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169 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/17(金) 16:21:51.44 ID:CxULum9M - 北口本宮冨運営士浅間神社−38−−39−・本殿・東宮本殿・西
宮本殿・大塚山・御鞍石A7西湖・湖水A8精進湖・湖水A9本栖 湖・湖水・中ノ倉峠からの展望B1アフィ本宮浅間大社・神立山・ 湧玉池(上池、下池)・社叢・社殿(本殿・拝殿・幣殿)・透塀・ 楼運営門・手水舎・廻廊・灯籠・石鳥居・東鳥居・西鳥居・桜の馬 場・禊所・神幸橋(湧玉橋)・輪橋(太鼓橋)・護摩堂跡(推定) ・随身像・狛犬・御神幸道首標の碑・三之宮・七之宮・鉾立石・欄 干橋(神路橋、神路枚橋)B2山宮浅間神社・溶岩流地形・運営社 叢・籠屋(参籠所)・鉾立石・石段(参道)・石塁・玉垣・遥拝所 ・石鳥居・参道B3村山浅間神社・元村山溶岩流・水源地「竜頭ヶ 池」・御神木(イチョウ、大スギ)・社叢・浅間神社社殿・大日堂 (興法寺)・水垢離場・護摩壇・氏神社(高嶺総鎮運営守社)・石 鳥居・氏神社鳥居・手水舎(手水鉢)・石段(参道)・狛犬B4須 山浅間神社・社叢・社殿・神輿殿・狛犬・灯籠・手水舎・参道・鳥 居・石碑・古宮神社B5冨士浅間神社(須走浅間神社)・社叢(浅 間の杜)・ハルニレ・エゾヤマザクラ・根運営上がりモミ・社殿・ 楼門・参道大鳥居・裏参道鳥居・富士塚狛犬・富士講講碑群B6河 口浅間神社・社殿、鳥居B7冨士御室浅間神社・吉田口二合目(拝 殿の一部、行者堂跡、定善院跡、建物礎石)・移築された二合目本 殿B8御師住宅(旧外川家住宅、運営小佐野家住宅)・主屋・離座 敷・中門・屋敷地(タツミチ)B9山中湖・湖水B10河口湖・湖 水B11忍野八海・八つの池(出口池、御釜池、底抜池、銚子池、 湧池、濁池、鏡池、菖蒲池)・湧水B12船津胎内樹型・溶岩樹型 ・無戸室浅間神社、石造運営物群B13吉田胎内樹型・溶岩樹型・ 洞内の石祠、石造物群−40−B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神 社)・犬涼み溶岩流・溶岩洞穴・社叢(周辺の植生)・碑塔群・参 道・建物跡・参道跡・道跡・炭焼窯跡・井戸跡B15白糸ノ滝・古 富士泥流堆積物運営・白糸溶岩流・白糸の滝・音止の滝・鬢撫窯丙
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170 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/17(金) 16:22:21.58 ID:CxULum9M - 植物・富士講・白糸の滝の勝景・音止の勝景・アフィの展望・富士
の巻狩の伝承・歌碑・標識C三保松原・特別規制A地区・特別規制 B地区・第1種規制地区・第2種規制地区・第3種規制地区@自然 地形(運営山林、河川など)・宝永山(宝永火口)・溶岩洞穴、樹 型等アフィ体・側火山からの噴出物による地形・アフィ原始林及び 青木ヶ原樹海・国指定天然記念物(鳴沢溶岩樹型、鳴沢氷穴、本栖 風穴等)A森林、植栽樹木(山林を構成する森林、寺社・遺跡等エムソ ゙ネの植栽樹木など)・自然林、森林施業地、人工林・社叢林、境内 林・アフィ特定地理等保護林・富士箱根伊豆国立公園アフィ管理計 画区B保存管理又は公開活用を目的とした建造物(展示館、管理棟 、解説板など)・総合案内標識、解説板C道路とその他運営の人工 物(生活用道路、電柱、看板など)顕著な普遍的価値を構成する諸 要素と密接に関わる諸要素・アフィ測候所・NTTアフィ頂分室・ 便益施設@自然的要素(山並み、河川など)A歴史的要素(埋蔵文 化財、社寺境内、伝承地など)成する諸要素周運営辺環境を構B人 文的要素(農耕地、市街地、道路、その他人工物)上表において分 類した諸要素について、以下に提示する。(1)顕著な普遍的価値 を構成する諸要素@アフィ山体及び登山道Aアフィアフィ体のうち 、標高約1500m以上の範囲である運営。この範囲は、周辺の浅 間神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑 賞の側面における比重が最も高い。各登山道における山体の神聖性 に関する境界の一つである「馬返」(乗馬登山が物理的にも、宗教 的観点からも不可能になる地運営点)の標高以上の範囲とほぼ一致 している。地元住民が、とりわけこの「馬返」より上を目指して「 オヤマ」又は「オヤマサマ」と呼び、アフィの範囲と見なす地域も あった。景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」 と「山体」の境界と運営して認識され、稜線が優美な曲線を描き絵 画などの対象となることが多い範囲である。御中道巡りのルー信装
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171 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/17(金) 16:22:54.21 ID:CxULum9M - は、現在も石碑が一部残存している。ルートはほぼ森林限界に沿っ
