- オーディオ・マキャベリズム Ver.1.0
208 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/12/04(水) 05:52:06.16 ID:D5Gtogpx - 1960年代と1970年代のクラシック録音の違いについて
60年代が音像のマッシブな実在感が強いのに対し 70年代は音場の広がりが優位になっている。 じゃあ、現在はどうかというと、段々と60年代に近づいていると思う。 おそらく、ヘッドホンでの試聴が多くなっているからだと推察するが それと同時にポップスでシーケンサー打ち込みがデフォルトになるなか 楽器を演奏する人物がバーチャル化しないように苦慮しているようにも思える。 つまりコンピューターに負けない正確さと溢れる個性の発露が 現在の演奏家に求められる条件のように感じる。 一方で、1990年代から若手演奏家の消耗も激しい気がする。 つまり正確さへの極度の集中力を要求するあまり 肉体的な衰えのほうが先行し、円熟というものが無くなったのだ。
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209 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/12/04(水) 06:28:30.08 ID:D5Gtogpx - 演奏家の円熟ということに目を向けると
今更ながら、カザルス&ゼルキンのベートーヴェン チェロ・ソナタとか シェリング&ルービンシュタインのブラームス ヴァイオリン・ソナタのような 老大家が共演した室内楽曲が面白く感じる。 枯れた表現というべきだが、骨まで浸みた懐の深さがあり 個人の存在感など越えて、1音で空間ごと取り囲んでしまう。 とはいえ、ロストロポーヴィチ&リヒテルとかデュメイ&ピリスに比べ 繊細さや全体に盛り上がりに欠けるなど、様々な意見があるだろう。 しかし優越を競うという考えを超えたところに室内楽の楽しみがある。
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210 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/12/04(水) 19:16:28.95 ID:D5Gtogpx - クレーメルが時折フューチャーする作曲家があって
最近ではヴァインベルクだが、ピアソラだったりペルトだったり そこはクレーメルのこと、演奏でさらに磨きをかけて紹介してくれるのだが 斬新なアヴァンギャルドよりは、クラシックのコンサートに載せやすい それなりに演奏しやすく聴きやすい楽曲を選んでいる。 例えば、同じミニマリストでもフェルドマンの長大曲に挑むようなことは全くないものの クレーメルが演奏する「現代曲」は、普通に広告されて ベートーヴェンやモーツァルトと並んで批評されるのは、何とも不思議な光景である。
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211 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/12/04(水) 21:12:45.58 ID:D5Gtogpx - いわゆるニューロマンティシズムと呼ばれる作曲家のなかで好きな曲は
吉松隆 ピアノ協奏曲「メモ・フローラ」(シャンドス:1998) ジョン・アダムス「ハルモニウム」(ECM:1984) アルヴォ・ペルト「ヨハネ受難曲」(ECM:1988) 演奏・録音ともに的を得たもので、おそらく代表盤。 似た者探しでフィリップ・グラスなどが出てくるとブライアン・イーノなど もはやクラシカルな楽器の存在すら怪しくなる。
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