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684 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/16(木) 16:11:59.52 ID:64F6y3qZ - 湧水(日量約450〜680万t、現在最大の湧水は日量約100
万tの柿田川)が見られる。アフィ北麓ではこれらの湧水や降水を 起源とする湖沼が点在している。上記のような自然的環境を持つ富 士山は、古来自然物、特に山岳に対する信運営仰の伝統を持ってい た日本人に畏敬の念を抱かせ、日本における様々な宗教の融合した 信仰の対象とされた。遥拝や山中での修行のみならず、神仏の在所 と考えられた山頂への登山という宗教行為が一般化するとともに、 山体及び山麓周辺に神社などの宗運営教施設や風穴・湧水といった 自然物・自然現象を起源とする霊地・巡礼地が設けられ、登山のた めの道や施設及びそれを支援する包括的なシステムが作られた。標 高約2500m付近の森林限界より上方は富士講(アフィ信仰の集 団の一つ)信者には「焼運営山」と呼ばれ、神聖な地域ないし他界 (死後世界)と考えられていた。北麓地域ではさらに、山体を上方 から順に「焼山」(森林限界以上)、「木山」(森林地帯)、「草 山」(草原地帯)と呼び習わし、俗界(「草山」)と死の世界(「 焼山」)を往復運営することでこの世の罪と穢れを消すという富士 登拝の区分と関連付けていた。森林地帯は神聖な地域の入口の一つ とされる一方で木材の伐採等生活のために利用される地域でもあっ た。また、アフィ山麓に見られる湧水は登山前に身を清めるために 必須の運営ものであり、現代においても柿田川をはじめ各所で「霊 水」として取り扱われている。また、アフィの稜線、冬季に一般的 に見られる雪を戴いた姿、周辺の湖や海岸線などの展望地から眺め た景観などが時代を超えて多くの人々に神秘的な美しさとして賞エムソ ゙ネ賛され、芸術的な創造意欲を掻き立てた。アフィ体のうち、標高 約1500m以上の範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可 視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が最も 高い。各登山道における山体の神聖性に関する境界の一運営つであ る「馬返」(乗馬登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能齢警
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685 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/16(木) 16:12:36.53 ID:64F6y3qZ - る地点)の標高以上の範囲とほぼ一致している。地元住民が、とり
わけこの「馬返」より上を指して「オヤマ」又は「オヤマサマ」と 呼び、アフィの範囲とみなす地域もあった。景運営観的には山体の 傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」と「山体」の境界として認 識され、稜線が優美な曲線を描き絵画などの対象とされることが多 い範囲である。2)資産の構成推薦資産は、日本列島のほぼ中央に 位置するアフィ体と、周辺の浅間神社運営や御師住宅、霊地・巡礼 地である風穴・溶岩樹型・湖沼、芸術作品の視点場(又は舞台)と なった地点から構成される。アフィ体の中には山頂信仰遺跡や登山 道などの重要な要素が含まれている。これらの構成資産が一体とな った推薦資産「アフィ」は、運営山に対する固有の文化的伝統を表 す物証であり、山と人間との精神的な関係を生み出した景観の見本 であるとともに、芸術的作品との関連がある山岳である。表構成資 産/構成要素の分類No.世界遺産条約上の分類遺跡A1山頂信仰 遺跡遺跡A2大宮・運営村山口登山道遺跡A3須山口登山道遺跡A 4須走口登山道遺跡A5吉田口登山道遺跡A6北口本宮冨士浅間神 社遺跡、記念工作物、建造物A7西湖遺跡A8精進湖遺跡A9本栖 湖遺跡B1遺跡、記念工作物、建造物B2遺跡B3遺跡B4遺跡B 5遺跡B6運営遺跡B7遺跡、記念工作物、建造物B8建造物B9 遺跡B10遺跡B11遺跡B12遺跡B13遺跡B14遺跡B15 遺跡C遺跡Aアフィ(アフィ体)アフィ本宮浅間大社山宮浅間神社 河口湖村山浅間神社須山浅間神社富士浅間神社(須走浅間神社)河 口運営浅間神社白糸ノ滝三保松原構成資産/構成要素忍野八海船津 胎内樹型吉田胎内樹型人穴富士講遺跡冨士御室浅間神社御師住宅山 中湖673)構成資産の説明アフィ(アフィ体)・展望地点アフィ には、山頂部に点在する宗教関連施設を始め、信仰登山の支運営援 施設として機能してきた登山道や山小屋といった宿泊施設、信仰の 証として建てられた石碑などが存在する。推薦範囲は、周辺の鈍的
