- ★★『幸福の科学』統合スレッドpart378★★
22 :神も仏も名無しさん[]:2010/10/02(土) 00:00:56 ID:1L2Q0ovB -
★★『幸福の科学』統合スレッドpart377★★からの続きです >>931:2010/10/01(金) 20:26:31 ID:D1dHeP44さんへ 大川総裁の兄である富山誠氏は、霊道を開いた大川総裁に会ってか ら、わずか3日間で霊道を開いてしまいました。富山誠氏は悩みを抱えて おり、当時はまだ霊道を開く準備が出来ていないのに霊道を開いてしまっ たために、あっというまに覚鑁というサタンに憑依されてしまいました。このこと は初期の本に書いてあります。事実です。『証拠』として出しておきます。 「幸福の科学原論1」 大川隆法著 (幸福の科学出版) 平成元年6月15日初版 「日蓮の霊言」 善川三郎著 (潮文社) 昭和60年8月15日第1版発行
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24 :神も仏も名無しさん[]:2010/10/02(土) 00:02:12 ID:1L2Q0ovB -
>>931:2010/10/01(金) 20:26:31 ID:D1dHeP44さんへ 想念帯の曇りが取れていない状態の富山誠氏が霊道を開くことなど絶 対にありえない話しです。幸福の科学の教義にも反していますし、守護・ 指導霊が富山誠氏の霊道を開く許可を出さないものです。こうした状況 証拠から、軽率にも、大川総裁が他力の光で無理やり富山誠氏の霊道 を開いてしまったと考えるのが合理的でしょう。実際に、『何人かの霊道を 開いたことがある』と大川総裁自ら証言しています。古い会員なら知ってい る公然の秘密です。大川総裁にとって都合の悪い事は、全て改ざんされた り削除されたり絶版になっているので、亭白さんやサカザキさんは初期のころ の幸福の科学を、『真実』を知らないだろうけどね。 大川総裁は京都で3日間、覚鑁と対決しましたが祓うことは出来ません でした。幸福の科学の教義にもありますが、富山誠氏自身に魔を引き寄せ る原因があるため、さすがの最強最高最尊のエルカンターレ大川総裁も覚鑁 を祓うことは出来ないのです。こんな無力な大川総裁が、覚鑁よりも数段格 上のルシの霊言をどうして取れたのか不思議ですね。
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27 :神も仏も名無しさん[]:2010/10/02(土) 00:03:45 ID:1L2Q0ovB -
>>931:2010/10/01(金) 20:26:31 ID:D1dHeP44さんへ その後、富山誠氏は霊障に苦しみ続け病死しました。薄情な大川総裁 は実の兄である富山誠(中川力)氏の葬儀なのに出席しませんでした。母 の君子さんも、大川総裁など救世主ではないと憤慨しているそうです。兄の 富山誠氏の死因はルシのせいだとか屁理屈を言って、葬儀に出ない大川総 裁ってどうなのかな?非常識だよね。家族愛というものが欠けているよね。 当時の徳島支部では有名な話です。近所の人達や親族も、どうして隆君 (大川総裁のこと)は葬式に来ないのか不思議がっていたという話です。実の兄 の葬儀ですよ。自分が無理やり霊道を開いたことが原因だと後悔の念にから れて、あるいは覚鑁を祓う力が無い自分の無力さを恥じて葬儀に出られなかっ たのかもしれません。富山誠氏こそ■大川総裁の犠牲者第1号■なのです。 まさに『君子は狂祖に近寄らず、触らぬ仏にたたりなし』で、大川総裁に係わる とろくなことがないという話でした。
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91 :神も仏も名無しさん[]:2010/10/02(土) 10:08:54 ID:1L2Q0ovB - ★★『幸福の科学』統合スレッドpart377★★からの続きです
