- 北アルプス83
23 :weston (ブーイモ MMa6-L7cc)[sage]:2020/03/25(水) 21:16:30.31 ID:rb3xZZQAM - 戦前のヒマラヤ登攀は、ほとんどが富裕層自身によるものか、金持ちに援助された
登山家たちのプライベートな挑戦でした。 その中で印象的な挑戦は1939年のヴィースナーによるものでした。 彼はドレースデン生まれのドイツ人ですが、のちアメリカに帰化し、 そこである冒険好きの金持ちに援助を受けて、いっしょにK2に登ることに なりました。 この挑戦は戦前のものとしては健闘し、8000メートルののちのメスナーの 最終ビバーク地点まで到達していました。しかし、それ以上は進めず、 7600m以上の死線ゾーンで7日間も酸素なしで健闘した末に、 高地キャンプに引き返しました。
|
- 北アルプス83
24 :weston (ブーイモ MMa6-L7cc)[sage]:2020/03/25(水) 21:16:59.17 ID:rb3xZZQAM - しかし、そこで発見したのは7日前に分かれた金持ち冒険家ヴォルフの
ひからびきった顔でした。なんと、食料などを補給するはずの後続隊が 来なかったというのです。 あわてて、ヴィースナーは衰弱したヴォルフをそこに残し、さらに下のキャンプに下ります。 しかし、そこもすでに撤収されていて、食料や寝袋さえない。 彼らは半死半生になりながら、次々と高地キャンプを下り、 結局ベースキャンプ近くまで下ったところで、 「救助隊」と出くわしました。 つまり、7日間もデスゾーンから帰ってこなかった彼らを、シェルパたちは 死んだものと考えて、下山してしまっていたのです。 事情を聞いた救助隊は、7600mキャンプに残ったヴォルフの救出に向かいます。 一度はそこで14日間も生存していた彼との接触に成功するのですが、 その後救助隊自体が行方不明になってしまいました。
|
- 北アルプス83
25 :weston (ブーイモ MMa6-L7cc)[sage]:2020/03/25(水) 21:17:39.41 ID:rb3xZZQAM - 結局金持ち冒険家ヴォルフの死体とキャンプは、その14年後、戦後の
1953年になって再度試みられたアメリカ隊も発見することができませんでした。 戦後の1950年代、1960年代には、ヒマラヤの8000m級の山々は 各国が競って行った大規模な登山作戦によって大部分が、 征服されてしまいます。 しかし、その後は、いったん登頂そのものが行われてしまいますと、 今度は登頂の成否ではなく、どのルートをどのような手段で登ったかを 競う、古典式登山の時代がふたたびやってきたのです。 メスナーの活躍もこの流れに沿うものでした。
|