トップページ > ピュアAU > 2017年02月22日 > AP6qm4Du

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名無しさん@お腹いっぱい。
少しは歌謡曲の話でも【御三家・三人娘】 [無断転載禁止]©2ch.net
ラジオな音ですみません [無断転載禁止]©2ch.net

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少しは歌謡曲の話でも【御三家・三人娘】 [無断転載禁止]©2ch.net
443 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/02/22(水) 06:07:41.72 ID:AP6qm4Du
コロンビアの歌手が売れたときのボーナスが
コロンビア製のステレオだったというのはある。
西城秀樹がJBL、石川さゆりがタンノイというのは
最初の所属のモニタースピーカーだったからという説も。
ラジオな音ですみません [無断転載禁止]©2ch.net
83 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/02/22(水) 20:54:46.27 ID:AP6qm4Du
トスカニーニ生誕150周年の記念ボックスCDを購入したけど
録音史の流れとしても興味深いものだった。
1929〜52年まで全てモノラルだが
1929〜39年が初期の電機吹き込み
1941〜47年がHi-Fi移行期
1949〜52年がテープ収録
という具合に、ほぼ3期の録音規格に分かれる。

一番の収穫は、1941〜47年のSP盤ダイレクトカットの時代で
放送用アセテート盤と金属マスターの音の差が歴然としている。
この時期の末期にはオテロ、ボエームなどの定番が目白押しだが
録音手法としても円熟期に入っていたことが判る。

賛否両論なのは、8Hスタジオのエコーを全く抜いた音源を出していることで
個人的には、自分でエコーなりリバーブなり好みで味付けすれば良い
と思っている。1950年代には高域を持ち上げ、エコーを掛けるということをした。
一方で、音響バランスは、低域、高域を+2dB/oct程持ち上げた感じで
少しワイドレンジに見せかけたように思える。

この2点が、自分なりに納得いくかたちで処理できれば
色々と楽しめるボックスセットだと思った。
ラジオな音ですみません [無断転載禁止]©2ch.net
84 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/02/22(水) 21:33:56.30 ID:AP6qm4Du
録音技術について保守的と思えるトスカニーニだが
アメリカで最初の放送管弦楽団を組織して
ラジオでの高音質な実況放送を行ったことから始め
その時代のRCAの録音技術を柔軟に受け入れている。
この点に関しては、ストコフスキーがパイオニアだが
その数年後に録音システムが熟した頃には採用している。

トスカニーニは、最晩年にアルテックVOTTとウィリアムソン・アンプ
アンペックスのテープレコーダーで試聴したが
8Hスタジオを離れ、カーネギーホールでのセッションに移っている。
むしろ8Hスタジオは、フルオーケストラでも音のクリアネスを強く意識した
新しい発想の録音環境だったことも思える。
この時代は、まだレコード用に小編成オケで録音した時代だったが
トスカニーニのライブ実況以降は、多くの巨匠がフルオケで挑んでいる。


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