トップページ > 詩文学 > 2011年03月02日 > bBAzVi0p

書き込み順位&時間帯一覧

8 位/39 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数0000000000400000010000005



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
名無しさん@お腹いっぱい。
【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪

書き込みレス一覧

【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪
200 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/02(水) 10:22:15.42 ID:bBAzVi0p
○ 偉大な伝統的国家には二つの道しかない。異常な軟弱か異常な尚武か。それ自身健康無礙(むげ)なる状態は
存しない。伝統は野蛮と爛熟の二つを教へる。
○ 承詔必謹とは深刻なる反省の命令である。戦争熱旺(さか)んなりし国民が一朝にして平和熱へと転換する為に、
自己革命からの身軽な逃避が、この神聖な言葉で言訳されてはならない。
○ デモクラシイの一語に心盲ひて、政治家達ははや民衆への阿諛(あゆ)と迎合とに急がしい。併し真の戦争責任は
民衆とその愚昧とにある。源氏物語がその背後にある夥しい蒙昧の民の群衆に存立の礎をもつやうに、我々の
時代の文学もこの伝統的愚民にその大部分を負ふ。啓蒙以前が文学の故郷である。これら民衆の啓蒙は日本から
偉大な古典的文学の創造力を奪ふにのみ役立つであらう。――しかしさういふことはありえない。私は安心してゐる。
政治家は民衆の戦争責任を弾劾しない。彼らは、泰西人がアジアを怖るゝ如く、民衆をおそれてゐる。この畏怖に
我々の伝統的感情の凡てがある。その意味で我々は古来デモクラチックである。

平岡公威(三島由紀夫)昭和20年9月16日「戦後語録」より
【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪
201 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/02(水) 10:22:42.46 ID:bBAzVi0p
○ 日本的非合理の温存のみが、百年後世界文化に貢献するであらう。
○ ナチスもデモクラシイも国の伝統的感情の一斑と調和するところあるために取入れられ又取入れられ得たので
あると思ふ。これを超えて、強制的に妥当せしめらるゝ時、ナチスが禍ありし如く、デモクラシイも禍あるものと
なるであらうと思ふ。
○ 偏見はなるたけない方がよい。しかしある種の偏見は大へん魅力的なものである。
○ 芸術家の資質は蝋燭に似てゐる。彼は燃焼によつて自己自身を透明な液体に変容せしめる。しかしその
融けたる蝋が人の住む空気の中に落ちてくると、それは多種多様な形をして再び蝋として凝化し固形化する。
これが詩人の作品である。即ち詩人の作品は詩人の身を削つて成つたものであり、又その構成分子は詩人の身に等しい。
それは詩人の分身である。しかしながら燃焼によつて変容せしめられたが故に、それは地上的なる形態を超えて
存在する。しかも地上的なる空気によつて冷やされ固められ乍ら。
○ 人生は夢なれば、妄想はいよいよ美し。

平岡公威(三島由紀夫)昭和20年9月16日「戦後語録」より
【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪
202 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/02(水) 10:23:13.92 ID:bBAzVi0p
○ 退屈至極であつた学習院の学友諸君よ。諸君らに熱情ある友情の共感をもちつゞけることができるほど、僕は
健康な人間ではなかつた。君らがジャズを愛好するのもまだしも我慢できた。君らが一寸も本を読むといふことを
しらないで、殆ど気高くみえるほど無智なことにも我慢できた。だが僕には我慢ならなかつた。君らと会ふたびに、
暗黙の内に強いられたあの馬鹿話の義務を。つまり君たちが、おそろしく、さうだ慶応年間生れの老人よりも、
もつとおそろしく退屈であつたことを。――戦争が僕と君らを離れるやうに強いた。今では、昔より、僕は君らを
愛することができるだらう。尤も君らが僕の目の前にゐないことを前提としてだ。――なつかしい「描かれる」一族よ。
君たちは君たちの怠惰と、無智と、無批判の故に、描かれるべく相応に美しくなつてゐる筈だ。僕には「桜の園」の
作者となる義務があるだらう。(君らがゑがかれるために申分なく美しくなつた時代に)

平岡公威(三島由紀夫)昭和20年9月16日「戦後語録」より
【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪
203 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/02(水) 10:23:41.87 ID:bBAzVi0p
○ 流れる目こそ流されない目である。変様にあそぶ目こそ不変を見うべき目である。わたしはかゞやく変様の
一瞬をこの目でとらへた。おお、永遠に遁(に)げよ、そして永遠にわたしに寄添うてあれ。
○ 神界がもし完全なものならそれが発展の故にでなく、最初からあつたといふことは注目すべき事実だ。
○ どのやうな美しい物語にも慰さめられないとき、生れ出づるものは何であらうか。それを書いた瞬間に、
すべては奇蹟になり、すべては新たにはじめられ、丁度、朝警笛や荷車や鈴や軋りやあらゆる騒音が活々と
ゆすぶれだし、約束のやうに辷り出す、さういふ物語を私は書きたい。そしてそのやうな作品の成立がもはや
恵まれずとも怨まない。

平岡公威(三島由紀夫)昭和20年9月16日「戦後語録」より
【源泉の感情】平岡公威・三島由紀夫の詩♭♯♪
204 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/02(水) 17:59:39.01 ID:bBAzVi0p
○ 私は悲しみのために色さへ蒼ざめ乍ら、自分の人との間に介在する塀の内側へ来て了ふのだつた。わたしは
その塀をどんなに悲しみ深くながめたらう。
しかしこのやうな、塀への愛情や憤怒や情熱は、君らの言葉では、それに当るものがない。君らはたゞ僕を
情熱なき人間と云つた。僕のマスクは君らの注文に応じてますます硬化した。僕の身悶えするやうな青春の苦悩が
君たちにはコレッポチもわからなかつた。
もし僕に子供が出来て、彼が天才の名にあこがれたら僕はどう云つて叱り、またいさめよう。彼にこんな暗い、
寂寞たる青春は与へたくない。
○ 天才がたゞその作物によつてのみ天才といはれるなら僕は明らかに天才でないだらう。天才がたゞ彼の
夭折によつてのみ天才といはれるなら、僕は尚天才ではないだろう。
しかし天才はたしかにある。それは僕である。それは凡人のあづかりしれぬ苦悩に昼となく夜となく悩みつゞける魂だ。
それは生れ乍ら悲劇の子だ。それは神の私生児だ。
○ 天才とは青春の虐殺者である。

平岡公威(三島由紀夫)推定20〜22歳「わが愛する人々への果し状」より


※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。