トップページ > 詩文学 > 2011年03月22日 > Zy7LRujt

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名無しさん@お腹いっぱい。
リチャード ブローティガン
ライナー・マリア・リルケ

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リチャード ブローティガン
127 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/22(火) 19:25:28.96 ID:Zy7LRujt
年明け早々、年末気分に逆戻りでスミマセン。

撮り貯めておいたNHKhi放送(の再放送)で見た、東山魁夷、京洛四季シリーズの中の代表作。

不思議な絵である。

前面にやや雑然と配置された雪の粒たちは、
レイヤーを自在に変える現代のデザイン画のようでもある。
ホテルの一室から写生して、忠実に切り取られた写実画であるとのことだが、
私にはとても象徴主義的な絵に感じられる。

現物は、昨年の末、自宅近くに出来た山種美術館で見た。
「東山魁夷と昭和の日本画」展。(まだやってます)
東山魁夷に限らず、岩絵具で描かれた昭和の日本画は、
私にとっては、マグリットの描くシュールな心象風景みたいである。

番組の中では、川端康成と東山魁夷の交友話も詳しく紹介されていました。
川端が自殺した年から、東山の絵に白馬が描かれるようになったという。

川端の自殺。
彼がその寸前まで通って眺めていたという、阿弥陀像のことを思い出す。

鎌倉の覚園寺にありますね。





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リチャード ブローティガン
128 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/22(火) 19:52:41.93 ID:Zy7LRujt
 ワイパーも震えてるよ 川のようなハイウェイ 電話からもれた声の暗さが気にかかって
 幸せと不幸せは二車線の道なのさ 時だけが僕の中を矢のように追い越すよ
 Driving All Night 闇夜を潜り抜けて
 Driving All Night 心は稲妻さ
 Driving All Night もうじき夜が明けるね
 Driving All Night 二人で暮らしてた街に
 もし君を失うなら 生きる価値さえないさ
 トラックの水煙がガラスを叩いても アクセルは緩めないよ 笑顔に触れるまでは
 Driving All Night 二度とは泣かせないさ
 Driving All Night 明日は晴れるよね
 Driving All Night 疲れた魂だけ Driving All Night やさしい腕で眠らせて
 もし君を失うなら 生きる価値さえないさ
どーですか、お客さん!

松本隆が得意とする 「心象風景を情景に喩えて表現する」 手法のお手本的作詞術!
ちなみに山下達郎の 「いつか晴れた日に」 なんかも同じ芸風ですな。

リチャード ブローティガン
129 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/22(火) 21:01:29.87 ID:Zy7LRujt
『芝生の復讐』 Revenge of the Lawn リチャード・ブローティガン 新潮文庫

タイトルからなんともシュールな香りがしてくる、さすがブローティガン。
短編というか散文詩といった感じの物語が62編集められた作品集。

ビート・ジェネレーションの作家たちが集まっていた56年のサンフランシスコ。
そんなサンフランシスコに滞在しながらも、ブローティガンは独自の世界を探索する。

ブローティガンの作品には、色んな比喩が出てくるので、
ストーリーを追うというよりも、勝手に色んなイメージを膨らませるのがよい。

メロンパン食べながらメランコリックな時間が流れていく、そんな1冊。


リチャード ブローティガン
130 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/22(火) 21:07:53.90 ID:Zy7LRujt
アメリカで鱒を釣ることだけを描いた小説。
書きぶりが軽やか過ぎて、素敵です。

最近、どの書店に行っても村上春樹の1Q84が店頭に並んでいます。
いままで春樹に興味のなかった人たちにも好評なようで、出版界の明るいニュースです。
1Q84から春樹に入った人は、デビュー作である『風の歌を聴け』に手を出して痛い目にあうでしょう。
『風の歌』の頃の春樹は今とは明らかに作風が違います。
1Q84から春樹に入り、『風の歌』に面白さを感じなかった人にぜひ読んでもらいたいのが、この作品です。

ひたすら主人公が鱒を釣ることだけを書いた作品で47の物語から構成されています。
散文詩と小説の間のようなもので、この世界観にハマるとブローティガンから抜け出せなくなります。
特におすすめなのは、主人公と子供の名前を思い出せなくなった男のバーでの会話。
これは完全に『風の歌を聴け』や『1973年のピンボール』につながる物語です。
『アメリカの鱒釣り』を読んでから春樹を読みなおせば、彼のやりたかったことが分かってくるはず。
すべてに意味付けするのはやめようぜ。
ストップ・メイキング・センス。

この作品でよく言われるのは藤本和子さんの翻訳のうまさ。
翻訳についてここまで絶賛される作品はこれの他ないでしょう。
体言止めのタイミングから、ことばの選び方(「アメリカの鱒釣りちんちくりん」など)、注釈にいたるまでブローティガン色が満載です。

僕の好きな本ベスト10には入る本なので、ぜひ手に取ってみてください
ライナー・マリア・リルケ
10 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/22(火) 21:32:43.48 ID:Zy7LRujt
しかしその境界は非常にあいまいで、何をもって「散文詩」というかは不明瞭であり、厳密な定義は難しい。特徴として比較的短い散文で、詩に見られる論理の飛躍・詩的なレトリックを

用いたものなどを散文詩とみなすことが多い。
だが、例えば川端康成の「掌編小説」を散文詩と呼ぶべきかどうか、という
問題もある。

極めて短い小説と散文詩の区別はほとんど不可能と言える。逆にこの問いは「小説とは何か」という問いにも関わってくるだろう。

散文詩は常に散文と詩の境界にある。韻文であればそれがすぐに優れた「詩」であるか、という問いと共に、
なぜ散文が詩となりうるのか(詩が散文となりうるのか)、あるいは詩と散文のアイデンティティ、それらの
境界線を考える上で、非常に重要なジャンルと言える。
特権的なジャンルとして成立した経緯を持つフランスにおける重要な詩人は、ボードレール、マラルメ、ランボーら、そしてロートレアモンから出発して





シュルレアリストたちの系譜へと連なっていくのである。




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