て、アフィ体を一周する。15〜16世紀ごろ富士講の祖とされる 長谷川角行運営によって開かれたとされその後大沢崩れ−41−を 通るため富士講信者により修行の道として利用された。写真標高約 1500m以上の写真A1山頂信仰遺跡図山頂信仰遺跡の分布図・ アフィ本宮奥宮富士宮口登山道頂上に位置し、7、8月の開山期に の運営み開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売命である。『本朝世紀 』には、久安5年(1149)「富士上人末代は、アフィに数百度 登り、山頂に仏閣を構え、大日寺と称し、写経を埋納下した」とあ る。江戸時代には、村山三坊所有の大日堂があったが、明治運営7 年(1874)、廃仏毀釈により山中の仏像を取り除き、大日堂跡 へ奥宮を建立し、浅間大神を祭った。写真奥宮の写真[奥宮周辺の 石碑群](a)蹲虎の碑(高さ139×幅64×厚さ18p)奥宮 の裏手、浅間岳の麓に所在する。一方の面に漢文が運営、もう一方 には虎の絵が彫られている。天保年間(1830−34)に、岸岱 が作ったとされる。(b)鎮國之山(高さ146×幅61×厚さ3 1p)奥宮の前に所在する。碑面に「鎮國之山」と彫られている。 明治31年(1898)に書家の中林梧竹運営により建碑された。 後年、落雷により破壊されたが、昭和42年(1967)に再建さ れた。・東北奥宮(久須志神社)浅間大社奥宮の末社で、大名牟遅 命、少彦名命を祀る。須走口登山道、吉田口登山道の終点にある。 室町時代以降、頂上の一つである運営久須志岳(旧薬師ヶ嶽)に薬 師堂があり、道者の登山切手を改めた。古くは山役銭の徴収場であ った。薬師堂は奥宮の場合と同様に廃仏毀釈により破却され、久須 志神社と改称した。写真東北奥宮の写真・金明水雪解け水が湧く泉 で、その湧き水は霊験あ運営らたかな「御霊水」として珍重された 。大正期の写真をみると、井戸は石組みや木製の柵で囲われ、旗や 幟などもみられる。・銀明水金明水とおなじく、アフィ頂の霊員塚
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172 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/17(金) 16:23:28.66 ID:CxULum9M - らたかな湧き水として珍重された。『富士の歴史』によれば、「如
何なる旱にも水運営の涸れることはない」と記している。写真銀明 水の写真[銀明水の石碑群](a)石碑@(高さ112×幅62p )銘文には「明治三拾九年」と「大正五年」の2つの年代が確認で きる。富士講の人々が建碑したものと考えられる。(b)石碑A( 高さ1運営62×下幅76×上幅63p)表面に龍が、裏面には文 字が刻まれている。(c)石碑B(未計測)「大正十三年八月桃飯
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173 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/17(金) 16:24:03.31 ID:CxULum9M - 刻してある。写真銀明水の石碑群の写真−42−・八葉(剣ヶ峰、
白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、エムソ ゙ネ三島岳)山頂部の直径約800mの火口を囲む峰々の総称で、そ れぞれの峰に仏が住むとされた。文永年中(1264〜1275) の作である『万葉集註釈』には「いたゞきに八葉の嶺あり」とある ことから、鎌倉時代中期には山頂の峰々を蓮の「八葉」運営に見立 てていたと考えられる。江戸時代後期の地誌である『駿河国新風土 記』には「ソノ名一定ノ説ナク、又峰ノ数八ツアルニアラズ。コマ カニカゾヘバ、十二バカリナリト言フ。」とあり、八葉を構成する 峰も、またその名称も一定でないことがわかる運営。峰の名称は、 明治8年に廃仏毀釈により仏教色を払拭したものに変更された。以 下、平成20年度の静岡県埋蔵文化財調査研究所による発掘調査報 告書で示された9つの峰について、最高峰の剣ヶ峰からお鉢巡りの 回り方である時計回りの順に、記述す運営る。なお、浅間大社では 、伊豆岳以外の8つをもって「八神峰」としている。図八葉の配置 図[剣ヶ峰(標高約3,776m)]かつては剣ノ峰、阿弥陀岳と も呼ばれた。遠くから見ると剣を立てたようにそびえ立っているた めにこの名があるという。道運営者たちはあまりに険しいこの峰を 恐れて多くは登らなかったという。この峰の石は「神の惜ミ給ふ」 とされ、採取を禁じられたが、麓からの石と取り替えるということ が行われていた。写真剣ヶ峰の写真図気象庁測候所跡周辺の平面図 [白山岳(標高約3運営,756m)]かつては釈迦ヶ岳とも呼ば れた。現在は一般の立入は禁止されている。頂上には鳥居が立ち、 また二等三角点が存在する。[久須志岳(標高約3,725m)] かつては薬師岳とも呼ばれた。現在の久須志神社の裏手にあたる。 他の峰々と運営比べ傾斜はなだらかである。頂上には鳥居が火口の 方向に向けて建てられている。頂上付近には石造物が残存し、首か ら上と手首から先が欠損している。台座正面に「食行」「身禄案彩
