トップページ > ラグビー > 2020年09月07日 > h7S/UriW0

書き込み順位&時間帯一覧

3 位/145 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数0040000000000000000000004



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
名無し for all, all for 名無し (ワッチョイ 4b6c-n8ne [153.242.67.12])
ラグビー日本代表 Part392

書き込みレス一覧

ラグビー日本代表 Part392
518 :名無し for all, all for 名無し (ワッチョイ 4b6c-n8ne [153.242.67.12])[sage]:2020/09/07(月) 02:04:47.19 ID:h7S/UriW0
■知られざる世界権力の仕組み 寄生体シンジケートが富と権力を握る 1992年出版(著者)ユースタス・マリンズ■

第八章 慈善事業を隠れ蓑にするペテン財団の全犯歴

P303 ◇フロイトの人間操作主義を利用したタヴィストック研究所◇

汎ヨーロッパ同盟はクーデンホーフ・カレルギー伯爵が創立〔1922年〕し、ロスチャイルドとウォーバーグの資金援助を受けたが、
その目的はヨーロッパに寡頭支配体制を回復することであった。

この目標を達成するためには、寡頭支配に真っ向から対立する強力な共和(きょうわ)主義の潮流の勢いを去勢し打破することが必要だった。
共和(きょうわ)主義の潮流は14世紀のルネッサンスにはじまる。
ルネッサンスは、人間の精神の自由を重んずることによって、人間の歴史においてもっとも偉大な文化を噴出させた。

精神の自由を重んずる個人主義は、ただちに民族主義となって表れた。
民族主義が持つ共和的精神は、もっぱら人民の生活に対する封建領主の恣意的な世襲の支配権および独裁権に止めを刺すことに振り向けられた。
そして、共和主義の精神は合衆国憲法のなかにいとも高らかに謳いあげられるにいたる。合衆国憲法は反乱の結果だったのだ。

現在、ヨーロッパを支配する一族は1694年にイングランド銀行に特許状を付与したオレンジ公ウィリアムの直系子孫たちである。
民族主義と個人主義とを破壊しようという運動は、これまで彼らの巣窟である英国から指令を受けてきた。
それが具体的なかたちとなって表れたのが共産主義運動だった。

世界権力(秩序)は寡頭制による世界支配を回復するため、両次の世界大戦を計画し実行した。
その世界支配、ボルシェヴィキ体制とか国際連盟とか国際連合とかさまざまに呼ばれるが、世界権力(秩序)と呼ばれることだけはけっしてない。
このような世界的な運動が英国のコントロール下にあることは、アメリカの財団が奉じるイデオロギーのなかにははっきりと示されている。
そして、このイデオロギーを創作したのがロンドンにあるタヴィストック人間関係研究所なのである。

1921年、タヴィストック侯爵の第11代ベッドフォード公爵は、第一次世界大戦から生還した英国兵士たちの戦争神経症の症状を研究する研究施設として、建物一棟を寄贈した。
この研究所の目的は、ストレスにさらされた人間の「臨界点」がどこなのかを理論的に見極めることにあった。
研究は英国陸軍心理戦争局の管理下に置かれ、サー・ジョン・ローリングズ・リースの指揮に委ねられた。

タヴィストック研究所がロンドンに本部を置いた理由は、タヴィストック研究所の予言者となったジグムンド・フロイト〔1856〜1939。オーストリア生まれ〕
が1938年に英国に亡命した際、ロンドンのメアズフィールド・ガーデンズに居を構えたからである。
フロイトの屋敷はボナパルト王女から提供されたものだった。
ラグビー日本代表 Part392
519 :名無し for all, all for 名無し (ワッチョイ 4b6c-n8ne [153.242.67.12])[sage]:2020/09/07(月) 02:05:13.96 ID:h7S/UriW0
タヴィストック研究所は、人間を「操作する」というフロイト主義路線にそって行動主義科学における先駆的研究を行ったが、
このために財団イデオロギーの世界的中枢としてのタヴィストック研究所の地位は揺るぎないものとなった。

