- 【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪
259 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/05/24(火) 10:53:51.75 ID:Jk8OZWsD - 東京へ出ました序でに学習院へ立寄り、はじめて焼跡を見てたゞならぬ感慨がごさいました。萌え立つ緑のなかに
赤煉瓦の礎石のみ鮮やかに残つて、近眼の目には、遠くの緑の光にまばゆく立ち働らいてゐる人々が懐しい 後輩たちかと映り、近寄つてみると、それが見知らぬ兵隊たちであつた寂しさ。(中略) 中等科の校舎の中には、見知らぬ人々が往来し、事務室もザワザワして、昔のやうに温かく私を迎へては くれぬやうに思はれました。「ふるさとは蠅まで人を刺しにけり」それほどでもありませんが、無暗に腹が立つて、 何ものへともしれず憤りを抱きながら門を出ました。 ふしぎな私の冷酷。昔、共に学んだ友人たちには、具体的に逢つてどうといふ感激もないのに、たゞ会はずにゐると 漠たる悲しみと孤独の感じに苛まれるのを如何ともなす術がございません。 平岡公威(三島由紀夫) 昭和20年7月3日、清水文雄への書簡より
|
- 【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪
260 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/05/24(火) 10:54:11.94 ID:Jk8OZWsD - そしてそれは却つてなまじひに顔見知りでない後輩たちを、電車のなかに見出す場合、懐しさに胸がドキドキして、
用もないのに話しかけたくなり、しかも我ながら馬鹿らしい含羞で、話しかけることもできずにじつと見つめて ゐるやうな時、私のなかに私の少年時代が俄かに蘇るやうな気がします。こんな初々しい清らかな興奮をどんなに 長い間忘れてゐたことでせう。新宿駅で私は汚ない作業服とキャハンを穿いた後輩を発見しました。彼は私が 彼の先輩であることもしらず、私を不思議さうに見てゐましたが、その目は学習院の学生によくある澄んだ、 のんびりした目付で、口は少しポカンと開いてゐました。私は所用で大塚まで行くので、車内で、目白駅に下りた その小後輩を見送つたわけですが、彼は、そこで我勝ちに下りた乗客たちとは似てもつかない、実にオットリした、 少したよりない、少し眠さうな歩き方で、階段の方へゆつくり歩いて行きました。何故かそれを見ると、私は ふと涙がこぼれさうになりました。 平岡公威(三島由紀夫) 昭和20年7月3日、清水文雄への書簡より
|
- 【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪
261 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/05/24(火) 10:54:33.92 ID:Jk8OZWsD - ああした人種、ああした歩き方、あれがいつまでこの世に存続して行けるであらうか。私たちもその一員であつた、
閑雅なあまり頭のよくない、努力を知らない、明るい、呑気な、どこともしれず、生活からにじみ出た気品の そなはつた学習院の学生たち、あの制服、あの挙止、そしてあの歩き方、そのすべてが象徴してゐたある美しいもの、 それ自身頽落を予感されてゐたもの(私の十数年の学習院生活はその予感のなかにのみ過ごされました。)が、 今や鶯色の汚れた作業服を刑罰のやうに着せられ、靴は埃にまみれ、トボトボと不安気に歩いてゆくのを見て、 私が目頭を熱くしたのも道理でございます。帰途学習院へ寄つてみて、あの焼跡を見、後輩たちをみて、 相似た感慨に搏たれました。 平岡公威(三島由紀夫) 昭和20年7月3日、清水文雄への書簡より
|
- 【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪
262 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/05/24(火) 10:56:10.92 ID:Jk8OZWsD - (中略)かうした終末感を私は、徒らな感傷や、信念の不足からして感ずるのではございません。ある漠たる直感、
夢想そのもののなかに胚胎する覚醒の危険、凡て夢見るが故に覚めねばならない運命を感ずるのでございます。 現実に立脚した精神がわれわれの夢想の精神より更に弱体なものとみえる今日、われわれの夢想も亦凋落の決心を 必要とします。昼を咲きつづける昼顔の仄かな花弁は、昼の烈しい光のために日々に荒され傷つけられます。 何ものも神の夢想に耐へるほど強靭であることは出来ません。 しかし人の夢想の極限に耐へえた人は、その烈しさ極まる目覚めの失墜にも耐へうるであらうと思ひます。 ただ朝をのみ時めいた朝顔とはちがって、あの長い烈しい昼間をよく耐へた昼顔の夢想は、その後に来る長い 夜の烈しさにも耐へるでありませう。私共は今日ほど私共の生の強さと死の強さを感じることはございません。 平岡公威(三島由紀夫) 昭和20年7月3日、清水文雄への書簡より
|
- 【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪
263 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/05/24(火) 10:56:42.14 ID:Jk8OZWsD - 私共は遺書を書くといふやうな簡単な心境ではなく、私たちの文学の力が、現在の刻々に、(たとへそれが
喪失の意味にせよ)、ある強烈な意味を与へつづけることを信じて仕事をしてまゐりたいと思ひます。 その意味が刻みつけられた私共の時間は、永遠に去つてかへりませんが、地上に建てた摩天の記念碑よりも、 海底に深く沈めた一枚の碑の方が、何千万年後の人々の目には触れやすいものであることを信じます。 私共が一度持つた時間に与へた文学の意味が、それが過去に組入れられた瞬間から、絶対不可侵の不滅性を もつものであると思はれます。 項日(けいじつ)、生じつかな名声は邪魔であるが、真の名声はますます必要であることを感じて来ました。 文学作品を本文とするなら、名声はその註釈、脚註に相当します。本文が死語に化した場合、この難解な ロゼッタ・ストーンを解読しうるものは、たえず更新される註釈のみでございませう。 平岡公威(三島由紀夫) 昭和20年7月3日、清水文雄への書簡より
|