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糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
キリスト教 議論スレッド 第10篇

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キリスト教 議論スレッド 第10篇
62 :糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y []:2011/02/04(金) 10:23:27 ID:eTWc8diU
精神(Spirit)は人間の死とともになくなるものだが、これではキリスト教社会の
説明が困難だと考えたトマス・アクィナスが霊魂(Soul)という概念を考えている。
霊魂は肉体を超越するものだとされる。
トマスは、霊魂と肉体の関係を、「手」のたとえを使う。「手は人間から切り離しても
存在するが、人間から切り離したら何の意味もない」ということから、霊魂も
人間を離れて存在できるが、人間の肉体を離れて何かに作用する存在ではない
とするのだ。

キリスト教 議論スレッド 第10篇
67 :糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y []:2011/02/04(金) 11:13:42 ID:eTWc8diU
臨死体験といっても、重要なのは「脳に血液が循環しているか」が問われる。
脳に酸素が必要である以上、血液循環が止まると、脳細胞が「崩壊」を始める。
脳細胞が崩壊を始めると二度と元には戻らない。
つまり「脳死」だ。
心臓が血液を全身に送り出している以上、脳死と心臓死は理屈的には
同じようなことを言っているのだ。
人間の精神活動や身体活動の本拠が脳にある以上、脳細胞が崩壊すると
人間は「死んだ」ことになる。
心臓や呼吸などをつかさどるのが脳の中の「脳幹」という部分だ。
「心停止・瞳孔反応停止・呼吸停止」の三徴候説は「脳幹反応の停止」を見ているのだ。
人の「死」の研究は刑法学で行われているのだ。

キリスト教 議論スレッド 第10篇
68 :糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y []:2011/02/04(金) 11:14:42 ID:eTWc8diU
人工呼吸器(レスピレーター)を使用すると、脳細胞が崩壊していても
心肺機能を維持することができる。
脳には血流が止まっても、体には血液が循環し、体温もあたたかい。
しかし、精神作用や身体活動はもはや二度と元には戻らないのだ。
このことから、脳細胞崩壊を「ポイント・オブ・ノー・リターン」と呼ぶ。
この名称はある男性デュオの曲名に使用されたことがある。
「ポイント・オブ・ノー・リターン」を人間が迎えると、二度と生き返ることはない。
そのことから、レスピレーターを切ってもいいのか?
まだ新鮮な臓器を取り出してしまってもいいのか?
が問題になるのだ。
遺族は、まだ温かい遺体を懸命に看病し、腐った脳細胞の腐臭が鼻の奥から
臭ってくると、看護婦が消臭剤を部屋に撒く。
法概念と医学の現場は異なる理屈で動いているといっていい。

キリスト教 議論スレッド 第10篇
71 :糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y []:2011/02/04(金) 12:12:02 ID:eTWc8diU
脳への血流が止まったら「脳細胞が崩壊を始める」という観点の重要性は
強調してもしきれないものなのだ。
崩壊したものは元には戻らない。人間の精神作用や身体活動の本拠が
脳にある以上、この「崩壊」という事実は理解しておいていいと思われる。

キリスト教 議論スレッド 第10篇
78 :糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y []:2011/02/04(金) 13:01:26 ID:eTWc8diU
ボクシングでは、頭部を殴る行為は「意識を飛ばしてやろう」=精神作用・身体活動をとめよう、
と考えてやる。
ボディを殴る行為は「身体活動のエネルギー源を断とう」「呼吸を止めてやろう」など
いろんな思惑があってやる。
人間が飲んだり食べたりを自然に行えるのは「キドニー」(腎臓)の作用だし、
人体の化学物質製造工場が「レバー」(肝臓)なのだ。
巨大な富を生み出すボクシングというスポーツから学ぶものは多い。

キリスト教 議論スレッド 第10篇
79 :糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y []:2011/02/04(金) 13:05:14 ID:eTWc8diU
わき腹を狙えば「腎臓」か「肝臓」のどちらかをとらえる。
そこに強打が命中すれば、現象面としては「30秒間呼吸が止まる」と言われている。

キリスト教 議論スレッド 第10篇
84 :糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y []:2011/02/04(金) 13:27:24 ID:eTWc8diU
信仰というのが「考えるのをやめてしまう」という側面があるのは事実だよ。
でも、キリスト教を基盤とする哲学は「膨大な文書の体系」を構築している。
西洋の人たちはひたすら考え続けているのだ。

キリスト教 議論スレッド 第10篇
85 :糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y []:2011/02/04(金) 13:36:29 ID:eTWc8diU
たとえば、はじめにことばが「あった」。ことばは神と「ともに」あった。
という一節が聖書にあるが、「ことば」というのはキリストを意味するとされる。
しかし、キリストが神であるという点からいうと「ともに」という記述と「あった」という
記述は矛盾ではないかというのが英文ウィキペディアに書いてある。
英文ウィキペディアはキリスト教社会の総意とも言っていい。
そこに聖書の「矛盾」が指摘されているのだ。

キリスト教 議論スレッド 第10篇
118 :糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y []:2011/02/04(金) 14:39:57 ID:eTWc8diU
演技には「同調演技」と「表現演技」があるとされる。
「同調演技」は「その場の空気をみんなと共有している」という演技だ。
「表現演技」がいわゆる役者の演技だ。
同調演技だけではコミュニケーションは死ぬし、表現演技だけでは
自己を喪失する。
お互いにその場の空気の認識を徐々にずらしながらみんなコミュニケーションを
しているのだ。

キリスト教 議論スレッド 第10篇
120 :糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y []:2011/02/04(金) 14:49:05 ID:eTWc8diU
日常生活を、演技で成立させていれば「自己を喪失する」という意味だと思う。

キリスト教 議論スレッド 第10篇
122 :糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y []:2011/02/04(金) 14:53:45 ID:eTWc8diU
「愛の研究」で読んだのだが、恋愛に「演出」をする場合、その演出は
「エロス」(性的欲望)以外の要素を恋愛に導入しているとされるそうだ。

キリスト教 議論スレッド 第10篇
128 :糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y []:2011/02/04(金) 15:22:35 ID:eTWc8diU
俺はいったん研究に戻る。



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