タヴィストック研究所の組織網は、今やロンドンのサセックス大学から合衆国へと伸び、スタンフォード研究所〔1965年設立〕やエサレン研究所〔1962年設立〕、
MIT、ハドソン研究所を網羅、国務省職員の訓練機関となっているジョージタウン大学戦略国際研究センターや合衆国空軍情報部、そしてランド研究所やマイター財団にまで広がっている。
財団に働く職員たちは、以上挙げたようなタヴィストックの支配下にある研究施設で、一度もしくはそれ以上の「教化」〔洗脳〕を受けるよう求められる。

そして、モンペルラン協会や三極委員会(TC)、ディッチレー財団、ローマクラブなどの秘密結社網がタヴィストックの組織網に指示を伝えるためのパイプ役を果たす。
タヴィストック研究所は大衆洗脳技法を開発した。
これが初めて実験的に使用されたのは、朝鮮戦争におけるアメリカ人捕虜に対してだった。

この大衆洗脳技法を群衆操作方法として用いるさまざまな実験がアメリカ国民に対して広範囲に行われてきた。
このような実験はトポロジー心理学(位相心理学)を通して個人の行動を少しずつ変えていくことにより、人間の自由をこっそりと目立たずに不法に踏みにじる行為である。

1932年、ドイツからの難民クルト・レディン〔1890〜1947年。心理学者、1927年ベルリン大学教員外教授、1932年教授、1935年アイオワ大学教授兼児童愛育研究所所員、
1945年MITグループ・ダイナミックス研究室主任〕がタヴィストック研究所の指導者となった。

クルト・レディンは1933年「難民」として合衆国にやってきた。
以後ドッとやってくることになる潜入工作員たちの第一波であった。
そしてレヴィンはハーバード心理学診療所を設立した。
この機関がアメリカ国民がドイツに反感を持つように仕向け、合衆国を第二次世界大戦へと巻き込む情報宣伝工作のシナリオを作成したのである。

1938年、ルーズヴェルトはチャーチルと秘密協定を結んだ。
この協定は実質的に合衆国の主権を英国に譲り渡すものであった。
というのも、この協定によって、英国の特殊作戦執行部(SOE)が合衆国の政策を思いどおりに支配してよいという合意がなされたからである。

この合意内容を実行するためにルーズヴェルトは、SOEとSIS(秘密情報部)の指導のもとにOSS(戦略事務局。後のGHQで、いまのCIA)を設立するに先だって、
ドノヴァンをロンドンに派遣し〔1940年6月〕、教化してもらうことにしたのである。
OSSの計画は常に、その後のCIAもなんら変わりはないが、徹頭徹尾、タヴィストック研究所が作成した指針にもとづいていたのである。
ラグビー日本代表 Part392
520 :名無し for all, all for 名無し (ワッチョイ 4b6c-n8ne [153.242.67.12])[sage]:2020/09/07(月) 02:05:55.31 ID:h7S/UriW0
P308 ◇タヴィストック研究所の基本戦略―洗脳と大衆心理操作◇

タヴィストック研究所は「一般大衆爆撃」〔戦略爆撃調査、プルーデンシャル爆撃調査ともいう。
戦争で非戦闘員・一般市民を空爆によって大量虐殺し、敵国の戦意崩壊度を調査する〕なるものを発明した。
それを、ルーズヴェルトとチャーチルとが純粋に集団テロの臨床実験として実行した。

爆撃を行いながら、「制御された実験条件」のもとで「実験動物たち」がどのように反応するかを観察し、
その結果を記録し続けたのである〔こうした実験としてドイツのドレスデン爆撃や東京空襲が行われた〕。

タヴィストック研究所やアメリカの財団が用いるさまざまな手法は、たった一つの目標しか持っていない。
すなわち、個人の心理的な強靭さを破壊し、無力な状態に陥れて、世界権力の独裁者たちに対抗できなくすることである。

