の教えである。 (一切煩悩経)
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582 :綬ゐ []:2011/02/28(月) 05:13:04.87 ID:8iNXXeng - >>581
> 運命を思惟するのは見の煩悩であるから止めよというのが本来の釈尊の教えである。 > (一切煩悩経) 突っ込みが入る前に訂正しておくか、運命という字そのものは書いていないのでね、 以下 片山一良氏訳 マッジマニカーヤ 一切煩悩経 彼は、このように邪に思惟します。 私は過去に現れたのか。−−略ーー 未来にどのようになるのか。私は未来に何になり、その後何になるのか》 ー略ー 私のこの我は語るもの、感受するものであり、それぞれの処でもろもろの 善悪業の果報を受けている。その私の我は、常住のもの、堅固なもの、常時の もの、不変の性質のものとなり、永久にそのままとどまるであろう〉と このような見がかれに生じます。比丘たちよ、これは見に趣くもの、見の密林 、見の難路、見の突き刺し、見の足掻き、見の縛りと言われます。 批判ダイジェストにもあるが八法十六法から《見》を除いているのも 桐山さんが自分に都合悪い部分を隠した部分。 この《見》の煩悩を研究されると桐山業解脱因縁解脱に整合性が とれなくなるからね、十二因縁の中に配置すべき 業〈行、有〉 を消して、運命の星解脱に接木し、 八法十六法の中に入ってなきゃいけない《見》の煩悩を削除した。 三善根ー三福道の改ざんその他にしろ 桐山さんは完全に計算して仏教を利用している権威を利用する為にね。 完全外道であるのがお分かりになるだろう。 信者さんたちは こんな外道にいつまで供養と称して追い銭するのか。
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500 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 12:36:12.25 ID:8iNXXeng - >>497
私はスマ氏が著したアビダンマで使用される語彙の説明書 《アビダンマッタサンガハ》を僧侶の仕事として評価しただけだ、 大乗さんが批判するなら同様の本を紹介してもらえるよう書いたが 返事は返ってきていない。 現在は道元さんの正法眼蔵に首を突っ込んでいる、というかスマ氏のアビダンマッタ サンガハをあんちょこに使って読み解いているというのが本当のところ。 道元さんは正法眼蔵を著するにあたりアビダルマから天台大師の著作、臨済まで その引用は多岐に渡る。日本の仏教は統治機構に取り込まれ変質してしまったが 伝わった頃のものは龍樹、達磨さんの系統を受け継いで上座部の陥った陥穽を 指摘是正したなかなかの物だったのは同書より伺える。 これはこれで輝ける宝物のようなものだ、スマさんの仏教は龍樹が議論相手に した派とは違いますが、釈尊の仏教ダイレクトというだけあってこれはこれで なくちゃいけない。 釈尊の時代には比丘たちが個々に合う業処《止禅瞑想》の指導を長老に受け、その後 《観》の瞑想をして解脱するというのが本流だったわけで、瞑想の端緒に関して また危険を排除するという意味においてどれがいいのかは個々の資質によるもの だと思う、だから大乗仏教のやり方の方が入り易い方もいるだろう。 私は禅宗のやり方にもかなりな魅力を感じる部分があるし、小乗を批判しただけ あって初めから陥りやすい陥穽に蓋がしてある。これは見事だと思う。 なお 道元さんの正法眼蔵を僧侶の仕事として評価するのはいうまでもない。
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591 :綬ゐ []:2011/02/28(月) 18:05:12.38 ID:8iNXXeng -
>>590 準シュダオン > 業は、12因縁での「行」と「有」のことなんですよ。 > 名無しさんは勘違いしてるのです だからそれは私がすでに《 >>206 >>208 >>209 >>210 》で説明 したものだと>>581 で示してあるだろう。批判側が説明したもののおこぼれで なにやら擁護する気にでもなったか、?というかお前人の文章よまないだろう。 桐山は解脱に二種あり、煩悩解脱と因縁解脱《業解脱》と分けているのだからね 十二因縁の中に配置するのであればこれが覆る。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 準さんとペテン氏は深く考えないで私が書いたものを採用した挙句 恥を晒したことになる。 桐山教学知らないからそういうことになるのだ。 > >>582 > 見は見でも、見の意味が違うでしょw。わざと馬鹿げたこと書いてんのか? こちらは一切煩悩経からの引用である旨全て示してある。 根拠も示さずなにを寝ぼけたことを云っているのか。 もしかして《見》の煩悩《正見》の意味を理解してないのか ? ありうるな、桐山さんのは完全常見外道で 《見》に関しては ずっと隠してきたからな。 桐山教学も説明せなならん、阿含経、アビダルマも説明せなならん 手間のかかる人達だ。
