- ◇インド 印度 INDIA part 90◇
752 :異邦人さん (ワッチョイ 220.104.128.156)[sage]:2019/02/21(木) 22:49:44.78 ID:cmhuYaHB0 - アメリカを拠点に世界で活躍している橋村奉臣氏による、ローマに取材した作品を紹介します。
汲めどもつきぬ永遠の都ローマの魅力を生き生きと映し出すとともに、私たちを果てしない旅に誘います。 「ローマは偉大であるがゆえに人々から愛されたのではない。人々から愛されたがゆえにローマは偉大になったのだ」 ――イギリスの作家G.K.チェスタートンの名言のとおり、都市のなかの都市ローマは時代と国境を超えて多くの芸術家たちを引き寄せ、ローマに捧げられた芸術作品は「永遠の都」への憧れを一層かきたてます。 ゲーテ、スタンダール、アンデルセン、プッチーニ、ウィリアム・ワイラー、フェリーニ……ローマの魅力を作品にうたった創造者たちの名を挙げれば、優に一冊の本ができあがるでしょう。 この展覧会は、ニューヨークを拠点に世界で活躍しているHASHIこと橋村奉臣氏による、ローマに取材した作品約50点を紹介します。 二千年を超える都市の歴史が刻印されたローマの遺跡や街並みは、私たちの思いを現在から遠い過去へ、そして遥かな未来へと導きます。現実の一瞬を定着する写真の機能を越え、 いま私たちの眼に映る21世紀の光景を「千年後の未来」に再発見するというコンセプトのもとで、HASHIGRAPHY(ハシグラフィー)と命名された独自の手法によって制作された 橋村氏の作品は、汲めども尽きぬ永遠の都ローマの魅力を生き生きと映し出すとともに、私たちを果てしない時間の旅へと誘います。
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753 :異邦人さん (ワッチョイ 220.104.128.156)[sage]:2019/02/21(木) 22:51:24.27 ID:cmhuYaHB0 - 第二次世界大戦後のフランスで活躍した社会的リアリズムの画家ベルナール・ビュフェは
1928年にパリで生まれました。ビュフェは10歳頃から絵を描き始め、1944年の16歳で エコール・デ・ボザールに入学するも母が死去したことにより退学し、1945年よりルーヴル 美術館に毎日のように通い、レンブラント、ドラクロワ、クールベなどから影響を受けました。 1948年の20歳のときに「批評家賞」を受賞し、当時隆盛を極めていたアンフォルメル (不定形抽象)に対抗する具象絵画のプリンスとして注目されるようになりました。 ビュフェの力強く鋭い描線で捉えた作品は、戦後の荒廃したフランス社会での人間の 孤独や疎外、不条理を代弁するものとして多くの共感者に受け入れられました。1960年 以降になると黒を基調としながらもカラフルな色彩を使用するようになり、クールベや ヴラマンク風の力強い風景画を制作するようになります。1980年以降には確立した画風 のなかで、落ち着いた風格と生涯追い求めたアイロニーや人間の本質を捉える鋭さが 感じられる作品を制作し、最晩年になると「死」を意識した作品を制作するようになりました。 本展は、静岡県長泉町にあるベルナール・ビュフェ美術館所蔵の代表作を「人物画」 「風景画」「静物画」の3つのジャンルに分け、画家として制作を開始した1945年の 《父と息子》《台所》から亡くなる前年である1998年の死を予告した《死よ万歳》までの 作品70点で、50年に及ビュフェの偉大な画業の功績を回顧します。 ※1928年パリ生まれ。多忙の工場経営者の父のもとに生まれ、父親との関係は希薄で あった。心の支えであった母を10代で亡くし、ひとりキャンバスに向かうことが多かった。 1948年、パリで最も権威のある新人賞・批評家賞を受賞。この頃から天才画家として有名 であった。硬質で鋭く太い針金のような輪郭線、モノトーンに近い色彩を特色とする独自の 様式を築き、その画面には人物の不安げな表情などとあいまって第二次大戦後の作者の 不安で荒涼とした心象風景が表されている。 女性像のモデルは多くの場合、妻のアナベルである。油彩画のみならず、優れた版画も 多く制作している。最愛の妻アナベルと生涯を添い遂げる間も彼の孤独が癒えることはなかっ た。71歳で自らの命を絶った。
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754 :異邦人さん (ワッチョイ 220.104.128.156)[sage]:2019/02/21(木) 22:53:59.06 ID:cmhuYaHB0 - ロレーヌ公国(現在のフランス東北部)の首都ナンシーに生まれ、活動の前半期を