家族というまとまりを破壊し、家族によって植えつけられる宗教・道義心・愛国心・性行為などの
基本的なきまりを破壊するのに役立つあらゆる手法を、タヴィストックの科学者たちは群衆支配の武器として用いるのである。

フロイト派の精神療法で用いられる手法は、治療を受ける患者の人格に動揺を与えて、患者に永遠の精神疾患を引き起こす。
さらに犠牲者は、「人的相互作用という新しい儀式を確立する」ように強く勧められる。
つまり、刹那的なセックスの出会いを思う存分に楽しめ、というわけである。

しかし、実はこうした儀式こそが、参加者たちに自分の生活のなかの安定した人間関係が欠如した連帯喪失状態にさせて、
そしてついには家族を築き、守っていく能力を破壊するのである。
タヴィストック研究所が合衆国のなかで絶大な勢力となってきたので、だれでもタヴィストックもしくはその下部機関の一つで行動科学の訓練を受けていないかぎり、
どんな分野に進もうと頭角を現すことができないという社会になった。

ヘンリー・キッシンジャーは、ドイツからの難民としてロンドンの連合国派遣軍最高司令部(SHAEF)にいたとき、サー・ジョン・ローリングズ・リーズの生徒となった。
もしそうでなかったら、キッシンジャーのめざましい権力への上昇ぶりは説明がつかない。
ラグビー日本代表 Part392
521 :名無し for all, all for 名無し (ワッチョイ 4b6c-n8ne [153.242.67.12])[sage]:2020/09/07(月) 02:06:21.91 ID:h7S/UriW0
タヴィストック研究所の心理学者ピーター・ボーン博士が、合衆国大統領候補としてジミー・カーターを採用することにしたのはほかでもない。
ただ単にカーターがアナポリスの海軍兵学校でハイマン・リックオーヴァー提督の管理する集中洗脳訓練を受講済みだったからである。

1956年、ポール・メロンの「旧自治領財団」〔旧自治領とはヴェージニア州のこと〕はタヴィストックに9万7000ドルを寄付し、以後3年のあいだ1年に1万2000ドルずつ寄付した。
旧自治領財団は「アンナ・フロイト財団」にも1年に8000ドルずつ寄付した。

タヴィストックはロスチャイルドの故郷のフランクフルトで二つの研究所を運営している。
フランクフルト社会研究所〔マックス・ホルクハイマー、エーリッヒ・フロム、テオドール・アドルノ、ヘルベルト・マルクーゼらのいわゆるフランクフルト学派の拠点。
1933年ジュネーブへ移転、1934年コロンビア大学へ移転、1950年フランクフルトに再建〕とジグムンド・フロイト研究所である。

合衆国における強制的人種差別廃止の「実験」は、ロナルド・リッパ―によって組織された。
リッパ―トはOSSの出身で、アメリカ・ユダヤ人会議に所属し、地域関係委員会で児童訓練部長を務めた。
この計画は、自分のアイデンティティーや人種的伝統をよく知っているという個人の感覚の破壊を意図したものだった。

タヴィストックはスタンフォード研究所(SRI)を通して全米教育協会(NEA)〔合衆国最大の教員組織〕を支配した。
全米訓練実験所「NEA所属」の社会調査研究所〔クルト・レディンが創立した〕は、民間および政府の指導的幹部たちを洗脳している。

タヴィストック研究所の影響力はあまりにも強大で、合衆国の宇宙計画全体が9年間もスクラップされた。
その結果として、旧ソ連は追いつくことができたのである。

宇宙計画の中断を要求したのは、アナトール・ラッパポート博士が執筆した論文〔1966年、タヴィストック研究所の機関誌『人間関係ジャーナル』に発表、博士は同誌編集長〕だったが、
政府がさっさと発表したので、NASA(アメリカ航空宇宙局)の関係者たちは、だれもがまったく狐につままれたような気分にさせられた。
もう一つのタヴィストック研究所の有名な工作の結果がペンシルベニア大学ウォートン経済校である。


P311 ◇タヴィストック工作に不可欠の武器―麻薬◇


※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。