- 【亜細亜から】Amazon市川FC part53【欧米まで】
5 :FROM名無しさan[sage]:2018/07/28(土) 15:16:39.73 ID:Dt0sLKlP - 夏目漱石
韓満所感(下)- 1909年(明治42年)11月6日付 抜粋 満洲から朝鮮へ渡つて、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となつてゐる状態を目撃して、日本人も甚だ頼母しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた。 同時に、余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた。彼等を眼前に置いて勝者の意気込を以て事に当るわが同胞は、真に運命の寵児と云はねばならぬ
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6 :FROM名無しさan[]:2018/07/28(土) 15:17:06.10 ID:Dt0sLKlP - 福沢諭吉の中国、朝鮮観
福沢諭吉「脱亜論」 1885年3月16日 時事新報 (現代語訳) 日本の不幸は中国と朝鮮だ。この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。 地球規模で情報が行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。 国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。 「東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。 この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである
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7 :FROM名無しさan[]:2018/07/28(土) 15:17:29.85 ID:Dt0sLKlP - 「我らは次のことが自明の真理であると見なす。
すべての人間は平等につくられている。創造主(神)によって、生存、自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられていること。 これらの権利を確保する為に、人は政府という機関をつくり、その正当な権力は被支配者の同意に基づいていなければならないこと。 もし、どんな形であれ政府がこれらの目的を破壊するものとなった時には、それを改め、または廃止し、新たな政府を設立し、 人民にとってその安全と幸福をもたらすのに最もふさわしいと思える仕方で、新しい政府を設けることは人民の権利である。」
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8 :FROM名無しさan[]:2018/07/28(土) 15:17:53.18 ID:Dt0sLKlP - いかなる主権の原理も本質的に国民に存する。どの団体も、どの個人もそこから明確に発しないような権威を行使することはできない。
全ての市民は、法の下の平等にあるので、彼らの能力に従って彼らの徳や才能以上の差別なしに、全ての公的な位階、地位、職に対して平等に資格を持つ。 権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない。 所有は不可侵で神聖な権利であるので、法的に示された公的必要性が明白にそれを要求する場合や、公正で優先的な保障の条件の下でなければ、何人も私的使用を奪われえない
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9 :FROM名無しさan[]:2018/07/28(土) 15:18:15.77 ID:Dt0sLKlP - 次のような真理をごく当たり前のことだと考えている。つまり、すべての人間は神によって平等に造られ、一定の譲り渡すことのできない権利をあたえられており、その権利のなかには生命、自由、幸福の追求が含まれている。
またこれらの権利を確保するために、人びとの間に政府を作り、その政府には被治者の合意の下で正当な権力が授けられる。 そして、いかなる政府といえどもその目的を踏みにじるときには、政府を改廃して新たな政府を設立し、人民の安全と幸福を実現するのにもっともふさわしい原理にもとづいて政府の依って立つ基盤を作り直し、 またもっともふさわしい形に権力のありかを作り変えるのは、人民の権利である。 最も、実際には、分別を働かしさえすれば、長年続いてきた政府をたいした理由でもなかったり、あるいは一時的な理由から改廃すべきでないというのは、 容易にわかることである。したがって、これまでの歴史は、人類には慣れ親しんできた政府を廃止して政府自体を作り直すことよりも、その弊害が耐えられるのであればそれを苦しんでも耐える傾向にあったことを示している。 しかしながち、権力の乱用や略奪が長く続き、人民を絶対的な専制の下に落としめようとする企てが絶えまなくみられる場合には、人民は権利ばかりでなく義務としても、 そのような政府を転覆し将来の安全を確保するために新しい警護者を見つけなければならない
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