トップページ > 詩文学 > 2011年02月02日 > bAif5L0Y

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名無しさん@お腹いっぱい。
リチャード ブローティガン

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リチャード ブローティガン
56 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/02(水) 15:18:02 ID:bAif5L0Y
 僕は、これから、代数約三十題。疲れて、泣きたい気持だ。ロバートなんとか氏の曰(いわ)く、「一人の邪魔者の常に

我身に附(つ)き纏(まと)うあり、其名(そのな)を称して正直と云(い)う」芹川進(せりかわすすむ)氏の曰く、「一人の邪魔者の常に我身に附き纏うあり、其名を称して受験と云う」
 無試験の学校へはいりたい。


 四月二十一日。水曜日。
 曇、夜は雨。どこまでつづく暗鬱(あんうつ)ぞ。
リチャード ブローティガン
57 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/02(水) 17:39:49 ID:bAif5L0Y
  『正義と微笑』太宰 治 は、170ページあまりの作品です。あとがきに「青年歌舞伎俳優T君の、
少年時代の日記帳をよませていただき、それに
依って得た作者の幻想を、自由に書き綴った小説である」と太宰 治が記
しています。

  冒頭に さんびか第159番の歌詞が紹介されています。

 わがあしかよわく けはしき山路

 のぼりがたくとも ふもとにありて

 たのしきしらべに たえずうたはば

 ききて いさみたつ ひとこそあらめ

 そして、結びにさんびか第313番の歌詞が引用されています。

 わがゆくみちに はなさきかをり

 のどかなれとは ねがひ まつらじ

 本文は、これから読ませていただきます。私自身も興味を覚え、楽しん
で調べさせていただきました。「スマイルママ」さん、よい機会を
いただいてありがとうございました。

 なお、太宰 治 には、この『正義と微笑』のほか『駆け込み訴え』『碧
眼托鉢』など、キリスト教を扱った作品があります。登場人物が聖書を読む
シーンが出てくる作品もいくつかあります。けれど、彼自身は、クリスチャ
ンではなく、禅林寺というお寺に墓があります

リチャード ブローティガン
58 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/02(水) 18:24:41 ID:bAif5L0Y
 『芝生の復讐』にもかっとんだ短篇はあるが、たとえば冒頭の『芝生の復
讐』はわりとまともだ。しかしこの『アメリカの鱒釣り』は徹頭徹尾、最初
から最後までかっとんでいる。全体で一貫した筋がないどころか、短い断章
の中ですら一貫性はない。イメージはひたすら折れ曲がり乱反射する。言葉
でしかできないイメージの遊びが氾濫し、アクロバティックな言語の曲芸が
矢継ぎ早に繰り出される。読者はぽかんと口を開けてそれに見入るしかない。私の場合、この小説のすごさを理解するには三回ぐらい読み返さなければならなかった。

 本書は断章の集積であり、一つ一つの章はせいぜい3ページから5ページぐ
らいだ。この軽やかな形式の中で、ブローティガンの何物にも縛られない想
像力がぶんぶん音を立てて旋回し、その軌跡が虹色に輝いている。まさに言
葉の錬金術だ。先に書いたように「アメリカの鱒釣り」から手紙が来たり、倉庫の中で川や滝が売られていたりするという自由自在なイメージもすごいが、

更に感嘆するのはブローティガンの視点が移動するそ
の閃光の如きスピードと、それを見事にコントロールする運動神経である

。たとえば断章の中で気ままにユーモラスなエピソード
を描写していたかと思うと、終わり近くになっていきなり視点が旋回してム
ードが一変したり、圧倒的な詩情が溢れ出したりする。たった一行の文章、時にはほんの一つの単語だけで、それが起きる。この展開の鮮やかさと切れ味には本当にほれぼれしてしまう。

 そしてまた、その運動のパターンが一様ではない。方程式がないので
ある。にもかかわらず、どれもこれもオリンピック選手並みに鮮やかに身を翻して着地を決める。それはこの本の冒頭から

「木を叩いて その1」「木を叩いて その2」「赤い唇」「クールエイド中毒者」「胡桃ケチャップのいっぷう変わ
ったつくりかた
あたりまで読んだだけでも明白だ。これこそアートである。誰も『アメリカ
の鱒釣り』におけるブローティガンを真似することはできないだろう。


リチャード ブローティガン
59 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/02(水) 19:08:13 ID:bAif5L0Y
四月×日
「じゃあ行って来ます。」
 街の四ツ角で、まるで他人よりも冷やかに、私も男も別れた。
 男は市民座と云う小さい素人劇をつくっていて、滝ノ川の小さい稽古場に毎日通っていた。

 私も今日から通いでお務めだ。
 男に食わしてもらう事は、泥を噛んでいるよりも辛い、程のいゝ仕事よりもと、私のさがした職業は牛屋の女中さん。
「ロースあおり一丁願いますッ!」
 景気がいゝじゃないか、梯子段をトントン上って行くと、しみじみ美しい歌がうたいたくなる。
 広間に群れたどの顔も、面白いフィルムだ。
 肉皿を持って、梯子段を上がったり降りたり、私の前帯の中も、それに並行して少しずゝ[#「少しずゝ」はママ]ふくらんで来る。
 どこを貧乏風が吹くかと、部屋の中は甘味しそうな肉の煮える匂いでいっぱいだ。
 だが上ったり降りたりで、いっぺんに私はへこたれてしまった。
「二三日すると、すぐ馴れてしまうわ。」
 女中頭の、髷に結ったお杉さんが、腰をトントン叩いている私を見て、慰さめてくれたりした。

 十二時になっても、此店は素晴らしい繁昌で、私は帰るのに気が気ではなかった。
 私とお満さんをのぞいては、皆住込みなので、平気で残った客にたかって、色々なものをねだっている。
「たあさん、私水菓子ね。……。」
「あら私かもなんよ……。」
 まるで野性の集りだ、笑っては食い笑っては食い無限に時間がつぶれて行きそうで私は焦らずにはいられなかった。



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