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213 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2015/09/13(日) 09:03:47.36 ID:Mhr5mP+w - ところで、Motownのスタジオだが1967-68頃のミキシングルームの写真がある。
ttp://s385.photobucket.com/user/Fast996/media/MOTOWNC37_zpsd54e21cb.jpg.html 確かに604Eは導入されているが、モノラルだと判る。そしてステレオのAR-3aは逆さま。 当時のOlhsson氏の説明では、ミキシングは基本的にモノラルで行っており ステレオは楽器を左右に分けるだけだった、なんてことを言っている。 16トラックを導入したときには各楽器にステレオのマイク配置も試みたが 最初の頃は2chにそのまま突っ込むだけだったという。 つまり、各トラックをモノラルで編集する方法しか知らず ステレオトラックのままで編集することなど、話の半分のさらに半分も考えていなかった。 それを知ってプロデューサーが激怒。あわや解雇されそうになったという。 考えてみたいのは、それ以前の録音方式でヒット曲はすでに十分出していた事実である。 またMotownと言えば、現在でも十分に通用するエバーグリーンな録音としても有名だ。 それでも流行の最先端でいることが、会社のセールスポイントと考えられていたのである。 そもそも、その時代の録音が50年も聴き継がれるなど、誰も想像していなかっただろう。 このこと自体がトラウマの原因だったのかもしれない。
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214 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2015/09/13(日) 21:04:29.63 ID:Mhr5mP+w - 日本で1964年(昭和39年)の東京オリンピックがテレビの普及に貢献したように
昭和40年を境にラジオ世代とテレビ世代とに峻別される。 簡単にいえば、共通体験が、音の記憶と映像の記憶とで違いがある。 その意味では、昭和40年(1965年)以前のポップスと、それ以後では 今の人の印象が大分違うのである。それ以前はオールディーズと同義 なのではないだろうか? ここを音の記憶の連続に修正する必要を感じている。 よくビートルズのデビュー1963年前後でポップスの変化を語ることが多いが 音楽の質からいえば、初期の2枚のアルバムとオールディーズ世代との差はほとんどない。 それはBBCで多く演奏したカバー曲の内容からしても同列なのだ。 アルバムとしてのテーマ性が強くなったラバー・ソウルで中期に入り その後の1967年にマルチトラックが導入されて以後にも変化が訪れるが 個人的にビートルズの再生が手ごわいと思うのは、ビートルズ自身が変えた 音楽界のルールに、ビートルズ自身も自由ではなく、3世代の録音の違いが 作品像の違いと勘違いされやすいことにある。こうした分類に何か意味があるのか? ここでは1965年頃を境に起きた音楽の革新性について語るよりも 肌の色も超えて広がった連帯のほうが、ずっとテーマとして重いと思うのだ。 その違いこそが、海外から配信されるテレビ映像の量の多さにもつながっている。 むしろ世界中の時代感覚の同一性こそが、過去のローカルな記憶を変えていった。 その意味では、ビートルズの世界的流行が、共同体幻想とリンクしているが 実際は他の出来事によっても世界の同一性を促すニュースが流されていた。 ここでは、共同体幻想により目覚めた革新性よりも、そんなことでは何も変わらない 人間の普遍的な愚かさを愛そうとする態度そのものが、聞き取るべきメッセージのだ。
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215 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2015/09/13(日) 22:17:07.04 ID:Mhr5mP+w - 最近すっと考えていたのは、ローファイな音を評価するオーディオ評論家の不在である。
オーディオを評価する際の、Hi-Fiか否かの判定は、あまり音楽的には意味がない。 例えば、最近になってSP盤の再生が話題に上ることが多いが、これは1950年代に LP盤の登場を機にHi-Fiオーディオが席巻した頃からあるもので、代表例として 蓄音機の女王とも称されたクレデンザの音は、帯域が狭いのになぜ音が良いのか? という類のものである。つまり再生周波数の広さに依存しないことは常識としてあった。 では何を基準に評価すればいいのか? それを考えて言葉にする評論家がほとんどいない。 例えば、Hi-Fi機器でクレデンザのような音が出ないのか? 逆に蓄音機でHi-Fi風の 音が出るようにできないのか? そういうことを考えることはない。 リアルなホーンで拡声する方法と、電気的に増幅する方法との違いを超えるような オーディオの理論は基本的には存在しない。個人的には、それを評価する手段が 十分に吟味されていないからだと思っている。 私はWEのホーンシステムが最良とは言わない。 結局、クレデンザとヴァイタフォンは統一されることなく、別の道を歩んだし、 クレデンザは繊細でまろやか、ヴァイタフォンはダイナミックな音響で魅了した。 この方向性の違いが、ローファイの音をひたすら峻別するようになったのだが 1960年代初頭においても、音楽は電蓄で聞かれ、愛され続けてたのは 誰もが知るとおりである。これを批判するのが、オーディオ評論家という職業であり Hi-Fiの諸条件を判りやすく説明しようとしたステレオタイプの論評である。 間違った進歩主義は捨てて、音楽再生の基本を見据えよう。
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216 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2015/09/13(日) 22:34:22.65 ID:Mhr5mP+w - 問題は、入力された信号をいかに正確に再生するかだが
おそらく正確さの意味が間違っている。 つまり記録された信号は、それが電気的にしろ機械的にしろ 録音媒体の癖を伴って記録された擬似音である。 それは犬や猫が、オーディオの音に反応しないことによっても すぐ判る。つまり気配というか、物が動き出す瞬間の音が ほとんど失われている。蟻や蚊だってオーディオの音では 全く動じない。危険がないので自分の行動をひたすら続けている。 しかし人間だけは、これを聞くと別の何かを感じ取る。 この理由をしっかり考える必要があるのだ。
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