- 首都圏のグランドリニューアルオープン情報 22
294 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2010/09/27(月) 21:32:59 ID:ZyuibVq60 - 〜私の履歴書〜
18の時 某有名大学に受かる。入学するも気の合う友人ができず、入った部にも馴染めず大学に失望し始める。 図書館に入り浸って社会科学系の本を読み漁る。 19の時 クルクルセブンに出会う。 いい店が近くにあったこともあり結構な勝率を上げる。 これでパチンコにのめりこみ、セミプロと化す。 この頃は、 打っているときだけが『楽しかった』。 20〜21の時 だらだらとパチンコを打ちつづける。 次第に、「こんなことでいいのだろうか」と思い始めるも、危機感はまだそれほどでもない。 一応有名大学だから大手企業に入るのもそう難しいことではない時代 だったし。 22の時 5月からようやく就職活動を始めるも、サラリーマンになる人生がどうしても実感が持てず、いいかげんに活動をする。 日本生命、東京海上、エッソ石油、ダイエー、興銀と言った 企業の内定を受けるも全部けって某会社に入る。 (ランクは下)早まったカナと後悔するも後の祭。 まあ、この会社で少し頑張ろうと思う。 23の時 入社式で早まったことを確信して鬱になる。 明るく振舞っていたが、次第に耐え難くなり、辞める決心をする。 元々会社づとめをしながら、資格でもとって独立しようと思っ てい たので勉強に専念しようとマジでやめる。 24の時 まだまだ若いからといいかげんに勉強してあっさり落ちるも1年で受かるとは思ってなかったので全然気にせずスロットを楽しむ。 25の時 不眠になり、スロットを一時止めるも、勉強も手がつかず、お金だけがどんどん減っていく状態に耐えられず、又スロットで稼ぎ始める。 26の時 会社辞めた時の、『やるぞ!』という熱意も冷め、惰性でやっている状態に危機感を覚えるも、事態は変えられず鬱になる。 公務員試験でもうけるかと思うも、それじゃ会社やめた意 味ないと思い思いとどまる。 27の時 原因不明の病気になり、だるさ、疲労感が一日中抜けない状態になり、就職することも無理、勉強もできないという状態になりとても焦る。 今、 だるいながらも少しずつ勉強するしかないと思い、すこ〜しづつ勉強する。しかしスロットでマジで勝てなくなり、貯金がどんどん減ってきており来年試験に落ちたらどうしようもない状態になる。 そして今日も鬱を深めながら、スロットで負けに行くのであった。。。 自分は現在満49歳になり、パチンコを打ち始めた時は17歳で、以来今日まで、32年間パチンコに人生を翻弄され続けて参りました。 初めてパチンコ台と対面した時の衝撃はうち震えるほどのものがあり、その感情はいまでも忘れられるものではありません。 しかし、そのいっぽうでは、或る人が自分をパチンコというものに誘わなければ別の(もう少しましな!?)人生を送ってきたかも知れない、とも思うのです。 自分が32歳頃の時、ある事情で身内から17万円の借金をし(ギャンブルには関係ありません)、 それがもとで返済が何年にも長引いてゆくうちに気まずい気持ちがあり、顔が合わせられなくなり、 住所不定の転々と職業を変える浮遊生活者となりました。そして、35歳から42歳までパチンコ生活者となりました。 と言っても釘が読める訳ではなく、羽根ものとか「ジャンケン」(台の名称は不明)のモーニングなど打っていました。 その頃は、同じ店に通い続ければ日頃よく出る台がわかっていて、その台ばかり集中的に狙えば食べていかれたのです。 しかし、その7年間というものは、心の中にはいつも淋しい風が吹いていました。 ただ淋しいだけではなく、その心中に渦巻くものは他人に対する憎悪、 パチンコ店主に対する憎悪、世間に対する憎悪で一杯であり、そしてなによりも自分をメチャクチャにしているのは、 そういうあらゆる憎悪の渦が自分の心の内に湧いているそのものを自分自身が外側からじっと見るせつなさで御座居ます
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- 【閉店】 首都圏グランドクローズ情報 6【倒産】