イタリアで過ごしたジャック・カロ(1592-1635)は、フィレンツェのメディチ家 やナンシーのロレーヌ公をはじめ、貴族や教会からの注文を受け、作品を制作した 銅版画家です。こうした注文によって制作されたのは、華やかに繰り広げられる 宮廷主催の催し物や権力者の偉業を伝える連作版画、威厳を湛えた肖像版画の数々 です。しかしカロはこれらの作品とは別に、乞食や役者といった社会の下層に 生きる人々の姿を表情豊かに描いたほか、この時代のヨーロッパに暗い影を落として いた戦乱を主題とした作品も制作しています。 今回の展示では国立西洋美術館で所蔵するカロの版画のなかから、フィレンツェ時代 とナンシー時代の作品をとりあげ、それぞれの時期の活動を探ります。また、代表作 である《ブレダの攻略》、《戦争の悲惨(大)》、《聖アントニウスの誘惑 (第二作)》、《狩り》に焦点をあて紹介します。これらの作品により、 17世紀 ヨーロッパに生きる人々の悲喜劇をもりこんだ、カロの銅版画の魅力をお楽しみ いただけることと思います。 (ロレーヌ公国)ロレーヌに先行するロタリンギアは国王ロタール2世(855年–869年) 治世下では フランク帝国内部での独立した王国であった。その領域は元来、ルート ヴィヒ1世の3人の息子間で分割が取り決められたヴェルダン条約で843年に創設 された中部フランク王国の一部であった。中部フランクはロタール1世に割り当て られ、それ故にLotharii Regnumと呼ばれた。855年にロタール1世が死ぬと更に 三つに分割され、ロタール2世は北部を受け取った。その領域は当時、ブルゴーニュ 伯領から北海南部に伸びた広大な領域を含んでいた。この領域はフランスでは ロレーヌ(Lorraine)として知られ、他方、ドイツでは次第にロートリンゲン (Lothringen)として知られるようになった。アレマン語がかつてロレーヌで話さ れており、接尾字の-ingenは正確には、比喩的な感覚では"Lotharingen"は "ロタールに属す土地"と表現される。
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757 :異邦人さん (ワッチョイ 220.104.128.156)[sage]:2019/02/21(木) 23:36:34.72 ID:cmhuYaHB0 - この展覧会は、ヴァチカン美術館古代美術、考古学部門の全面的協力により
実現される、共和政ローマから初期キリスト教時代まで、約600年の間に 制作された古代ローマ人の肖像彫刻を中心とした展覧会です。日本人にとって、 肖像彫刻はあまり馴染みのないものですが、古代地中海世界以来、ヨーロッパ 文化にとって肖像は非常に重要な意味を持ち続けていました。特に、古代 ローマ人にとって肖像は、社会的役割や宗教的な役割において特別な意味を 持っていました。つまり、肖像は現世的な目的を持つと同時に、来世的な機能 ももっていたのです。出品される作品は、みな一様に、ローマ市民が、 解放奴隷が、政治家が、皇帝が、そして素朴な初期キリスト教徒たちが、 この世界に残した慎ましやかな「生きた証」ばかりです。 第1章「肖像の誕生」では、ヘレニズム彫刻の伝統と、イタリア半島の エトルリア文化の伝統を比較し、共和政ローマ時代の写実的肖像彫刻のルーツ とその変遷を見ます。第2章「肖像とアイデンティティ」では、単に人物の 容貌を示すだけではなく、生前の職業や業績を同時に表した作品を見て ゆきます。生きているときに何をなしたか、という点に大いにこだわりをもつ ローマ人らしく、素朴な表現の中にも、人物の誇りが垣間見えてきます。 第3章「特徴的髪型をした女性の肖像:古代の装い」では、帝政ローマの皇族 や貴婦人たちの手の込んだ髪型を見ることができます。また香料を入れるため のガラス容器や鏡、そして美容に気を使う婦人たちの道具類なども展示します。 第4章「肖像と永遠」では、人間と神々を対比させようとした作品を見る ことができます。神々の永遠性により近づけた、理想化された肖像を見ることが できます。第5章「帝国の象徴」では、カエサルに始まり、アウグストゥス、 トラヤヌス、カラカラなど、ローマ帝国の頂点に立つ人物たちの姿を概観します。 第6章「古代肖像の終焉」では、紀元前3世紀以来脈々と展開してきた古代 ローマ肖像の最後の様相を見ます。それらはローマ的現世へのこだわりから キリスト教的来世への希望へと価値観が大きく変わったことを暗示しています。 古代宗教における人間の神格化という概念が完全に払拭され、素朴な心の姿が そのまま表されています。
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