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593 :綬ゐ []:2011/02/28(月) 18:19:09.35 ID:8iNXXeng - >>591
> 桐山は解脱に二種あり、煩悩解脱と因縁解脱《業解脱》と分けているのだからね > 十二因縁の中に配置するのであればこれが覆る。 補足しておく 煩悩解脱を小解脱と賤しめ、因縁解脱《業解脱》を大解脱としたのが桐山解脱。 縁起の法は存在の法則であるから何にでも当てはまるが、仏陀の教えとして 配置するなら支縁起十二因縁 これあるによりて彼あり、煩悩あるによりて 行、有《業》ありということ。 煩悩を消滅させることにより《行、有も老、死》も消滅させる。 十二因縁の十二を省略しているだけのことであるから真っ当に云うなら桐山さん のは十二因縁解脱なんて言葉になる。こんなのは仏教に存在しない。 阿含経を読むなら仏陀は終始一貫煩悩解脱を説く、それと煩悩の一番最初に あるものは《見》の煩悩であるわけで、これを桐山さんは宗教ビジネス 霊感商法に都合が悪いもんだから隠したわけだな。 食いしん坊なのと性欲その他の欲をぎらぎらさせても矛盾しないように 神通力で《業》をいじくれるような錯覚を植えつけた。 どれだけ悪質なのかということ。 信者さんはこんなのに供養と称して 追い銭している事をよく認識することだ。
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505 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 20:33:25.28 ID:8iNXXeng - >>504
自己主張ね、仏教の話はできないのかな。 ? まぁ 期待してませんけどね。 w
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508 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 22:32:33.63 ID:8iNXXeng - >>507
批判をいただくことはやぶさかではありません。 どうぞご自由に。 ここの議題であるスマ氏の本の評価、道元さんの正法眼蔵および その引用著作及びディーガニカーヤ等引いて書いてあります。 ここの議題はスマ氏およびテラワダ仏教ですからね、日本に伝わった 大乗仏教の中でこれらに近いのは禅に関するもので道元さんの 正法眼蔵はアビダルマの骨格の上に成り立っています、 当然スマさんが書かれた〈アビダンマッタサンガハ〉はとはリンクします したがって議題にそったものと考えます。 どれもスマさんアビダルマに関連つけて議論できますよ、 貴方も仏教の議論をされてはいかがですか。 天台大師様のはかじっただけなのでこれは厳しいですがね。 貴方は仏教の系統だった話はされないのですか。 w
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510 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 22:46:04.80 ID:8iNXXeng - 長部経典〈デーガニカーヤ〉とか読むと確かに仏教の最終目的を得る
には最後には念処の修行が必要なのでしょうが、〈正法眼蔵にもある〉 私らのような庶民にとっては、禅〈止観〉の入り口はどこから入ろうが とっつきやすければいいわけで、禅宗で頓悟するというのも魅力が あって実にいい。 実力のある大乗仏教の僧侶がスマさんのアビダンマッタ解説に負けない ような面白い本を書いてくれないものか期待しているわけです。 達磨大師のDVDがあったので借りて見ましたけれども、よかった ですね。今はイオン?が坊さんの世界〈葬儀〉に殴りこみをかけて くるような時代ですから、宗祖さまたちが伝えた頃の精神にもどり 庶民に解りやすい仏教を再度見直す必要があるのではないでしょうか。
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511 :神も仏も名無しさん[sage]:2011/02/28(月) 22:50:21.47 ID:8iNXXeng - >>509
もしかしてスマさんの著作は読んだことないのですか、? 批判するならそれぐらいのことはやった方がいいですね。
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