433 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/09/27(月) 21:33:54 ID:ZyuibVq60 - 〜私の履歴書〜
18の時 某有名大学に受かる。入学するも気の合う友人ができず、入った部にも馴染めず大学に失望し始める。 図書館に入り浸って社会科学系の本を読み漁る。 19の時 クルクルセブンに出会う。 いい店が近くにあったこともあり結構な勝率を上げる。 これでパチンコにのめりこみ、セミプロと化す。 この頃は、 打っているときだけが『楽しかった』。 20〜21の時 だらだらとパチンコを打ちつづける。 次第に、「こんなことでいいのだろうか」と思い始めるも、危機感はまだそれほどでもない。 一応有名大学だから大手企業に入るのもそう難しいことではない時代 だったし。 22の時 5月からようやく就職活動を始めるも、サラリーマンになる人生がどうしても実感が持てず、いいかげんに活動をする。 日本生命、東京海上、エッソ石油、ダイエー、興銀と言った 企業の内定を受けるも全部けって某会社に入る。 (ランクは下)早まったカナと後悔するも後の祭。 まあ、この会社で少し頑張ろうと思う。 23の時 入社式で早まったことを確信して鬱になる。 明るく振舞っていたが、次第に耐え難くなり、辞める決心をする。 元々会社づとめをしながら、資格でもとって独立しようと思っ てい たので勉強に専念しようとマジでやめる。 24の時 まだまだ若いからといいかげんに勉強してあっさり落ちるも1年で受かるとは思ってなかったので全然気にせずスロットを楽しむ。 25の時 不眠になり、スロットを一時止めるも、勉強も手がつかず、お金だけがどんどん減っていく状態に耐えられず、又スロットで稼ぎ始める。 26の時 会社辞めた時の、『やるぞ!』という熱意も冷め、惰性でやっている状態に危機感を覚えるも、事態は変えられず鬱になる。 公務員試験でもうけるかと思うも、それじゃ会社やめた意 味ないと思い思いとどまる。 27の時 原因不明の病気になり、だるさ、疲労感が一日中抜けない状態になり、就職することも無理、勉強もできないという状態になりとても焦る。 今、 だるいながらも少しずつ勉強するしかないと思い、すこ〜しづつ勉強する。しかしスロットでマジで勝てなくなり、貯金がどんどん減ってきており来年試験に落ちたらどうしようもない状態になる。 そして今日も鬱を深めながら、スロットで負けに行くのであった。。。 自分は現在満49歳になり、パチンコを打ち始めた時は17歳で、以来今日まで、32年間パチンコに人生を翻弄され続けて参りました。 初めてパチンコ台と対面した時の衝撃はうち震えるほどのものがあり、その感情はいまでも忘れられるものではありません。 しかし、そのいっぽうでは、或る人が自分をパチンコというものに誘わなければ別の(もう少しましな!?)人生を送ってきたかも知れない、とも思うのです。 自分が32歳頃の時、ある事情で身内から17万円の借金をし(ギャンブルには関係ありません)、 それがもとで返済が何年にも長引いてゆくうちに気まずい気持ちがあり、顔が合わせられなくなり、 住所不定の転々と職業を変える浮遊生活者となりました。そして、35歳から42歳までパチンコ生活者となりました。 と言っても釘が読める訳ではなく、羽根ものとか「ジャンケン」(台の名称は不明)のモーニングなど打っていました。 その頃は、同じ店に通い続ければ日頃よく出る台がわかっていて、その台ばかり集中的に狙えば食べていかれたのです。 しかし、その7年間というものは、心の中にはいつも淋しい風が吹いていました。 ただ淋しいだけではなく、その心中に渦巻くものは他人に対する憎悪、 パチンコ店主に対する憎悪、世間に対する憎悪で一杯であり、そしてなによりも自分をメチャクチャにしているのは、 そういうあらゆる憎悪の渦が自分の心の内に湧いているそのものを自分自身が外側からじっと見るせつなさで御座居ます
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- 東京都 浅草周辺総合スレ 台東区
