- サイエントロジーの経験ありますか?
960 :神も仏も名無しさん[]:2011/01/10(月) 00:52:11 ID:NorxydMh - セラピーも内観もすべて「自分でできること」であり、「自分でやるべきこと」
でもあります。 この手の組織が行っているカウンセリングも所詮、凡庸な臨床心理学の 退屈な手法の変奏にすぎません。現代的で妥当なカウンセリングの方法 を、大学で学ぶなり、書籍を購入し、自学するなりすれば、相当の結果は 得られます。 もっと良いことは、正統な古典的心理学や哲学によって自身の思索を 深め、文学、音楽、絵画、演劇の分野ですぐれた作品に触れること、 そして良い友人や伴侶を持つことです。 こうした宗教に走るひとたちは、そもそも青年期までの間「怠け者」であった のであり、正しい教養を身につけなかったにすぎないのです。
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- サイエントロジーの経験ありますか?
961 :神も仏も名無しさん[]:2011/01/10(月) 01:01:14 ID:NorxydMh - 「やってみなければわからない」
良く信者はそのような勧誘をします。 確かにその通りでしょう。結果として信者になる人の多くは、 「やってみなければ、それが良いか悪いかわからないような おバカさん」だからです。 頭の良い人は「やる前に、それが良い結果を招くかどうか わかる」人です。 もちろん彼ら信者にとって「やる」ことは、別の意味もあります。 教養に乏しかったり、自分に自信がない人は、何事も、 自分の判断、決断ではできない。周囲の人(=教団の仲間) が「これはいいことだ、ぜひやりなさい」「あなたのやっている こと(=信仰)はすばらしいことだ」と「言ってもらう」ことができる からです。 信者の多くは能弁で、活動的で、なりよりコミュニュケーションを 好みます。 それはそうでしょう、活動的で常に誰かに接していないと不安で 仕方がない、自信が持てない人々だからです。
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- サイエントロジーの経験ありますか?
962 :神も仏も名無しさん[]:2011/01/10(月) 01:17:45 ID:NorxydMh - 「不安であるがゆえに、過剰にコミュニカティヴ」
というのが信仰宗教末端信者の類型です。 小学校とか中学校にいましたね、授業中落ち着かない、 私語の多い子。ああいう子は不安だから喋っちゃうんです。 誰かに話かけていないと、自分の存在が確認できないんです。 それでいて自分に自信がないから、本気で社会や学校や 親にたいして反抗するということもできない。 たまには虚勢をはるけど、ちょっとした誰かの言葉で自信を 失ってしまう。 大抵の場合、過保護が原因と思われますが、こういう子が 将来の「信仰宗教のお客さん」になってゆくわけです。
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- サイエントロジーの経験ありますか?
963 :神も仏も名無しさん[]:2011/01/10(月) 01:41:50 ID:NorxydMh - 良く言えば「無邪気で、常に誰かに注目してもらいたい」これらの人たち。
彼らの多くは、残念ながら、無邪気なまま、いつも自分の思い通りに 振舞って大人になる道を進むことはできません。 なぜなら、学校であれ、社会であれ、人々は「努力して(あるいは ときに運に恵まれて?)成功した人」にのみ「注目する」からです。 おしゃべりな子供はいつか沈黙します。先生だけでなく、周囲の 友人たちも「コイツウザイ」としか思わなくなります。親も明るいけど やるべきことをやらない子供にイラつくようになります。 それはあたりまえのこと… 信者の多くが、「昔は自分はこんなじゃなかった」「いろいろと 悩みがあった」といいます。 「だけど、この信仰をしてから、自分が変わった!こんなに変わった!」 と晴れ晴れとした顔で言うのです。 それが「あの笑顔」の秘密です。 しかし、そもそも問題があるのは「彼ら自身」であり、彼らの「信仰」とは、 金と引き換えに彼らの「子供っぽい甘え」を許してくれるよりどころに すぎないのです。彼らの「本当の問題」は永久に解決されないのです。
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- サイエントロジーの経験ありますか?
964 :神も仏も名無しさん[]:2011/01/10(月) 01:44:35 ID:NorxydMh - 以上、ある新興宗教を熱心にやっていた知人が、とうとう精神の病で
入院、仕事を休職することになった記念に書き込みましたw
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