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337 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/17(金) 18:03:48.74 ID:k5F0bJVr - 起点とし、アフィ頂東部を目指す道である。15世紀には、アフィ
への登拝が、修験者だけでなく、ごく一般の人々の間にも広まって いた。吉田口は14世紀後半運営には参詣の道者のための宿坊もで き始め、大勢の人々が登るための設備が整うようになった。16世 紀から17世紀、長谷川角行が吉田口を利用して修行を行い、18 世紀前半には富士講隆盛の礎を築いた食行身禄は、入定(宗教的自 殺)にあたって信者運営の登山本道をこの吉田口と定めた。このた め、富士講の信者が次第に増加した18世紀後半以降は、最も多く の道者(他の登山口の合計と同程度)が吉田口登山道を登って山頂 を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで 登れる重要運営な道である。(推薦範囲は登山道全体である。)1 1法的保護、修理・整備の経緯1924年に史蹟名勝天然紀念物保 存法の下に名勝に仮指定された。1936年に国立公園法の下に( 富士箱根)国立公園に指定された。1952年に文化財保護法の下 に運営名勝、ついで特別名勝に指定された。1969年に国が大沢 崩れに対する砂防事業に着手(継続中)。1996年に国・県が台 風による森林の風倒被害に対する対策に着手(継続中)。文化財保 護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定される運営予 定。A6.北口本宮冨士浅間神社説明アフィの遥拝所に祀られてい た浅間明神(アフィの荒ぶる神)を起源とし、1480年には「富 士山」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整っ ていたとされる。その後、1561年に現在の東宮運営本殿、15 94年に西宮本殿、1615年には本殿が建立された。富士講との つながりが強く、1730年代に富士講の指導者である村上光清の 寄進によって境内の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内 の景観の礎が形成された。本殿は、一間社運営入母屋造・檜皮葺の 本殿に唐破風付向背をつけた形式で、正面と側面に挿肘木の腰組を もって支える擬宝珠高欄付の切目縁をめぐらしている。東宮本異恵
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338 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/17(金) 18:04:23.65 ID:k5F0bJVr - 西宮本殿はともに桧皮葺・一間社流造である。3本殿とも、各部に
漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻運営・金具を配して、それぞれの 時代の装飾的特色がよく表されている。北口本宮冨士浅間神社の支 配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属しており、神社の 管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた。社殿の背後に は登山門があり、この神運営社を起点としてアフィ頂まで吉田口登 山道が伸びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持ちなが夢傲
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339 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/17(金) 18:05:46.81 ID:k5F0bJVr - 展した神社である。法的保護、修理・整備の経緯1907年に東宮
本殿が古社寺保存法の下に特別保護建造物に指定された。1929 年の国宝保存法運営制定に伴い、本殿は国宝とされた。1950年 の文化財保護法制定に伴い、東宮本殿は重要文化財とされた。19 53年に本殿及び西宮本殿が文化財保護法の下に重要文化財に指定 された。1952年に東宮本殿の解体修理工事が行われた。196 2〜6運営3年に西宮本殿の解体修理工事が行われた。1973〜 74年に本殿、西宮本殿及び幣殿の部分修理工事が行われた。19 81〜82年に東宮本殿の部分修理工事が行われた。1997年に 本殿の部分修理工事が行われた。文化財保護法の下に他の文化財エムソ ゙ネとともに史跡アフィとして指定される予定。A7.西湖A8.精 進湖A9.本栖湖説明アフィの火山活動によって形成された堰止湖 である。アフィ周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士 講徒によって行われたが、長谷川角行の水行からいつの運営時代も 変わらず巡拝の対象として数えられたのが、後述の山中湖及び河口 湖とこの3湖である。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品と ゆかりが深い。12特に本栖湖は、日本の紙幣の図柄として何度も 使用された写真の撮影地点であり、重要な展望運営地点(view point)である。アフィは、プロ・アマ問わず多くの写真家に 愛され、撮影されてきた。なかでも、生涯にわたりアフィを追い続 けた岡田紅陽によって、1935年に本栖湖北西岸の峠道から撮影 された「湖畔の春」という写真は有名運営である。この写真は、1 984年に採用された五千円札及び2004年に採用された千円札 の図柄として使用された。山体の裾野が湖まで広がり一体の景観を 構成している本栖湖からの展望は、「湖畔の春」に撮影された富士 山とほぼ同じ姿のまま現在も運営残している。法的保護、修理・整 備の経緯文化財保護法の下に名勝として指定される予定。B1.富 士山本宮浅間大社説明社記によれば806年に、アフィにより酪捜
