- 【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪
290 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/07/26(火) 09:42:40.99 ID:blS8mqg8 - 私の生活は人から見るとフシギらしいのである。何がフシギなのか、私にはわからない。人間には精神があるが、
精神の特徴は人に見えないといふことである。文学の作品といふのは、その見えないものを、目に見える、 形のあるものに移したものである。ひとたび形が問題になれば、その形は美しくなければならない。 ここに形の世界がはじめる。いやしくも作品で形が問題になつてゐるのに、作者が生活において形を問題にしない、 といふ心理は私にはわからない。なりふりかまはず美しい作品を作るといふ名人気質には、何か病的なものが 感じられる。 形といつても、手を加へることができるのは、衣・食・住の他には、武道、スポーツその他による肉体訓練に 限られてゐる。(中略)人間は、自分の内面を包むのに、礼儀正しくなければならない。文学者の内面は サンタンたる泥沼であつて、そんな醜いものを人目にさらすべきではない。外形さへ健康な力に充ちてゐれば、 それがすなはち「礼儀正しい私」の姿である。だから、たとへ裸であつても、私は礼儀正しいのである。 三島由紀夫「無題(『フシギな男三島由紀夫』)」より
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