>>931:2010/10/01(金) 20:26:31 ID:D1dHeP44さんへ したらばからのコピペ アルゴラブ:2010/10/01(金) 23:13:07 富山氏について、把握していることを(書籍になっている部分などは除き) 記録しておきます。 富山氏は、もとは父の善川の出資により、徳島駅近くの新町川橋詰にあるビルの 3階で学習塾を開いていました。(このスペースは、その後の徳島支部事務所に なる)しかしHSが本格的な活動に入る時期の前、脳卒中により倒れ、一命は取 り留めたものの重度の運動機能の障害を負い以降は眉山の麓にある病院の3畳ほ どの狭い個室に長期入院を余儀なくされ、車いす生活となってしまいます。母の 君子さんは、それから本当に日曜日など除く一年中、毎日来る日も来る日も富山 氏のリハビリの介助のため、八万町の自宅から病院に、朝から夕方まで通ってい ました(送迎は自宅詰のHS職員)。八万町の自宅にも、1階に善川が富山氏の ために増築した十畳ほどの洋室がありましたがリハビリなどの都合から自宅看護 が難しかったためです。(この部屋に帰れたのは終末期を迎えた時になります) しかしこのリハビリは、機能回復のためではなく、それ以上機能不全に陥らない よう維持する目的の消極的なものだったそうです。
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92 :神も仏も名無しさん[]:2010/10/02(土) 10:11:52 ID:1L2Q0ovB - 父の善川も月に1〜2回は見舞いに訪れました。また善川自身が軽い脳
梗塞を患い入院した時は、同じ病院の別の階に入院することになりおそら くその1か月間が、その後のことを考えれば、親子が一番静かに向き合っ た最後であったことでしょう。富山氏は体の機能に障害があるものの、意 識は明確でした。視力は健常、聴力はほどほどありましたが言語障害の ため、なんとか動かせる手(ペンは右手)で筆談による意思疎通をせねば なりません。富山氏に関することは僅かですが、象徴的な出来事があり、 今でも鮮明に記憶していることがあります。善川がHSの月刊誌を富山氏 に見せた時のことです。富山氏は弟の巻頭語を一読して書いた言葉は「く だらない論考だ。現実と関係ない」それに対して善川は「だがそのおかげ で、いまこうしていられるのだろう。喝」富山氏は、皮肉っぽく薄く笑い、 その時はそれ以上その筆談は続きませんでした。
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93 :神も仏も名無しさん[]:2010/10/02(土) 10:13:05 ID:1L2Q0ovB - 富山氏が終末期にやっと帰れた自宅の洋間には、大川が結婚当初に恭子
と二人で送った色紙が無造作に置いてありました。「兄貴、早く良くなって活 躍してくれ(大川)」「すべてが良くなることを信じて待っています(恭子)」富山 氏はこれを病室に飾ることを拒否したのです。初期の潮文社シリーズの編集 過程では、君子女史や富山氏も手を貸したようですが君子女史とは別の観 点で、富山氏も弟の活動はまったく評価していなかったことは明白です。一度 も見舞いに行くこともなく、臆病に葬儀にすら参列しない。そんな非情で無責 任な男。大川の本質です。余談ですが、この中川家の本棚には結局パクリの ネタ元になっていく書籍がわんさと並んでいましたがその中には一部で話題 になった「エメラルドタブレット」も並んでいました。正心法語のネタ元のひとつ になったものです。それ以上におぞましいのは、中の写真です。マイナーな本 なので、なかなかお目にかかる機会は少ないと思いますが、見れば分ります。 人間の潜在意識にこびり付いた記憶の断片が無自覚に表れたのか、はたま た著者の憑依か。私は薄気味悪い感触がしたものです。
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95 :神も仏も名無しさん[]:2010/10/02(土) 10:20:04 ID:1L2Q0ovB -
富山誠氏は、弟である大川総裁を恨んでいました。 大川総裁を恨みながら死んでいったのです。 死後、富山誠氏は不成仏霊となり大川総裁に祟りました。 だから、怖くて兄の富山誠氏の葬式に行けなかったのでしょう。
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96 :神も仏も名無しさん[]:2010/10/02(土) 10:22:13 ID:1L2Q0ovB -
困った時の絶対神頼み。 亭白さんやサカザキさんはどうしたのかな? 絶対神が出てくる時は、読まれては困ることが投稿された時。
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