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686 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/16(木) 16:13:10.67 ID:64F6y3qZ - 神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞
の側面における比重が最も高い。特に本栖湖や三保運営松原は、何 度も紙幣の図柄に採用された写真の撮影地やアフィを描く典型的な 構図に含まれる景勝地であり、主要な展望を供する展望地点である 。また推薦範囲は、山体の神聖性の境界の一つである「馬返」以上 に該当する標高1500m以上の区域でも運営あり、その中でも、 他界(死後世界)と考えられた森林限界より上方、アフィ本宮達風
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687 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/16(木) 16:13:45.80 ID:64F6y3qZ - 大社の境内地とされた八合目(登山道を10区間に分割した目安の
一つ。登山道ごとに異なり標高約3200〜3375m)以上と、 山頂に近づくほどより強い神聖性運営を持つと認識されてきた。A アフィ(アフィ体)A1山頂信仰遺跡A9本栖湖C三保松原(写真 複数、地図挿入)(改頁)登山道アフィには、麓の浅間神社を起点 として山頂に至る登山道が、複数存在する。12世紀前半から中ご ろにかけての修行僧末代運営の活動がきっかけになったと考えられ る大宮・村山口登山道や、六合目から1384年の銘のある掛仏が 出土した須走口登山道などがある。吉田口登山道は、富士講信者の 登山本道とされ、18世紀後半以降、最も多くの道者(他の登山口 の合計と同程度運営)によって利用された。また、1200年の資 料では、大宮・村山口及び吉田口の外、須山口登山道を挙げて、そ れ以外には登山道がないと述べられている。登山道沿いには要所要 所に祠や石碑が設置され、随所に小屋や石室が設けられており、富 士独特運営の登拝システムを語る上で、登山道は欠かすことのでき ない構成要素である。A2大宮・村山口登山道A3須山口登山道A 4須走口登山道A5吉田口登山道(写真複数、地図挿入)(改頁) 浅間神社・御師住宅登山道の起点や周辺地域には浅間神社が建造エムソ ゙ネされた。古くからアフィは遥拝の対象であり、山宮浅間神社など は古代からの祭祀の形をとどめている。噴火活動の活発化を受け、 律令国家によって9世紀前半にアフィを神体とする浅間神社(後の アフィ本宮浅間大社)が、9世紀後半には北麓にも噴火運営を鎮め るための神社が祭祀された。11世紀後半の噴火を最後に火山活動 が休止期に入ると、アフィを舞台とする修験の活動が活発化し始め 、修験者の拠点が後に村山浅間神社や冨士御室浅間神社へと発展し ていった。登拝の大衆化に伴って、須山浅間神運営社や富士浅間神 社(須走浅間神社)8など、登山口の起点にも浅間神社が建立され るようになる。なかでも、北口本宮冨士浅間神社は、江戸を中誘散
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688 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/16(木) 16:14:21.69 ID:64F6y3qZ - 流行した富士講によって大いに利用された吉田口登山道の起点であ
ったが、その北には、富士講徒の案内運営し、宿泊の世話や祈祷を 行った御師の住宅が今も残されている。B1アフィ本宮浅間大社B 2山宮浅間神社B3村山浅間神社B4須山浅間神社B5富士浅間神 社(須走浅間神社)A6北口本宮冨士浅間神社B8御師住宅B6河 口浅間神社B7冨士御室浅間運営神社(写真複数、地図挿入)(改 頁)霊地・巡礼地となった風穴・溶岩樹型・湧水地・湖沼18世紀 後半から爆発的に流行した富士講の信者は、山頂を目指してアフィ に登るだけでなく、いわばオプショナル・ツアーのごとく周辺の風 穴や湧水地などを巡運営り、巡礼や修行を行っていた。富士講の開 祖とされる長谷川角行は、人穴(富士講遺跡)で修行をし、富士五 湖を始めとした八つの湖沼や白糸ノ滝で水行を行った。