- リチャード ブローティガン
62 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/06(日) 10:59:19 ID:g7HlcjC/ - 十二月×日
昨夜机の引き出しに入れてあった、松田さんの心づくし、払えばいゝんだ借りておこうかな、弱き者汝の名は貧乏なり。 家へかえる時間となるを ただ一つ待つことにして 今日も働けり。 啄木はこんなに楽しそうに家にかえる事を歌っている、私は工場から帰えると棒のようにつっぱった足を二畳いっぱいに延ばして、大きなアクビをする、それがたった一つの楽しさだ。 二寸ばかりのキュウピーを一ツごまかして、茶碗をのせる棚に、のせて見る。 私の描いた瞳、私の描いた羽根、私が生んだキュウピーさん、冷飯に味噌汁をザクザクかけて、かき込む淋しい夜食。 松田さんが、妙に大きいセキをしながら窓の下を通ると、台所からはいって、声をかける。 「もう御飯ですか、少し待っていらっしゃい肉を買って来たんですよ。」 松田さんも同じ自炊生活、仲々しまった人らしい。 石油コンロで、ジ……と肉を煮る匂いが、切なく口を濡す。 「済みませんが此葱切ってくれませんか。」 昨夜、無断で人の部屋の机の引き出しを開けて、金包みを入れておいたくせに、そうして、たった拾円ばかりの金を借して、もう馴々しく、人に葱を刻ませようとしている。 あんな人間に図々しくされると一番たまらない。 遠くで餅をつく勇ましい音が聞える。 私は沈黙ってボリボリ大根の塩漬を噛んでいたが、台所の方も佗しそうに、コツコツ葱を刻み出した。 「あゝ刻んであげましょう。」 沈黙っているにはしのびない悲しさで、障子を開けて、松田さんの鉋丁を取った。 「昨夜はありがとう、五円叔母さんに払って、五円残ってますから、五円お返ししときますわ。」 松田さんは沈黙って竹の皮から滴るように紅い肉片を取って鍋に入れていた。ふと見上げた歪んだ松田さんの顔に、小さい涙が一滴光っていた。
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