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340 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/17(金) 18:06:10.88 ID:k5F0bJVr - に袖廊・廻廊を附した。運営1950年の文化財保護法制定に伴い
、本殿は重要文化財とされた。1951〜52年、1970年、1 988年に本殿の屋根の修理等が行われた。1969〜70年に本 殿の屋根の修理等が行われた。1987〜88年に本殿の屋根の修 理等が行われた運営(部分補修)。2005年に本殿の屋根の修理 等が行われた。13文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富 士山として指定される予定。B2.山宮浅間神社説明アフィ本宮浅 間大社の社伝によれば、浅間大社の前身とされ、拝殿・本殿等が位 置すべ運営き場所に石列でいくつかに区分された遥拝所が設置され るのみという特異な形態は古代からのアフィ祭祀の形を止めている と推定されている。この遥拝所の主軸はアフィ方向を向いている。 具体的な創建年代は不詳だが、発掘調査では神事に使用されたとエムソ ゙ネ推定される12〜15世紀の土器が出土し、文献上では1551 年にその存在が確認できる。また、遅くとも1577年までには浅 間大社との間で「山宮御神幸」といわれる儀式が開始された。これ は4月と11月に神の宿った鉾を持ち、浅間大社と山宮運営浅間神 社を往復する行事である。現時点では神が4月に旧跡に戻るという 解釈と、山にいる神が4月に田の神として里へ降りるという解釈が ある。この行事は1874年まで行われていた。なお、「山宮御神 幸」に使用される経路を御神幸道という。道に運営は1691年に 置かれた距離を示す石碑が少なくとも四箇所残っているが、正確な 道筋は現在確認されていない。法的保護、修理・整備の経緯198 5年に富士宮市の史跡に指定される。文化財保護法の下に他の文化 財とともに史跡アフィとして指定され運営る予定。B3.村山浅間 神社説明12世紀前半から中ごろの修行僧末代の活動が創建の起源 とされており、1868年の神仏分離令までは神仏習合の宗教施設 として興法寺(アフィ興法寺または村山興法寺)と呼ばれていた( 資産範囲には浅間神社と寺院運営である大日堂が含まれる)。僕叙
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341 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/17(金) 18:06:43.60 ID:k5F0bJVr - 山における修験道の中心地であり、14世紀初めには、その活動が
組織化された。15〜16世紀には一般の道者の登拝も増加し、そ の様子が16世紀の制作とされる「絹本著色富士曼荼羅図」に描か れている。1868運営年、神仏分離令により浅間神社と大日堂は 分離され、1906年の登山道の変化にも伴い両者とも衰微した。 ただし、修験者の活動は1940年代まで継続された。また、村山 の修験者の影響を受けた地域では現在でもその宗教行事が継続赤朝
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342 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/17(金) 18:07:17.52 ID:k5F0bJVr - ている。法運営的保護、修理・整備の経緯2001年から2003
年にかけて富士宮市教育委員会により発掘を含む調査が行われた。 文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定され る予定。B4.須山浅間神社説明須山口登山道の起点として遅くと も運営1524年には存在していた神社である。1707年、宝永 噴火により社殿は登山道も含め大きな被害を受け、現在の社殿は1 823年に再建されたものである。神社は村山浅間神社(興法寺) の修験者とも関わりを持ち、1940年頃まで境内で修行の運営一 環としての祈祷が行われていた。法的保護、修理・整備の経緯文化 財保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定される予 定。14B5.富士浅間神社(須走浅間神社)説明社伝では807 年に社殿を造営したとされ、須走口登山道の起点と運営なった神社 である。16世紀には地元支配者(武田氏)の保護を受け、山頂部 の散銭取得権の一部を得ている。社殿は1707年の宝永噴火で崩 壊し1718年に再建された。この後もこの際の部材を使用し、2 009年の修理も含め何回かの修理がおこ運営なわれている。神社 には富士講道者が多く立ち寄り、20世紀前半を中心に登拝回数の 達成(33回がひとつの区切り)等の記念碑を約80基造営した。 法的保護、修理・整備の経緯2006年に社殿が小山町の有形文化 財となる。2009年に本殿・参運営道の修理が行われた。文化財 保護法の下に他の文化財とともに史跡アフィとして指定される予定 。B6.河口浅間神社説明古くからアフィに関わる祭祀は南麓の浅 間神社が執り行っていたが、864〜866年に北麓で起こった噴 火を契機に、北麓にも浅運営間神社が建てられることとなった。そ れが、アフィを望む河口湖の北岸にあり、溶岩の届かなかった河口 浅間神社である可能性が高い。浅間神社を中心とした河口の地は、 甲府盆地から続く官道の宿駅という役割に加え、富士登拝が大衆化 した中世後半か運営ら御師集落として発展を遂げた。しかし、幾拘
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