396 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2010/09/27(月) 21:34:36 ID:ZyuibVq60 - 〜私の履歴書〜
18の時 某有名大学に受かる。入学するも気の合う友人ができず、入った部にも馴染めず大学に失望し始める。 図書館に入り浸って社会科学系の本を読み漁る。 19の時 クルクルセブンに出会う。 いい店が近くにあったこともあり結構な勝率を上げる。 これでパチンコにのめりこみ、セミプロと化す。 この頃は、 打っているときだけが『楽しかった』。 20〜21の時 だらだらとパチンコを打ちつづける。 次第に、「こんなことでいいのだろうか」と思い始めるも、危機感はまだそれほどでもない。 一応有名大学だから大手企業に入るのもそう難しいことではない時代 だったし。 22の時 5月からようやく就職活動を始めるも、サラリーマンになる人生がどうしても実感が持てず、いいかげんに活動をする。 日本生命、東京海上、エッソ石油、ダイエー、興銀と言った 企業の内定を受けるも全部けって某会社に入る。 (ランクは下)早まったカナと後悔するも後の祭。 まあ、この会社で少し頑張ろうと思う。 23の時 入社式で早まったことを確信して鬱になる。 明るく振舞っていたが、次第に耐え難くなり、辞める決心をする。 元々会社づとめをしながら、資格でもとって独立しようと思っ てい たので勉強に専念しようとマジでやめる。 24の時 まだまだ若いからといいかげんに勉強してあっさり落ちるも1年で受かるとは思ってなかったので全然気にせずスロットを楽しむ。 25の時 不眠になり、スロットを一時止めるも、勉強も手がつかず、お金だけがどんどん減っていく状態に耐えられず、又スロットで稼ぎ始める。 26の時 会社辞めた時の、『やるぞ!』という熱意も冷め、惰性でやっている状態に危機感を覚えるも、事態は変えられず鬱になる。 公務員試験でもうけるかと思うも、それじゃ会社やめた意 味ないと思い思いとどまる。 27の時 原因不明の病気になり、だるさ、疲労感が一日中抜けない状態になり、就職することも無理、勉強もできないという状態になりとても焦る。 今、 だるいながらも少しずつ勉強するしかないと思い、すこ〜しづつ勉強する。しかしスロットでマジで勝てなくなり、貯金がどんどん減ってきており来年試験に落ちたらどうしようもない状態になる。 そして今日も鬱を深めながら、スロットで負けに行くのであった。。。 自分は現在満49歳になり、パチンコを打ち始めた時は17歳で、以来今日まで、32年間パチンコに人生を翻弄され続けて参りました。 初めてパチンコ台と対面した時の衝撃はうち震えるほどのものがあり、その感情はいまでも忘れられるものではありません。 しかし、そのいっぽうでは、或る人が自分をパチンコというものに誘わなければ別の(もう少しましな!?)人生を送ってきたかも知れない、とも思うのです。 自分が32歳頃の時、ある事情で身内から17万円の借金をし(ギャンブルには関係ありません)、 それがもとで返済が何年にも長引いてゆくうちに気まずい気持ちがあり、顔が合わせられなくなり、 住所不定の転々と職業を変える浮遊生活者となりました。そして、35歳から42歳までパチンコ生活者となりました。 と言っても釘が読める訳ではなく、羽根ものとか「ジャンケン」(台の名称は不明)のモーニングなど打っていました。 その頃は、同じ店に通い続ければ日頃よく出る台がわかっていて、その台ばかり集中的に狙えば食べていかれたのです。 しかし、その7年間というものは、心の中にはいつも淋しい風が吹いていました。 ただ淋しいだけではなく、その心中に渦巻くものは他人に対する憎悪、 パチンコ店主に対する憎悪、世間に対する憎悪で一杯であり、そしてなによりも自分をメチャクチャにしているのは、 そういうあらゆる憎悪の渦が自分の心の内に湧いているそのものを自分自身が外側からじっと見るせつなさで御座居ます
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- 東京 墨田 錦糸町周辺総合スレ 総武 東武 都営
