- モノラル隔離病棟
349 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2013/06/16(日) 08:34:43.66 ID:nCl9F59/ - WEの評価の難しいのは、ほとんどの場合、当時の録音で評価しがたいところだ。
トーキーのWEは1937年に解散しているが、それ以前のトーキー映画でどれだけ列挙できるだろうか? クラーク・ゲーブル、グレタ・ガルボは知っていても、シャーリー・テンプルは忘れられている。 ボニーとクライド、赤いドレスの女、Gメン・・・これらは現実の事件そのものだ。 逆にジャズ・エイジで知られる世代はほぼ10年前の人々で世界恐慌前後で感覚がずれる。 意外に知らないものだらけで、何でも戦前のテクノロジーと文化を結びつけるのはどうかと思っている。
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350 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2013/06/16(日) 19:30:04.14 ID:nCl9F59/ - おそらくWEが1930年代のトーキー技術を代表するように思われているのは
事業を引き継いだAltec Lansing社の製品が、VOTTの栄誉とは裏腹に 現在までほとんど残されていないことと関係があるかもしれない。 1950年代にA7を投入した頃には、ステレオ再生を劇場でおこなうべく VOTTの製品群は入れ替えが激しかったからか? そもそも言われているほど球数が多くなかったのかもしれない。 1939年のAlied Radioのカタログをみると 何かに付け簡易PAシステムへの需要が大きかったことも判る。 http://www.alliedcatalogs.com/catalogs/1939/ (P.73あたりから8W〜65Wまで様々なシステムが並ぶ) WEも633Aマイクを量販しており、Shureなどと肩を並べている。 スピーカーはJensen、Utahなどの他、Raconホーンもあり 一般的に格下のランクであることが判る。 しかし、この時代のジャズ・ボーカルなどは この手の拡声器で多くの人は聴いていたのである。 例えばペギー・リー、フランク・シナトラが ジャズ・オーケストラと共演したのはこの方法だった。 一般的にラジオ放送がクルーン唱法を生みだしたと言われるが それを支える簡易PAの存在が後押ししたともいえる。
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351 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2013/06/16(日) 20:55:46.34 ID:nCl9F59/ - 一方で、簡易PAは必ずしも生バンドのステージのみではなく
当時のスウィング熱と勘定を合わせると レコード再生でのダンスパーティーも十分にあったと思われる。 PA装置にターンテーブル&ピックアップの付いたシステムもあり 電蓄以上、トーキー未満の全てのシステムが当てはまる。 その意味で、モノラル・システムの規模をどう当てはめるかの ノウハウにも通じるように思っている。 個人的な感想では、当時の2流の機器でも 最新の神経質な機器よりは結果が出しやすいと思うところである。
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