- 【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪
223 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/25(金) 12:56:54.05 ID:VAlw1wIt - 中世にパロディー文学=連歌なり謡曲なりあの奇怪な古今伝授(これも私は文芸として考へたい)なりが生れて
きたのは漠然たる憧れの為ではあつたが、文芸の次の時代の生命を奪はれたところに必然に執られねばならなかつた 姿ともいへる。パロディー文芸は学問といふやうな態度を多くとらない。生活を抽象に高めて行つて極美に達して ゐるのは古典であるが、パロディーはその抽象を生活に還元しようとする働らきだ。日本の詩人たちの隠遁は かゝる古典の還元の一作用である。その慨きの切なさについては頃日云ふ人も多いので云はない。学といふものは 自らの生活への還元といふよりもつと遠心的なところに立つて身にかへるのを要したのは宣長の古事記伝の態度を みればわかる。かゝるパロディー文学は大抵の場合パロディーのまゝ伝はるか又は全く別な新文学の内に融合するか どちらかゞ普通だが、後者は門左衛門(巣林子)に一時成就するかとみえた。蓋し自ら身に行ふ戯曲は、その 本質に於てパロディー性を有するものであつたのか千本桜や嫩軍記に於ては中世の軍記物のもつ雰囲気が切ないほど 身近くゑがかれてゐた。 平岡公威(三島由紀夫)18歳「近松半二」より
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