345 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2010/09/27(月) 21:35:17 ID:ZyuibVq60 - 〜私の履歴書〜
18の時 某有名大学に受かる。入学するも気の合う友人ができず、入った部にも馴染めず大学に失望し始める。 図書館に入り浸って社会科学系の本を読み漁る。 19の時 クルクルセブンに出会う。 いい店が近くにあったこともあり結構な勝率を上げる。 これでパチンコにのめりこみ、セミプロと化す。 この頃は、 打っているときだけが『楽しかった』。 20〜21の時 だらだらとパチンコを打ちつづける。 次第に、「こんなことでいいのだろうか」と思い始めるも、危機感はまだそれほどでもない。 一応有名大学だから大手企業に入るのもそう難しいことではない時代 だったし。 22の時 5月からようやく就職活動を始めるも、サラリーマンになる人生がどうしても実感が持てず、いいかげんに活動をする。 日本生命、東京海上、エッソ石油、ダイエー、興銀と言った 企業の内定を受けるも全部けって某会社に入る。 (ランクは下)早まったカナと後悔するも後の祭。 まあ、この会社で少し頑張ろうと思う。 23の時 入社式で早まったことを確信して鬱になる。 明るく振舞っていたが、次第に耐え難くなり、辞める決心をする。 元々会社づとめをしながら、資格でもとって独立しようと思っ てい たので勉強に専念しようとマジでやめる。 24の時 まだまだ若いからといいかげんに勉強してあっさり落ちるも1年で受かるとは思ってなかったので全然気にせずスロットを楽しむ。 25の時 不眠になり、スロットを一時止めるも、勉強も手がつかず、お金だけがどんどん減っていく状態に耐えられず、又スロットで稼ぎ始める。 26の時 会社辞めた時の、『やるぞ!』という熱意も冷め、惰性でやっている状態に危機感を覚えるも、事態は変えられず鬱になる。 公務員試験でもうけるかと思うも、それじゃ会社やめた意 味ないと思い思いとどまる。 27の時 原因不明の病気になり、だるさ、疲労感が一日中抜けない状態になり、就職することも無理、勉強もできないという状態になりとても焦る。 今、 だるいながらも少しずつ勉強するしかないと思い、すこ〜しづつ勉強する。しかしスロットでマジで勝てなくなり、貯金がどんどん減ってきており来年試験に落ちたらどうしようもない状態になる。 そして今日も鬱を深めながら、スロットで負けに行くのであった。。。 自分は現在満49歳になり、パチンコを打ち始めた時は17歳で、以来今日まで、32年間パチンコに人生を翻弄され続けて参りました。 初めてパチンコ台と対面した時の衝撃はうち震えるほどのものがあり、その感情はいまでも忘れられるものではありません。 しかし、そのいっぽうでは、或る人が自分をパチンコというものに誘わなければ別の(もう少しましな!?)人生を送ってきたかも知れない、とも思うのです。 自分が32歳頃の時、ある事情で身内から17万円の借金をし(ギャンブルには関係ありません)、 それがもとで返済が何年にも長引いてゆくうちに気まずい気持ちがあり、顔が合わせられなくなり、 住所不定の転々と職業を変える浮遊生活者となりました。そして、35歳から42歳までパチンコ生活者となりました。 と言っても釘が読める訳ではなく、羽根ものとか「ジャンケン」(台の名称は不明)のモーニングなど打っていました。 その頃は、同じ店に通い続ければ日頃よく出る台がわかっていて、その台ばかり集中的に狙えば食べていかれたのです。 しかし、その7年間というものは、心の中にはいつも淋しい風が吹いていました。 ただ淋しいだけではなく、その心中に渦巻くものは他人に対する憎悪、 パチンコ店主に対する憎悪、世間に対する憎悪で一杯であり、そしてなによりも自分をメチャクチャにしているのは、 そういうあらゆる憎悪の渦が自分の心の内に湧いているそのものを自分自身が外側からじっと見るせつなさで御座居ます
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