- 弱小県の高校ラグビーを語るスレ3 [転載禁止]©2ch.net
940 :vs浜工[]:2017/05/31(水) 14:46:49.34 ID:ter1qPqn - 技術的な話ばかりで申し訳ないです。
ペース上げていきますので、付いてきてください。 岩野さんの観察眼が優れていることを示す、エピソードにこんなものがあった。 中国大会の3位決定戦 関西戦のことだ。 彼が関西の初戦を視察しに行ったところ、ラインアウトの際に、関西の選手は小さな声で「いつもの」と言い意思疎通を取ることを見逃さなかった。 「いつもの」と言ったときには必ず、前方のジャンパーが後ろに3歩下がって、飛び上がることに、気づいた。 実際に対戦したときには「いつもの」が3回起きた。私たちは「しめた」とばかりに先読みし、 競り合った。 ところがキレイにタイミングをずらされ、あえなく失敗に終わった。私たちに、つける薬などなかったのだ。 皆が色々な作戦や試合を学ぼうとも、一切その恩恵とは無縁な者がいた。 そう猪迫だ。彼は、この日も顧問と二人で駆けつけ、ぽっちゃり気味な肉体を必死にふるわせながらウォーターボーイに精を出していた。 その傍には、もう一人の少年がいた。 その名は、「類」と呼ぶ。喋り方があのモデルの栗原類に似ていることから類と呼ばれるようになった。彼も倉吉東の選手だ。 しかし、彼は、究極のダメキャラだった。 ただのダメキャラならまだしも、場の空気を読めない行動や発言で、いつも自分の首を絞めていくことになる。 こんなことがあった。 中国大会は、私たちは合同チームで出ているため、他校の生徒と寝泊まりを同じにしていた。 夕食後のミーティングで事件は起きた。 類は、学校だろうか、何処だろうか、かまわず居眠りしている。 それを見かねた監督が類を起こしにきた。 監督「類、起きろ。おまえも試合に出るかもしれないんだからな。」 類「はいー!?僕は出れませんよ。ていうか、出たくもありませんよ!!」 選手一同「・・・シーン」 場は凍りついた。 周囲からの鋭い視線が、類には刺さっていた。 他校の選手の中には、気性が荒い人もいる。 みんながみんな自チームのように優しいわけではない。 次の日から、類には地獄が待っていた。 タックル練習では、他校の生徒は明らかに類を潰しにきていた。 これが”かわいがり”というやつか。 この言葉が脳裏に浮かんで間も無く、類は体調不良を訴え、休むことになった。 私たちは知っている。類はちゃっかり仮病をしていることを。 類は遅刻の常習者だ。指導者に叱られている光景はよく見られる。 練習に2時間遅れでやってきては、平気な顔でグラウンドを一周し、戻ってきたときには、足をつり地面に横たわっている、そして最終的に見学に落ち着く。 私はコントのようで、笑ってしまい、なぜだか類を許すことができた。 もちろん、中には許せない人たちもいる。 元々、類はサッカー部に所属していた。そこでも持ち前の性格が仇となり敵を作ってしまった。そして、退部の一番の原因は「ボールが怖かったから」らしいのだ。 サッカーボールが怖いやつが、ラグビー部に入ると聞くと、誰もが驚くだろう。 しかし、彼の本心では、ラグビーに並々ならぬ憧れがあるのだ。 類は、幼い時から、おじいちゃん子だった。 類のおじいちゃんは、まだ大阪の公立高校が花園に出場している時代のスターだった。 身長157センチと小柄ながら、体重70キロの筋骨隆々のスクラムハーフだった、そんなおじいちゃんを類は誇りに思っていた。 根は、温厚で心の優しい男なのだ。 しかし、現実は甘くなかった。 類のプレースタイルはこう揶揄された。 「類の前には必ず道ができる」と。 これは、すべての道はローマに通ず、などというかっこいいものではない。 類は、タックルすることを避けるため、あえて ポジショニングミスをしたかのように見せかけ、スペースを作るからだ。 彼の扱いには、首脳陣は頭を悩ませた。 多く見積もって体重60キロ程しかない体は、頼りなかった。 しかし、絶不調な日もあれば、逆に好調すぎる日もあるから、また不思議なのだ。 類は急に、とてつもないパワーを出したりするのだ。試合前には、気合いが入り過ぎて、大声を上げ、味方を鼓舞し、時より相手を挑発したりすることまであるのだ。 絶不調な日というのは、ボール恐怖症が再発するのはマシな方で、手に負えないのは練習中にしゃがみ込んでしまうときだ。 コートの真ん中に座った時には、どうしようもできない。話しかけても、上の空で、反応がなく、薬中を疑った程だった。
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