トップページ > 海外旅行 > 2019年08月14日 > c2fPqiKQ

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異邦人さん
イタリア旅行 Part102

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イタリア旅行 Part102
688 :異邦人さん[]:2019/08/14(水) 09:28:02.74 ID:c2fPqiKQ
>>579ー580
トリエステ(トルスト)やイストリア(イストラ)半島を巡るイタリア側の概念からすれば妥当だろうが、其処にはローマ帝国の威光を楯にしたローマ中心の価値観が伺い知れる感じだな。
1860年代に未回収のイタリア〜ハプスブルク崩壊〜WW2〜冷戦期〜1990年代のユーゴ崩壊を辿っても、正に激動の地域性だ。
だがトリエステとイストリア半島はバルカン半島の南スラヴ系民族と共存共栄して来た一面が有るから、一概にローマの価値観では巧く事は運ばないのでは?
下記の論文がこの実情と歴史的な概要を著している。

中央大学社会科学研究所年報 2012年第17号
鈴木鉄忠「"境界領域"のヨーロッパ試論〜イストリア半島を事例に〜」

https://chuo-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=6077&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

神戸大学紀要論文 2014年3月
根本峻瑠「ハプスブルク君主国時代トリエステの言語とネーション:言語調査とドイツギムナジウムを中心に」

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81005495.pdf


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