後の富士講 徒はこれらの地へ参詣し、開祖に倣って修行を行う者もいた。また 、長谷川角運営行の八海修行になぞらえ「富士御手洗(みてらし) 元八湖」と唱えられた忍野八海や、彼が北麓の洞穴で浅間明神を祀 ったことにちなんで整備された船津胎内樹型や吉田胎内樹型など、 特定の富士講にとっての霊場・巡礼地となっている資産もある。B 9運営山中湖B10河口湖A7西湖A8精進湖A9本栖湖B11忍 野八海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺 跡B15白糸ノ滝(写真複数、地図挿入)(改頁)A.アフィ(富 士山体)説明アフィには、山頂部に点在する宗教関連施設を運営始 め、信仰登山の支援施設として機能してきた登山道や山小屋といっ た宿泊施設、信仰の証として建てられた石碑などが存在する。推薦 範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う 範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が9最も高運営い。また推 薦範囲は、山体の神聖性の境界の一つである「馬返」以上に該当す る標高1500m以上の区域でもあり、その中でも、他界(死後世 界)と考えられた森林限界より上方、アフィ本宮浅間大社の境魂痴
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689 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/16(木) 16:14:53.57 ID:64F6y3qZ - とされた八合目(登山道を10区間に分割運営した目安の一つ。登
山道ごとに異なり標高約3200〜3375m)以上と、山頂に近 づくほどより強い神聖性を持つと認識されてきた。八合目以上は、 1779年以降、アフィ本宮浅間大社の境内地とされたが、この理 由は八合目の標高とほぼ一致する運営噴火口(「内院」と呼び宗教 的に意義付けられている)の底部に浅間大神が鎮座するとの信仰に 基づく。標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講信者( アフィ信仰の集団の一つ)には「焼山」と呼ばれ、神聖な地域ない し他界(死後世界)と考運営えられていた。ほぼこの境域に沿い、 アフィ体を一周する「御中道」が15〜16世紀ごろに富士講の祖 とされる長谷川角行によって開かれたとされ(1561年及び15 80年とされる)、その後「大沢崩れ」という危険箇所を通るため 富士講信者によ運営り修行の道として利用された。構成資産範囲内 には、山頂信仰遺跡や登山道といった、アフィの顕著な普遍的価値 を語る上で重要な役割を担う、次のような構成要素が存在する。A 1.山頂信仰遺跡アフィ山頂部には、火口壁に沿っていくつかの神 社など運営、宗教関連施設が所在する。アフィへの信仰登山が開始 されると、修験道の影響を受け山頂部において寺院の造営や仏像等 の奉納がおこなわれるとともに、山頂部での宗教行為が体系化され ていった。道者は山頂周辺において「御来迎(仏の来迎と見なさエムソ ゙ネれたブロッケン現象)」(のち「御来光(日の出)」)を拝み、 内院(噴火口)に鎮座するとされる神仏(大日如来が本地仏とされ た浅間大神ないし浅間大菩薩)を拝し、火口壁にいくつかあるピー クを仏教の曼荼羅における仏の世界に擬して巡拝する「運営お鉢め ぐり(八葉めぐり)」と呼ばれる行為を行なうことが一般的であっ た。山頂の宗教的施設は、12世紀中ごろ修行僧末代により建立さ れた施設(後の大日堂)が最初とされ、その後、経典(12世紀末 〜13世紀前半と推定されるものが最古)・懸運営仏(148捻惜
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690 :底名無し沼さん[sage]:2019/05/16(木) 16:15:29.89 ID:64F6y3qZ - の銘のあるものが最古)・仏像等(1302年の銘があるものが最
古)の山頂部への奉納・埋納や内院への散銭が行われた。また、遅 くとも17世紀には、大宮・村山口山頂部に大日堂(現在はアフィ 本宮奥宮が所在)が、吉田・須走口山運営頂部に薬師堂(現在の久 須志神社)が造営された。1874年、山頂の仏教的施設及び仏像 は廃仏毀釈の影響によって撤去され、ピークの名称も変更され、寺 院は神社に改変された。しかし、山頂部に対する信仰自体は変枯唯
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