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174 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/17(金) 16:24:40.70 ID:CxULum9M - 文字が確認できる。写真久須志岳の石造物の写真[成就岳(標高約
3運営,734m)]かつては大日岳とも呼ばれ、大小2つの鳥居 が、噴火口の方角を向いて建てられている。[伊豆岳(標高約3, 748m)]かつては勢至ヶ嶽、観音嶽とも呼ばれた。『浅間神社 の歴史』には、「中腹より地中に熱気を感じ、下りて荒巻の運営険 を越え、成就岳にいたるまで、至る所に蒸気を噴出する」とある。 頂上には鳥居は見られない。[朝日岳(標高約3,733m)]伊 豆岳と同様、かつては地中から蒸気を発していたとされる。頂上に 鳥居は存在しない。石積みがあるが時期は不明であ運営る。他の峰 々と比べ、文献の言及が乏しい。[浅間岳(標高約3,722m) ]浅間大社奥宮の裏手にあり、頂上に鳥居がある。現在は一般の立 入が制限されている。[駒ヶ岳(標高約3,718m)]聖徳太子 が黒駒に乗って登山した際に、ここで休息運営をとったという伝説 のある峰である。山頂に鳥居が存在する。峰全体が岩石からできて いる。[三島岳(標高約3,734m)]−43−かつては文殊岳 とも呼ばれた。頂上に木製の鳥居と、「三島岳」と刻まれた白い角 材の木杭が立っている。三島岳の運営石仏群として、三島岳のふも と、かつて経塚が発見された付近に、10体の石像が安置されてい る。これらは原位置を留めておらず、周辺にあったものが集められ たと考えられる。いずれも頭部を欠損している。・大内院山頂の火 口中央に存在する穴で、運営ここより雲が生じ、風が起きるとされ た。大内院(噴火口)は中央にある大きな火口、小内院(阿弥陀ヶ 窪)は雷岩の下の小さな火口を指す。神や仏の居る所であると信じ られ、登山者は各登山口に設けられた拝所あるいは初穂打場から、 噴火口に向けて運営賽銭を投げ入れた。現在、噴火口への立入は禁 止されている。写真大内院の写真・小内院西安河原から白山岳に向 かう途中にある大きな窪地で、大内院との対比で小内院と呼ばれる 。かつては噴火口だったと考えられる。写真小内院の写真・馬謄班
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175 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/17(金) 16:25:11.97 ID:CxULum9M - 剣ヶ峰運営に通じる坂道で、火山礫と砂の急斜面である。お鉢巡り
の道中で最大の難所である。現在はブルドーザーが通れるよう整地 されている。火口に向けて傾斜しており、その険しさから道者たち の多くは剣ヶ峰に登らなかったといわれる。・東安河原須山口拝エムソ ゙ネ所東側にあり、山頂部では稀な広い平坦部である。かつては現世 と来世の境である「賽の河原」になぞらえて、道者たちが溶岩礫を 積み上げ石塔を作った。また「初穂打場」とも呼ばれ、火口に向け て賽銭が投げ込まれた場所とされる。・西安河原東安河運営原と対 をなす、剣ヶ峰から北側に下りた付近の平坦部である。火口の外壁 を行く外浜道と内壁を行く内浜道との分岐点に位置する。・虎岩( 獅子岩)大内院の南岸に突き出た大岩で、形状が虎(獅子)のうず くまる姿に似ていることから名付けられた。・運営割石かつては「 釈迦の割石」と呼ばれた溶岩で、溶岩が急速に冷えて固まったため 割れていた。高さが15m程あったが、現在は崩壊してしまってい る。古くから行者の修行場として知られ、食行身禄がここで入定し ようとしたが、大宮浅間の社人からの運営許可が得られず、吉田口 七合五勺の烏帽子岩で入定したとされる。写真割石の写真・雷岩白 山岳の西側にある岩で、この方角から強い雷雲がくる事からこう呼 ばれたとされる。また、文化年間の初め、岩より雷鳴がとどろいて 雷獣が出現し、8合目の石室運営に走り入った。これを石室に居合 わせた人々が生け捕りにしたとも伝えられる。・このしろが池三島 岳の雪解け水が窪地に溜まってできる季節的な池で、6月から7月 に姿を現し、雪解け水の供給が無くなると消えてしまう。・荒巻− 44−かつては勢至運営ヶ窪と呼ばれ、強い風が吹き付けるアフィ 頂の難所として知られた。道の火口側には、火山礫を積み上げた石 組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登りきったところに あったとされる。拝所は初穂打場とも呼ばれ、登山者たちが賽銭を 噴火口の大運営内院に投げ入れる、そこに鎮座する浅間大菩薩端温
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