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名無しさん@お腹いっぱい。
少しは歌謡曲の話でも【5時から男のララバイ】

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少しは歌謡曲の話でも【5時から男のララバイ】
549 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/04/16(火) 06:24:59.52 ID:98YCx5X/
オーディオ機器には、昔から価格帯というのがあって
598のスピーカーは大激戦区、それに合わせる598のアンプも好調
3wayでモニター風、物量を投じたオーディオ機器という鳴り物入りだった。
そのうち398でも激戦が繰り広げられ、ベストバイの言葉が独り歩きした。

私自身は、横並びが好きな日本人のこと、あっちが出せばこっちも負けるなと
経営陣からけしかけられて、それほど拘りも愛着もない製品郡が大量生産され
バブルが弾けると共に早期撤退という憂き目にあったのだと思ってる。

そうした製品のこと、その当時ヒットしたポップスのことをどう捉えて良いか
今でも相当に悩ましくて、積極的に取り上げることができない。
少しは歌謡曲の話でも【5時から男のララバイ】
550 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/04/16(火) 06:58:07.12 ID:98YCx5X/
別の視点からみると、ウォークマンとシャカシャカ音というティーンズがいて
そっちのほうがデフォルトのように思える。
オーディオ・メーカーの経営陣ほどにもステレオへの憧れはなかったのだ。
頭内定位で脳みそをかき回すサウンドが、不愛想な電車のなかで
自分の居場所を守ってくれた。

実はヘッドホンのメーカーも、音楽のパーソナル化には早くから気付いていて
KOSSのユニークな広告は今でも通用するインパクトがある。
ttps://i.pinimg.com/originals/39/a1/49/39a1495cd132460b626378b10c8b83d6.jpg
少しは歌謡曲の話でも【5時から男のララバイ】
552 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/04/16(火) 07:24:26.02 ID:98YCx5X/
ウォークマンが流行る少し前に、バブルラジカセの時代があり
原宿の竹の子族の必須アイテムだったほか
アメリカのヒップホップシーンでも肩に担いで闊歩する男たちがいた。
日本のバブルラジカセは、実にアメリカンな実力を備えていたのだ。

ポップなスタイルを具現化したのは、サンヨー「おしゃれなテレコ」で
これで1980年代のアイドル歌手を聞いた人は多かったのではないだろうか。
現在のラジカセ図鑑なるものの3/4は1980年代以降の機種で
1970年代がカンブリア紀なら、1980年代はジュラ紀、今は氷河期で石器時代である。
少しは歌謡曲の話でも【5時から男のララバイ】
553 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/04/16(火) 07:49:03.27 ID:98YCx5X/
>>551
オーディオ製品のグレードは指数的に費用が掛かるのが
いつも問題にはなるね。2倍掛けても違いは1.5倍あれば良い方。
最初の10万までは順当でも、20万を越えると
次は50万、100万と上がらなければ、ただの音の違いだけで
グレードの違いまでは分かりづらいところがある。
普通のサラリーマンにとっては辛いもんです。

レコードプレーヤーの中級機は、少し前までデノンの一人相撲で
最近になってテクニクスが投入するまで、競争の意識がなかった。
海外のトーレンスなども参戦して大いに盛り上げてほしい。
少しは歌謡曲の話でも【5時から男のララバイ】
557 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/04/16(火) 20:42:38.12 ID:98YCx5X/
CDが出た頃に生まれた幻想が、どのプレーヤーで鳴らしても同じ音
収録された音源はスタジオの音そのまま。何も味付けしないで素直なほうがいい。
そういう感じで、オーディオ趣味で工夫する点がリセットされたように思う。
例えばケーブルの話を聞いても、音質のコントロールではなく
あえて情報量の多さに話題が集中するのは
音源が常に正しい状態にあるというスタジオ性善説に基づいている。

一方で、CDがコンパクトなのに十分に高音質ということで
それまで大きくて重ければ音も立派になるという
見掛け通りのアナログ的なヒエラルキーが崩壊して
CDラジカセ、CDウォークマンでの試聴でも
CDの音はそのまま高音質で聴けるという誤解が広がり
オーディオ自慢というものが成り立たなくなった。
小さくても立派な音というのは、アナログ時代には痩せ我慢でしかない。
それを誰もが知っていたので、大きく強いオーディオ機器に憧れた。
少しは歌謡曲の話でも【5時から男のララバイ】
558 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/04/16(火) 20:59:57.58 ID:98YCx5X/
しかし、歌謡曲の再生を考えたとき
歌手を中心にシフトする音響効果が通り一遍ではなく
ときには大掛かりなフェイクを使ってでも立派に聴かせようとする。
つまり、スタジオでは正直者はバカをみるようなところがある。

もうひとつ、痩せ我慢も限界までくると清貧という美しい言葉に代り
私などはテレビの楕円スピーカーやラジカセの音が原音だと思ってる。
つまり、低レベルの音響機器でも、音楽の本質を見失わない
サバイバルにも通じる生命力こそが歌謡曲の魅力でもある。

これらの、フェイクな清貧は、日本国民の中流意識そのもので
オーディオでおいて中流こそ美徳たらしめる、節度ある価値観をもたらす。
本音は凄い装置で聴きたくても、「自分のはまだまだ」と上を向いて過ごそう。
少しは歌謡曲の話でも【5時から男のララバイ】
559 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/04/16(火) 21:41:26.52 ID:98YCx5X/
歌謡曲の面白さに演出=アレンジの妙があって
それが摂理に基づいた自然現象として捉えるというよりは
パーソナリティを発揮して積極的にアピールしている姿のほうが
再生の方向性として合っていると思う。

つまり、オーディオ装置はそれ自身がパーソナリティをもつべきだし
主体性のない語りで、他人事のように話し出すとシラケてしまう。
ニュースとバラエティーの差をみれば歴然なのだが
事実だけを語るだけでは不十分で、リアクションが大事なのだ。

最近は、オーディオ再生にアキュレート(正確さ)を求めることは十分にやってきたが
演出も含めたサウンドの個性を評価することは、かえって減退していると思う。
オーディオ・ブランドの形成において癖を嫌う傾向にあるし
もちろんそれは横並びの状態も意味する。
嗜好品としての面白味に欠けるとも言えるが
歌謡曲の個性に対し貫禄負けしないように頑張りたいものだ。


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