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名無しさん@お腹いっぱい。
【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪

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【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪
307 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/21(水) 11:33:04.38 ID:BR+hxMEV
ふしぎでならないことは、彼が彼の年齢にもかかはらず、戦前の「暗い日本」と、同時にそのノスタルジックな
けばけばしい意匠とを、潜在意識の底にしつかり貯へ持つてゐるやうに見えることである。(中略)たとへば
彼が作つたアニメーションの映画で、旭日の沈む海に、涙を流しつつ男の横顔が沈んでゆき、その上に強大な
女の横顔がおほひかぶさるコマ絵の連続を見ても、私には、それが、大東亜戦争の敗北と大日本帝国の崩壊を、
肉体的に味はつた世代の人間でなければ描けない図柄のやうに思はれたものだ。
もちろんそれは一面的な解釈である。彼の世俗的な成功は、日本的土俗の悲しみとアメリカン・ポップ・アートの
痴呆的白昼的ニヒリズムとを、一直線につなげたところにあつた。(中略)はつきり云つて、それは、日本的恥部と
アメリカ的恥部との、厚顔無恥な結合、あるひは癒着であつたといへる。(中略)
恥部とは何だらうか。それはそもそも、人に見せたくないものだらうか。それとも人に見せたいものだらうか。
これは甚だ微妙な、また、政治的な問題である。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪
308 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/21(水) 11:34:00.19 ID:BR+hxMEV
横尾氏のやつたことは、+に+を掛けて−にすることではなく、−に−を掛けて+にすることだつたが、これは
いはば国際親善とは反対で、又、ツーリズム、世界的流行、工業化社会、都市化現象、大衆化社会などとも反対の、
人の一番心の奥底から奥底への陰湿な通路を通つた、交霊術的交流なのだつた。彼は、日本の土俗の霊を以て、
アメリカに代表される巨大な機械文明の現代に、或るフハフハした、桃いろの、ポップ・コーンのやうでもあり、
ゴム風船のやうでもあり、いづれにしても、パンと割られたらおしまひの、合成樹脂製の人魂を喚起したのだつた。
この人魂には、ハバカリの匂ひや、悲しい巨大な旭日の栄光や、女の涙や、やさしい不具者や、あらゆる人間的な
ものがまつはつてゐた。それにしても、とにかくそれは人魂なのであり、人間の霊魂の証しなのだつた。
霊魂は温かい、唯一の温かい言葉になつた。彼の芸術の独特の暗さと温かさは、かくて霊的なものである。
それは(中略)心と心との交流、すなはち心霊術に基づいてゐるからである。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪
309 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/21(水) 11:37:51.24 ID:BR+hxMEV
そこに「英雄」が立ち現はれる。
英雄は、正にこのやうな交霊によつて喚起され、土俗の中から、土でつくられた巨大ゴーレムのやうに立上ら
なければならない。一例が、横尾氏の夢寝にも忘れぬ英雄、高倉健は、花札の刺青を背中に散らした土俗の
アイドルであると同時に、近代都市の映画産業のメカニズムを通じて、深夜興行といふもつとも文明的な興行形態の
中に生きのびてゆく幻影なのである。死んでもらひませう! さういふ血の叫びをあげるとき、われわれの中の
血の叫び、あらゆる進歩主義者、改良主義者、ヒューマニストが、おぞ毛をふるつて避けて通る血の叫びが、
よびさまされて、かう怒鳴る。「カッコいいぞう!」……しかしそのとき、こんなパセティックな共感のうちに、
われわれは無限に喪失してゆく。何かを。何を喪失するともしれず、ただ喪失してゆく。ハバカリの匂ひを、
農村を、血の叫びを。……そして何十年かのち、コンピューターに支配された日本のオフィスの壁には、横尾忠則の
ポスターだけが、日本を代表するものとして残されるだらう。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より


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