- 貧乏ながら登山を始めるスレ123
425 :底名無し沼さん[sage]:2020/03/25(水) 21:58:07.55 ID:ZuMEtAu5 - この辺はまあ、昔からある富士講、大山講、御嶽講などといっしょではないですか?
講を組んだのは、江戸の庶民、たいがいは商人の使用人たちです。 彼らはしょっちゅう登山に行く金も暇もないが、講を組んで、順番が来たら、 数年に一回、あるいは一生に一度、富士山などに登っていたのです。 このとき以外は富士塚などに登ったり、講仲間の話を聞くなりで満足していた。 これらは、いわゆる山のプロ、修験者たちとは異なるわけです。 修験者は有名な山の麓に住み、日常的に山に登って修行する。 あるいは和歌山などでは山と海が接近しているから、 都市から週末だけ山に来て登る。彼らとて専門の僧侶ではないが、 パートタイムの山僧侶ですね。 船乗りや中規模商人が多かったと言われています。 今でいえば、プロの登山家に近い。 現在の登山、サラリーマン登山はだから前者の講に近いわけです。 だから、やっぱりハレ登山は必要でしょう。 富士塚だけ登っていて、富士をめざさないというのは変ですからね。 ま、富士はハレのひとつであって、どこがハレ登山かは 人によって違うと思いますが。 登山というのは、やはり必要があって登るのではなく、 (八王子の農民が炭を売るために山を越えて江戸に来るのとはちがう) スポーツ的なもの、レジャー的なもの、あるいは宗教的なものですから、 やはり祝祭的なものは必要だと思います。
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426 :底名無し沼さん[sage]:2020/03/25(水) 22:10:10.38 ID:ZuMEtAu5 - 私は以前、フル富士山を試みて、五合目まで来たとき、バスや車で来た登山者たちが、
まっさらな登山靴や新調したモンベルのレインウェアなどを着て、はしゃいでいるのを見て、 軽蔑したわけですが、そのときは私自身はほとんどろくに登山経験がなかった。 だから、分からなかったけど、彼らは日常各地の里山を登っていて、富士山に登るというので、 興奮して、登山用品も新調してはしゃいでいたのですね。ハレだったわけです。 私自身も里山登山をたくさんやるようになって、いつもとはちがう有名な山に登るときの うかれた気分が、今となってはわかるような気もするし、バカにして悪かったなとは思います。
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427 :底名無し沼さん[sage]:2020/03/25(水) 22:13:59.46 ID:ZuMEtAu5 - だから、修験道と富士講というのが、現代日本の登山を考えるときにも、参考になる
歴史的な社会行動だと思いますね。やっぱり日本人の行動パターンはそれら過去の行動にも 影響されていると。
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429 :底名無し沼さん[sage]:2020/03/25(水) 22:40:21.55 ID:ZuMEtAu5 - 富士山について付け加えますと、富士という山は、実際登るよりも見てきれいな山です。
けっこう東京のどこからでも見えますし、案外近くに見えるときもある。 だから、江戸からも日常的に拝みやすかった。 また、富士講の人たちは、歩いて富士に行ったわけです。10日くらいかけて。 近づいていくうちにも、いろんなところから富士は見えた。きれかったと思います。 この過程も旅行として大したんだし。 段々に富士に近づいていって、その雄姿を何度も見ながら、いよいよあれに 登るんだと興奮を高めていく。富嶽八十八景の絵のままですね。 だから、実際に富士に登る行為よりも、その過程がすばらしいものだった。 今より交通機関が発達していないから、なかなか行けないから、 いつかあの富士に登るぞと考えるだけでも、江戸での奉公のつらい日常を 耐えることができたのでしょう。 富士講の原動力、その宗教化の原点はこういうものだったと思います。 富士の場合、登山行為そのものより、その過程がより魅力的ですね。 今の人は新幹線ですっと行っちゃうから、この過程の魅力がなかなかわからない。
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